第48話 君の未来に僕がいる



 目を覚ましたのは病院の前だった。


「え? あれ?」


 てっきり、自宅のベッドから始まると思っていた。

 顔を上げると、市内で一番大きい総合病院が目の前にあった。悠花が入院した病院で、今もまた入院した病院だ。

 すっ、と足を一歩踏み出す。そこでようやく、違和感の正体に気が付いた。


「……中学生のままだよね、僕!」


 身長が急激に伸びたのは小六の終わりから中二にかけて。つまり小五の時はまだチビで、悠花よりも背が低かった。

 この目線の高さ、無駄に長い手足……中学生二年生の僕だ。


「どういうこと? タイムリープしてないってこと? まさか、夢?」


 おろおろと周囲を見渡す。

 人はほとんどいなかった。だから、遠くから歩いてくる親子が嫌でも目についた。

 白いシャツにジーパンというラフな格好の母親と、黄色いティシャツにえんじ色のズボンを履いた生意気そうな男の子。

 小学五年生とは思えないほど小さくて、成長期はまだ迎えていないって感じで。


「健、ごめん! さっきのお店に財布忘れた!」


 母親のほうが言った。わたわたと、失くした財布を探している。


「えぇー……暑いから先に病院入ってる、気をつけて」

「一緒についてきて!」

「いや、一緒に行っても……」

「お母さん一人だと恥ずかしいでしょ! 一緒についてきて!」


 懐かしいな、母はこういう人だった。いろんなところに連れ回して、試着室すらも一人で入れなくて。

 うん、覚えてる。

 この日も確か、僕は母に付き合って道を引き返した。


「やってしまったね、母さん。仕方ない、付き合おう」

「変なこと言ってないで急ぐわよ!」

「あっ、走らないで! 母さん、ストップ!」


 ピタッと足を止めて振り返る母の姿が、いつかの悠花と重なった。

 だから僕は、最初から悠花のことが好きだったのかもしれない。いや、気の強いところは香里そっくりなんだけど、おっちょこちょいで素直なところは悠花そっくりで。

 連れ立って病院の敷地を去っていく親子の背中をじっと、僕は見つめていた。

 なぜこんな中途半端なことに……モテ期が自意識過剰なだけのなんちゃってモテ期だったから?

 そんなことはどうでもいい。

 ほんと、どうでもいい……


 ありがとう、神様。



 ザッと靴底が地面を擦る音。一歩、一歩ゆっくりと、僕は病院の建物に入った。

 幽霊的存在にならなかったのは幸いだった。ナースステーションで「北川悠花のお見舞い」の旨を伝えると、快く案内してくれた。

 今だと個人情報がどうので警戒されそうだが、三年という歳月は社会情勢を大きく変える。


「悠花ちゃん、お兄ちゃんがお見舞いに来てくれたわよ」


 年配看護師のおば……お姉さんが声をかけると、個室のベッドの上で空を眺めていた悠花がこちらを向いた。


「え、あれ? 健……くん?」


 怪訝そうに首を傾げる悠花に、僕は「久しぶり」と言って病室に入った。

 看護師さんはもういなかった。


「えぇーっと、健くんの、お兄さんですか?」


 僕がベッド脇の椅子に腰かけると同時、天然ボケ少女が不思議な言葉を発した。

 僕に兄弟がいないことくらいわかっているだろうに。

 悠花はかわいいよ、昔からずっとかわいい。


「残念、不正解。健くんだよ、僕は」

「えっ? えぇー、健くん、背伸びた?」

「うーん、半分正解で半分不正解かな? 僕はね、悠花のまだ知らない健だから」

「? 健くん、なに言ってるの?」


 どうやら悠花は、僕が長束健だと信じて疑っていないらしい。僕だったらきっと、ナースコールを押してこんな怪しいやつすぐに追い出す。

 悠花はそんなことしない、絶対に。冗談みたいな話だけれど、それが悠花なんだ。

 優しくて素直で、だけど賢い。


「未来人なんだ、今の僕」


 僕の一言に、悠花は「ふぇぇ!」と妙な声を出して、大袈裟に驚く。


「未来人なの? すごいっ! だから健くん、大人になってるんだね!」

「大人っていうか、中学二年生だけどね。中二病全開だけどね」

「中二病? どこか具合悪いの?」


 心配そうに首を傾げる小学五年生の悠花がとてもかわいくて。


「具合が悪いのは悠花でしよ?」


 失笑した僕は、悠花の額に手のひらを当てる。

 不思議そうに僕の手を見る悠花だが、抵抗する素振りはなかった。

 ゆっくり、ゆっくりと手のひらを下から上、下から上へ動かし、悠花の額を撫でる。


「元気になぁれ、元気になぁれ。悠花にとりついてる悪いもの全部、飛んで行け」

「……おまじない?」

「うん。悠花が元気になりますようにっておまじない。あと、無事に僕と『僕』のいる未来まで、たどり着けますようにって」

「健くんのいるところ?」


 おまじないを三回繰り返したところで、僕は悠花から手を離した。

 わくわく、嬉しそうな表情の悠花に優しく微笑む。

 思ったよりも冷静でいられた。そりゃそうだ、僕はこの世界に存在すべき僕じゃないんだから。


「悠花、未来には僕がいるよ」


 悠花は黙って耳を傾けていた。

 まるで御伽噺を聴いている、小さな子どものように。


「生き抜いた未来には僕たちが待ってる。中学生になった悠花はね、吹奏楽に入ってコンクールに出場するんだ。そこで破天荒な先輩と知り合うけど、とてもいい人だよ。あとは、僕と同じ図書委員の女の子に嫉妬したりして……」


 ここまでが僕の物語。

 ここからは、『僕』の物語。


「高校は僕と一緒のところに行ってくれると嬉しいな。悠花は頭いいから、僕が頑張らなきゃいけないのか。それなら大丈夫、一緒に行こう。入学式には僕と仲良しになる女の子がいて、悠花は怒るだろうなぁ。その頃には美波先輩も僕に好意を持ってるかも」


 高校一年生の『僕』を好きになったと美波先輩は言っていた。それなら、高校一年のゴールデンウィーク明けの大変なことになって、悠花も香里も嫉妬に狂うかもしれない。

 想像するだけで楽しい、未来を思い浮かべて再び笑みを零した。


「その時のわたし、笑ってる?」


 小学五年生の悠花が尋ねた。

 僕は悠花に向き直り、頷く。


「笑ってるよ。怒ったり泣いたりすることはあると思うよ、人間なんだから。喜怒哀楽の感情は絶対に廻り回ってくる、だけど基本的に笑ってる……笑わせる、僕が。悠花の過ごす未来には僕がいる。だから絶対、悠花は笑ってる」

「……そっか、嬉しい。嬉しいっ!」


 ぴょんっとベッドの上で飛び跳ねた悠花の髪がふわりと揺れて、僕はその髪を両手で掴んだ。肩より少し長い髪を、耳の上で二つ結びにしてみせる。

 ふわりふわりと、悠花のツインテールが肩先で揺れた。


「やっぱり、この髪型が一番似合ってる」

「え? え? この髪型? 二つ結び?」

「悠花、お願いがあるんだ」


 手を離すと、悠花はしゅんと肩を落とした。かわいけど、あまり時間がない。

 ベッド脇のテーブルにあった折り紙を一枚、指で摘む。


「これ、一枚もらっていい? ペンも借りていい?」

「あ、はいっ。どうぞ」

「なんで敬語? 普通に喋っていいよ、僕は健なんだから」


 くすくすと漏れる笑声を押さえ、折り紙の裏に『メッセージ』を書き込んだ。

 油性ペンのキャップを閉めて、テーブルの上に戻す。


「悠花って、カエル好きだよね?」

「カエル? え、いや、別に」

「あれ? 僕にカエルの折り紙くれたんだけど……まぁ、いっか」


 それは小さい頃に母から教えてもらった、折り紙で作るピョンピョンカエル。

 お尻の部分を押すとぴょーんと跳ね飛ぶという愉快なもので、たくさん作ってリビングをカエルで埋め尽くして、母に怒られた。


「あの時は母さんが、こんなことしてたら悠花ちゃんに嫌われるわよって言ったから、秘密にしてたのか」


 思い出しているうちに、カエルは完成した。

 悠花には見慣れないもののようで、完成したカエルを見て拍手を送ってくれた。


「すごい、すごーい! 手品みたいだね!」

「ただの折り紙だよ。悠花、これを『ぼく』に渡してくれないかな?」

「健くんに? え?」

「あ、僕じゃなくて、小学五年生の長束健に」

「今の健くんは未来人だもんね!」

「もう少ししたら来ると思うから。『ぼく』が来たら絶対、これを渡しておいて」

「わかった! 健くん、なに書いたの? 文字が滲んでちょっと見えてるけど」

「悠花は気にしなくていいよ。勘違いのモテ期に浮かれてる馬鹿な『ぼく』に向けたメッセージだから」

「メッセージ?」

「僕の行為はこの世界に影響を与えることはできない。けど、助言はできる、メッセージは送ることができるって『僕』が教えてくれたからね」


 手のひらに乗せたカエルの尻を押すと、ぴょーんと跳ねたカエルの折り紙が悠花の元へと飛んだ。

 悠花は慌てて手を広げ、カエルをキャッチする。


「すごいっ! かわいいっ!」

「今度作り方教えてもらうといいよ。僕の母さん、折り紙得意だから」

「健くんは? わたし、健くんに教えてもらいたいっ!」


 目をキラキラさせて僕を見つめる悠花。幼さも相まって愛らしさ倍増だったが、僕は首を横に振った。

 わかる……タイムリミットだ。

 あと数分しないうちに、僕はこの世界からいなくなる。


「待ってるよ、悠花」


 立ち上がって悠花を見下ろす。

 自然と笑顔になっていた。


「悠花の生きる未来で僕は待ってる。だから、元気になぁれ」


 手のひらをかざすと、悠花の顔に花が咲いた。

 三年後、四年後、五年後、その先もずっと、この笑顔が見れますように。


「あっ、そうだ。未来人の僕がここに来たこと、みんなには秘密にしといてくれる?」

「かしこまりですっ!」

「かしこまりですっ!」


 同じように敬礼して、僕はかかとを翻した。

 足早に病室を出ようとしたがその直前、悠花の声が僕の背中を叩いた。


「またね、健くん! わたし行くから、健くんのいる未来にちゃんと行くからっ! 待っててね、ありがとうっ!」

「うん……大丈夫、悠花の未来には僕らがいる」


 悠花に聞こえたかはわからない。返事も待たないまま、病室を出る。

 振り返りたい、そんなのはダメだとわかってる。

 名残惜しい、そんなことは無理だとわかってる。


 ありがとう、さようなら、またね。


 全部違う気がして、僕は病院の扉を閉めた。

 悠花は優しいから、僕の涙を見たらきっと心配になるだろうから。

 その扉をもう二度と、僕は開けない。



 例えば、タイムリープというものが実在するとして。僕以外の誰かもそれを体験したことがあると仮定して。


 彼らは変わる未来を、変わった自分をどう思うのだろう?


 大切だと思う人がそうじゃなくなったり、傷つく誰かの代わりに他の人が傷付いたり。

 どうしてそれで、当然のように元の世界に帰れると思っているのだろう?



 廊下の先を見ると、こちらに歩みよってくる親子が見えて。


「頑張れ」


 と、過去の自分にエールを送った。


 君はこれからとんでもないことを体験する。モテ期モテ期! と浮かれているその時間の合間に、超常現象という非日常体験を。

 つらいと思う、しんどいと、もうやめたい諦めたいと何度も感じるだろう。

 だけど大丈夫、君は強いし何より仲間がいる。

 おっちょこちょいで天然ボケな、幼なじみ。

 暴力的だけど根は優しい、僕を好きなクラスメイト。

 成績が悪いけど真面目な、同じ図書委員の優等生。

 破天荒で自分勝手な、違う学校の先輩。 

 三度のモテ期を行き来する僕と、その時期を彩ってくれた四人の女の子たち。

 大丈夫、僕らだっている。

 だから君は一人じゃない。

 最後までやり遂げろ、完走しろ。


 手を伸ばしてみるが届くはずはなくて。小学五年生の男の子が、視線を上げて僕を見た。


「–––––…」


 言葉は届いただろうか?

 どっちでもいいや。


 そんなことはどうでもいいんだ。


 メッセージさえ読んでくれれば……僕の言葉を、実行しさえしてくれればそれでいい。


 過去の『ぼく』よ。


 モテ期モテ期! と女の子に囲まれて浮かれてる、馬鹿な小学五年生。





 どうか悠花を、僕の幼なじみを救ってください。


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