第41話 暗躍者


* * * * *


 朝、目を覚ますと世界が変わっている。

 精神的な意味ではなく本当に、住んでいた世界が違うのだ。


 僕が目覚めたのは二年後の世界で、両親は少しだけ歳をとって家の様子もわずかに変わっている。僕は随分と賢くなって学業のステイタスも変わっていて、人間関係も大きく異なる。

 二年という歳月は思春期の少年少女にとってとても密度の高いもので、もしもその時期に何かをなし得たのなら、君はそのことを生涯誇ってもいい。

 多感な時期に何かを頑張った、やり遂げたことは生涯、君の宝になるだろう。その時期に気付いたことは君の後の人生に多大なる影響を与える。

 生涯の誇りにするといい。


 モテ期モテ期! と騒いでその時期を異性に費やした僕に、神様はどんな試練を与えようとしていたのだろう?

 それを理解して初めて僕は、この無限ループから抜け出すことができるのだ。



 親愛なる馬鹿な僕へ、二年後の『僕』より。

 この言葉を捧げる。


 完走しろ。

 大丈夫、


『僕がいる』



* * * * *



 目を覚ますと世界が変わっていた。

 高校一年生の『僕』が暮らす世界だ。

 重いまぶたを擦りながら、ベッドから起き上がると七時過ぎだった。梅雨は終わったはずなのに、道路は雨に打たれていた。

 向かい側の家のカーテンは未だ、開かない。


 今日はテスト週間、数学のテストがあるはずなのに僕はこんなところで何をやっているのだろう?

 

「ざまあみろ」


 小さく呟き、歩道橋の欄干に背を預けた。金属が雨に濡れたひんやりとした感触が、背中を伝う。一時間毎の雨量はそこまで激しくないが昨晩から細雨が続くため、地面は常に湿っている。

 カタン、という物音に傘をあげると、二メートルほど先に僕と同じ高校の女子生徒の制服があった。

 顔は傘で隠れて見えない。


「数学、やっぱりわかんなかった」


 制服を着た女子高生が言った。

 僕は答えず、傘を持つ手を傾けて彼女に目を向ける。


「あんたがいないと全然、やる気でないのよ」


 涙目の香里が僕を見つめて言った。

 互いの距離、約二メートル。泣き顔に心打たれる僕は、やっぱり彼女に惹かれているんだと思った。


「……学校は?」

「もう終わった。今日、テスト週間だから」

「そっか……」

「あんたはどうして、学校来なかったの?」

「僕の世界じゃないから、ここは」

「あんたが、中学二年生の長束健だから?」

「うん」

「だからこの世界のことは、わたしのことはどうでもいいの?」

「…………」


 例えば、タイムリープというものが実在するとして。僕以外の誰かもそれを体験したことがあると仮定して。


 彼らは変わった未来のことをどう思っているのだろう?


 自分が行動することによって起こり得なかった未来、出会う予定だった人たちが居ないという未来をちゃんと、考えてから動いているのだろうか?

 それでも構わないと、今が良ければそれでいいと思って人は、現在を大切に生きているのだろうか?

 僕にはわからない。

 悠花も香里も大切だ。だから、どちらかの世界を犠牲にするなんて、僕にはできない。

 

 わからない。


 それが僕の今の正直な感想。


 終わらないタイムリープ。先が見えない不安と一人で走り続けることへの焦燥、疲労。

 ねぇ、少しだけ、弱音を吐いていいかな?

 僕はもう疲れた。


 もう、諦めてもいいかな?


「もう、諦めてもいいわよ」


 香里が言った。

 傘を持ったまま、小さな声で。


「あんたは頑張った……だからもう、いいじゃない。もうやめてよ、そんな辛そうな顔するなら無理に助けなくたって……見捨てたっていいでしょ? あんたはもっと、自分を大事にしなさいよ! だからもう、いいでしょ?」


 香里の声が、ジーンと耳に響いた。

 僕は頑張ってる、よく頑張った。

 だからもういい、もう休んでも。

 走るのをやめて、立ち止まってもいいんだよって。


「なに言ってんの、そんなわけないでしょ」


 しかし香里の言葉を否定するように、僕たちの間に人影が入った。

 晴空色の傘を持った彼女は香里を一瞥し、やがてじろりと僕を睨みつける。


「頑張ってるのは認めてあげる。だけど途中で諦めるなら、脱落するなら全て台無しになるでしょ? 残念だけど、今の世の中は結果が全てなの。やり遂げた者だけが正義として認められる。だから完走しなさい、健」


 傘を持った、違う学校の制服姿の美波先輩がそういった。

 美波先輩に会うのは久しぶりで、その姿は普段より随分と凛々しくて、僕は思わず息を飲んでしまった。


「途中で投げ出しちゃダメなの。大事なことだから二回言うわ。最後まで完走しなさい、健」


 その時の僕は、超常現象の謎を解こうとしている時の僕の頭は冴え渡っていた。

 だからすぐに気が付いた。

 口が勝手に、言葉を発していた。


「美波先輩、知ってますよね?」


 僕の言葉に、美波先輩はわずかに首を傾げる。


「なにが?」

「僕の、超常現象のこと」

「……言ってることの意味がわからないんだけど?」

「先輩、僕はいま、何歳に見えますか?」

「高校一年生でしょ? 見た目としては」

「心……意識の方は?」

「中学二年生でしょ、今の健は」

「…………」


 ザァァァアと降り注ぐ雨が地面に落ちて激しい音を立てた。

 意識が、思考が飛ばされそうになるのを、なんとか堪える。


「どうして僕が、中学二年生だと?」


 僕の質問を聞き、美波先輩は大きくため息をついた。

 そうして、答え合わせを始める。


「やっぱり。そうだと思った、最近の健おかしかったから。……わたし、二年前に、高校一年生の健と会ってるの」

「二年前、高校一年生の『僕』?」

「その時に事情は聞いた……悠花を助けるためにタイムリープしてるんでしょ、健」


 雨は、やはり止まない。

 傘を傾けた美波先輩が二年前、高校一年生の『僕』と話したことを話し始めた。

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