第14話 料理上手な暴力嫁か、殺人料理の癒し系奥さんか


 翌朝、目を覚ますと午前八時十五分で。学校で最初のチャイムが鳴ってる時間で。

 慌てて階段を駆け下り、リビングのドアを殴るようにして開けた。


「母さーん!」


 僕の声に、お玉を持っていた母の肩がびくぅっと跳ねる。


「どうして起こしてくれなかったんだよっ!」

「はぁ? なに言ってんの、あんた」

「学校だよっ! この時間じゃ遅刻……あぁ、そうだ、今日は休もうっ! 母さん、今日はお休みしますって学校に電話してっ、今すぐっ!」

「だからなに言ってんのよ、今日はお休みでしょ?」

「もう電話してくれたの? さすが母さん、ありがとう!」

「そうじゃなくて、今日は創立記念日でお休みって、先週あんた言ってたでしょ?」


 母が指すお玉の先を見ると、家族カレンダーの今日の日付のところに『創立記念日 休み』と書かれていた。


「……あれ? お休み?」

「違うの?」

「……うーん、お休みだったかもっ!」


 正直、よく覚えていない。でもカレンダーに書いてるってことはそうなんだろう。何より今から行ってももう間に合わない、それならいっそ行かないほうがいい。

 今日はお休みなんだっ!


「だからあんた、今日の夜ご飯作っといてね」

「…………ん?」

「どうせ暇なんでしょ? それとも、どこかに出かける用事でもあるの?」

「うーん……面と向かって言われると返答に困るというか。ていうか、思春期モテ期の男の子にそんなこと言うもんじゃないよ」

「なに言ってんのゆ。いつまでも子どもじゃないんだから、いい加減しっかりしなさい」

「…………はい」


 これ以上反論するとお玉が飛んできそうで、いやそれならまだマシだ。お玉が浸かっている味噌汁が飛んできたら大変だ。

 しゅんと項垂れてみせる僕などお構いなしで、母は仕事に出かけてしまった。味噌汁の下ごしらえしてるなら、夕飯もついでに作っておけばいいのに……。

 まだ学生の僕に、そんなことは言えなかった。

 味噌汁にあうメニューか、カレーを作ろう。正直言うと、僕はカレーの作り方と米の炊き方しか知らない。



 朝はダラダラ寝転んで本を読んで、午後一時を回ったところでカップラーメンにお湯を入れた。

 三分というのは早いようで意外と遅い。

 時計と睨めっこして残り一分となったところで、ピンポーンと玄関のベルが鳴った。


「…………」


 待ってくれ、あと五十秒なんだ。

 食べる時間も合わせたらあと十分……十分間、僕は応答する事ができない。

 呼び出しを無視して再び時計を見つめる。それと同時、今度はガチャリとドアの開く音がした。


「…………」


 おいおい、嘘だろっ! 大胆だな、近頃の泥棒は!

 ていうか鍵っ! 母さん、ちゃんと鍵閉めて!

 年頃の男の子が一人で留守番してるんですよー!


 どうしよう、隠れようか……などと思慮している間に、今度はリビングのドアが開いた。

 慌ててテーブルの下に隠れる僕。しかしそこから覗き見えたのは、ひらひらレースのついた真っ赤なドレス。


「なにやってんのよ、あんた」


 仁王立ちした香里が、いつものゴスロリ衣装で僕を見下ろしていた。



 どうやら僕の母が、『夕ご飯の準備手伝ってあげて』と連絡したらしい。

 余計なことを……ていうかマジで、この二人いつの間にこんな仲良くなったの? だって母さん、僕が小学校の頃は「悠花ちゃん、悠花ちゃん」って言ってたじゃないか。

 まぁ、昔のことはよしとしよう。

 今は現状、香里と共に夕ご飯を作るという課題だ。キッチンに並べられている玉ねぎとじゃがいも、ニンジンと豚肉を見て、香里が呟いた。


「夕ご飯、シチューにするのね」


 惜しい! シチューなら豚肉じゃなくて鶏肉だろう! 豚肉を使うシチューもあるかもしれないけど、今回はカレーライスが正解だ。

 コトリ、とテーブルの上にカレールゥの箱を置くと、香里が目を輝かせて再度答えた。


「スープカレーねっ!」


 うん、なんでそう捻った答えを出すのだろう。

 正解にしていいのかどうか、よくわからない。



 発想とは裏腹に、香里の料理の腕は素晴らしいものだった。

 お世辞抜きで本当に。手際も良いし肉や野菜の大きさも絶妙、スタタタっと包丁がまな板を叩く音が心地良くて。

 結婚したら毎朝この音で目を覚ますのか、香ばしいスープの匂い……などと妄想してしまう程に、香里の料理は見た目にも耳にも美しかった。

 ただ一つ、やはり彼女はツンの成分が多めのツンデレなのだ。


「ねぇ、あんたカレーが食べたいのよね?」


 それは全ての具材を煮込んでいる、いわゆる待ち時間に起こった。

 香里が大鍋を見つめたまま、僕に尋ねた。


「まぁ……うん」


 恐る恐る、窺いながら返事をする僕。

 じっと鍋を見つめていた香里が踵を返したので、僕はぴゃっ! と後ろに一歩下がった。

 そんな僕を通り越して、香里は冷蔵庫のドアを開ける。


「わたしはカレーの気分じゃないのよね」


 鼻歌を歌いながら、牛乳を手に取った香里がコンロへ戻る。

 まさか……いやいやまさか! そんなっ!


「や、やめてぇぇぇえ!」


 僕の悲鳴虚しく、半分以上残っていた牛乳は鍋の中へ投入されてしまった。


「な、……なんで途中で牛乳入れるんだよっ!」


 カレーがシチューになったとか、分量考えろとかはどうにでもなるからどうでもいい。

 そうじゃなくて……


「野菜も肉もまだ生だろっ! その状態で牛乳入れたら火が通らなくなるだろっ!」

「はぁ? なんで?」


 腕組みをした香里が偉そうに僕を見下してくる。いや、身長は僕のほうが高いのだが態度が!

 香里の態度が僕を見下してるっ!

 準備手伝わなかった僕が悪いけどさ、香里の手捌きが美しすぎて見てるだけだった僕が悪いけどさ!


「牛乳は沸騰させると分離するんだよ! だからグツグツ煮込めない」

「低温でゆっくり時間かけて煮込めばいいでしょ?」

「火加減は弱火から中火、ちょっとポコポコさせるくらいが一番美味しいんだよ!」

「はぁ? 誰がそんなこと言ったの?」

「僕だよっ! 他は何も出来ないけど、カレー作りだけは極めてるんだっ! 長年かけて研究した僕のカレーの作り方は……」

「ていうか、味噌汁の付け合わせにカレー作るのが間違ってる」


 スッパーンと、久々に聴く軽快な音。

 どうやら頬を叩かれたらしい僕は、コンロの真下に吹き飛んでいた。


「あ、危ないだろっ!」

「あぁあぁ、ごめんね、大丈夫⁉︎」


 デレの部分で駆け寄る香里が本当に僕を心配してくれていて、頭を撫でられてちょっと母性を感じて絆されかけたが……


「危ないだろっ!」

「なによっ、あんたが悪いんでしょっ!」


 やはり絆されてはいけなかった。

 再度のビンタが僕を襲い、今度は椅子の脚に頭を打ち付けた。


「あぁぁ、ごめんねっ!」


 正気を取り戻した(デレの皮をかぶった)香里が救急箱を抱えて走ってくる、例の赤い救急箱だ。

 なぜ彼女は、他人の家の救急箱の在り処を知っているのか。

 でっかい絆創膏を僕の額に貼り付け、「よしっ」と気合を入れた香里がその部分で手のひらで叩いた。

「よしっ」の意味もわからないし、叩かれた意味もわからない。が、これ以上怪我したくないので黙っておく。


 料理上手だけど暴力的な嫁か、料理下手だけど温和な嫁か。


 健康を殺されるか身体を殺されるか、究極の選択だと思った。

 一番良い選択は中間の子を選ぶことだけど。まぁ、好きになった子がそのどっちかだったら仕方ないよねっ!


「ねぇ、昨日……ごめんね」


 救急箱を元の場所に戻してリビングに帰ってきた香里が、ぽつりと呟いた。


「昨日?」


 僕が聞き返すと香里はちらっとこちらを一瞥して、すぐに視線を外した。


「パン屋、付き合ってもらっちゃって」

「パン屋?」

「だから昨日も、ショッピングモールでデーと……ととととデートじゃなくて買い物! じゃなくてパフェ! パフェ食べに付き合ってくれたでしょ!」

「パフェ? 僕が? 付き合った?」

「つ……付き合ってるわけじゃないけど! まだわたしたちこ、恋人、とかそ、そそういうエッチな関係じゃないけど!」

「待て香里、落ち着け。付き合うというのは必ずしもエッチな関係が付きまとうわけじゃない」

「な、ななななに言ってんのよ! そうじゃなくて、とにかくっ! 二日連続でありがとうってこと!」

「二日連続? なに言ってんの? デートしたのは土曜日で昨日は委員会の仕事があって……」


 そうだよ、昨日の僕は図書委員の仕事があって、小雪と一緒に吹奏楽部の音色を聞いていた。

 そこで小雪が、変なことを言って……香里はいま、何を言ってる?


「僕と、パフェを食べに行った?」

「そうよっ! 昨日の朝、街で偶然会って……パン屋のパフェ美味しいのに食べなかったの? 今から行く? って」

「僕が? 昨日?」

「なによ、忘れたの?」

「いや、忘れたというか……それ、僕じゃないんだ」

「はぁ? なに言ってるの?」


 まただ……僕じゃない僕が、僕の知らないところで僕を演じている。

 間違いない、この世界にはもう一人の僕がいる。

 やばい、トイレ行きたい。


「ごめん、香里。僕、昨日のことあまり覚えてなくて」

「はぁぁ!? 忘れたの? 昨日のデート、忘れたの? あっ、で、でデートてわけじゃな……」

「昨日の僕、どんなだったかな?」

「どんなって、普通だけど? あ、いや、なんか今日あんた、幼くない?」

「幼い?」

「ガキくさいというか」

「酷い言われよう……」

「とにかく、普通だったわよっ! 普通だったのに……普通にデートしてたのに、なかったことにするなんて……」

「違っ、そういうわけじゃなくて」

「馬鹿っ! 最低!」


 スパーンと、不意打ちで平手打ちを食らった僕の身体はリビングの端から端まで飛んでいった。

 壁にぶつけた左腕に、大慌てで絆創膏を貼る香里。絆創膏はいいから湿布を貼ってくれ……外的暴力よりも胃を殺られるほうがマシかもしれないと思い始めた。

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