第12話 意外と嫉妬深い


 図書室の本の入れ替えという、本来の図書委員の仕事ではない業務を行うため、制服を着た僕は玄関のドアを上げた。

 カッ、と照りつける日差し。


「……うん、帰ろう」


 図書室では先生が待っているだろう、きっと小雪もいる。だけどいいんだ、二人で頑張ってくれたらいい。何を言われようと僕はお休みする。

 すんっと表情を消し踵を返そうとしたその瞬間、向かい側の家の玄関のドアが開いた。


「いってきまー……きゃあああ! 健くんっ!」


 玄関から飛び出てきて悠花が、僕を見て悲鳴を上げる。

 驚いたのは僕のほうだ。

 なぜ叫んだ?


「び、びっくりしたぁ!」


 ぺったんこの胸に手を当て、悠花が息を整える。

 うっすらと透けるブラウスを見つめ、僕は違う意味で胸を手に当てて鼓動を整えた。


「あれ? 健くんも学校行くの?」

「僕は図書委員で……悠花は?」

「わたしは部活! じゃあ偶然だねっ、一緒に行こう!」


 弾けるような笑顔がとてもかわいくて。

 なぜだろう、とても安心した。


「あれ? そういえば今日、髪型違うよね?」


 悠花の髪型はいつものツインテールではなく、後ろで一つ結びにしていた。

 指摘された悠花ははっとし、慌てて髪を解いていつものツインテールに結び直す。


「あの、えっと……あの髪型は、健くんの前でやってるだけ、なんです」

「? なんで敬語? ていうかなんで僕の前?」

「だって健くん、二つ結びの髪好きでしょ?」

「……ん?」


 そんなことを言った覚えはないが、でも確かに悠花といえばツインテールのイメージだ。

 ポニーテールも新鮮だが、いつもの髪型もかわいい。

 つまりどっちもかわいい。


「た、健くんは、図書委員だよね? 大変だね」


 誤魔化すように悠花が言ったので、僕もそれ以上は詮索しなかった。

 会話を合わせる。


「大変だけど、まぁ、小雪もいるし」

「こゆき? それって、健くんと一緒のクラスの西岡さんのこと?」


 途端、悠花の周りを黒いオーラが取り囲む。


「健くん、西岡さんのこと、下の名前で読んでるの?」

「……えぇーっと」

「わたし今日、部活お休みする」

「えっ?」

「部活休んで、図書委員のお手伝い行くっ!」

「えぇっ? 吹奏楽部って厳しいんだろ? ズル休みがバレたらコンクールメンバーから外されるって美波先輩が言ってたから、ちゃんと行ったほうが……」

「健くん、美波先輩と仲いいよね。わたしの先輩なのに、いつの間にかわたし抜きで仲良くなって」

「いやぁ、そんなことは……」

「健くんは、女の子にモテ期だもんねっ!」


 大声を張り上げた悠花が、ダダダッと靴を鳴らして住宅街を駆け出した。


「えっ、えっ? 悠花?」


 慌てて追いかけるが、全然追いつけない。

 そうだった、悠花は足が速いんだった!

 いや違う、僕が遅いのか!

 

「まって、まっ……悠花、ストップ!」


 叫声に似た僕の言葉に、悠花がピタッと足を止める。こういう素直なところは本当にかわいい。どこかのツン九十パーセントのツンデレ女子とは違って、こういう素直なとこはいいっ!

 そんなことはどうでもいい。

 悠花の顔を覗き込むと真っ赤になった頬をぷくりと膨らませていた。その仕草がリスのようで、白い肌を染める赤目が白ウサギと重なって、思わず吹き出してしまった。


「な、なんで笑うのぉー!」


 困惑した表情の悠花が、ポカポカと僕の胸を叩く。

 まるで子どもの頃に戻ったみたい。小さい頃から、昔からずっと、僕は悠花の隣にいた。


「僕がいるよ」


 悠花の手首を掴み、自然と出てきたのはそんな言葉だった。ポカンと口を開き目を点にする悠花を見つめたまま、言葉を続ける。


「悠花の隣にはいつも、僕がいるから」

「……それはこれからも、健くんはずっと、わたしの側にいてくれるってこと?」


 ちらりと窺うような視線。ぶつかったかと思うと即座に、悠花は顔を背けた。

 しかしすぐにまた、僕を見上げてくる。


「健くんはずっと、わたしの側にいてくれる?」

「当たり前だろ。今までずっと一緒にいたんだから、これからもずっと一緒だよ」

「…………うん」


 恥じらいながら、少し顔を背けながら、それでもちゃんと頷いた悠花がすごくかわいくて。

 自然に手のひらが重なって、僕の右手と悠花の左手、互いの利き手同士を繋いで通学路を歩いた。

 住宅街を抜けたところにある大通りの交差点で小学生とぶつかり、残念ながら手は離してしまったけど。

 およそ二十メートルの距離を手を繋いで歩いた。

 小さな悠花の手はとても温かくて、子どもみたいだと……子どもの頃みたいだと思った。



* * * * *



 呼びつけたにも関わらず、担任は図書室に現れなかった。


「業務内容は金曜にわたし聞いたので……二人でやりましょうか?」


 優等生っぷりを発揮した小雪が、困ったように微笑んだ。

 いや、断れよ。やりませんって言えよと思ったが、これが小雪だ。

 馬鹿真面目でお人好し。

 そこが小雪の魅力だから、責めるべきではない。


 黙々と作業をしていると、楽器の音が聞こえてきてこっそり耳を傾ける。

 悠花の楽器はホルンだったかコントラバスだったかリコーダーだったかアルトだったか……よく知らないけど、二年生だけどコンクール出場の主要メンバーらしい。


「うちの吹奏楽部、すごいみたいですね」


 小雪が呟いた。

 どうやら彼女も、僕と同じく楽器の音色に耳を傾けていたらしい。


「そうだね。僕はよくわからないけど、すごいね」


 よくわからない返事をすると、僕を見つめていた小雪がぱっとうつむいた。その動作の意味がわからず、僕は首を傾げて小雪を見つめる。

 顔を上げることなく、喋ることもしなかった小雪だが、やがてぼそぼそと話を始めた。


「昨日、すみませんでした」

「昨日? ん?」

「相合い傘……嫌でしたよね?」

「あいあいがさ?」


 え、なに?

 アイアイ傘?


 相合い傘?


「え? 相合い傘? 誰と誰が?」

「だから、健くんがわたしと……あっ、いえ、健くんにとってあれは相合い傘じゃなくて、ついでに送ってくれただけなんだろうけど……」

「えっ、なに? なに言ってんの?」

「昨日のことです。昨日の夕方急に雨が降ってきて、健くん、わたしを傘に入れてくれて」

「ん? んんんっ? 昨日?」

「はい。商店街で会って、家まで送ってくれたでしょ?」

「昨日はショッピングモールにいて……え?」

「ショッピングモール? あ、もしかしてその帰りだったんですか? 買い物帰りにすみません」

「え、いや、だから……え?」


 会話が噛み合わない。小雪が冗談を言ってるとも思えないし、こんな場面でふざけるような子じゃない。だからと言って僕も嘘をついていない。

 きっと僕らお互い、本当のことを言っている。


 でもそれならば、どっちが真実なんだ?


「ごめん、えっと……昨日、僕は小雪に会ったのかな?」

「え? はい。傘持ってないの? 今日、天気予報雨って言ってたよ、入る? って」

「僕が? そんな紳士的な態度を?」

「確かにあの時の健くん、紳士でしたね。雰囲気も大人っぽくて……」

「それ、本当に僕? 違う人じゃない?」

「健くんでしたよ? 顔も声も喋り方も。どうしてですか?」

「いやだって……おかしいよね?」

「え? っと、別になにもおかしくなかった……あ、でも強いて言うなら」

「強いて言うなら?」

「かっこよかったです、昨日の健くん!」

「……それ、今の僕を否定してるよね?」

「えっ? 違います! 健くんはいつもかっこいいけど昨日はなんだか大人っぽくて、えっと……」


 がっくりと項垂れる僕に、小雪がわたわたと擦り寄る。背中を叩かれても、顔を上げることができなかった。

 おかしい……だって僕は昨日、香里と美波先輩とショッピングモールに行って、そのまま家に帰ったのに……。

 雨? いつ降った?


「あっ、そういえばもう一つ! 野鳥を見る会についてお話しするんでした!」

「野鳥を見る会?」

「来週の土曜、文化部所属の有志の人たちで山に行くんです、野鳥を見に」

「へぇ……(面倒くさいね)。え、で、まさか僕にも一緒に行って欲しいとか……」

「え? あ、違います。文化部の生徒しか行けれないので、健くんはダメですよ?」

「……どうして今、僕に野鳥を見る会の話をしたの?」

「健くんが聞きたがってると思って」

「…………」


 和やかと天然ボケは紙一重だと思う。

 言葉を失う僕らの背後で、ボォーッと重低音を発する楽器の音が聞こえた。

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