第54話 外套
「次はここよ!」
アイシスが次にリディたちを連れてきたのは、旅用の品を主に扱う雑貨屋のような店だった。憲兵などが街の外へ遠征に出るときにはこの店で準備するのがお決まりらしい。イダンセにある冒険者ギルドの御用達でもある。
品揃えは旅に必要な品、と言った感じだ。先程の店は刃物などの刀剣類に特化していたが、こちらの店は旅関連のいろいろな品が置いてある。天幕にランタン、薪割り用の斧や焚き火を想定した調理器具など、旅関連の品が所狭しと並べられている。専門店ではないので品数は少ないがナイフもおいてあった。
「ここで何を買ってくれるんだ?」
店の品揃えは多種多様だ。アイシスが何を買ってくれようとしているのかは、店の品からは判別がつかない。リディはアイシスに単刀直入に尋ねてみた。
「外套よ。キドナの事件の時にリディの外套を貸してくれたでしょ。それを返そうと思ったのだけれど、かなり年季の入ったもののようだったから。新調するのはどうかしらと思って」
あの日、アイシスの下へ駆けつけた時にリディは自身の外套を、服が切り裂かれていたアイシスに被せた。そして、その外套を被せたままアイシスとは別れたので、結果今日まで外套はアイシスに貸したままになっていた。
リディはその話を聞いてぽかんとした表情のまま固まっていた。
「……もしかして、思い出が詰まった大切な品だったりするのかしら? キレイに洗ってもらったから、あれをそのまま返すこともできるのだけれど」
「あ、あぁいや。そういえば貸したまんまだったなと、今思い出しただけだ。使えるからボロいまま使っていたが……そうだな、新調してもらえるのはありがたいな」
「そう、よかったわ」
リディの言葉を聞いてアイシスはほっと胸を撫で下ろす。
「リディ達はこれから更に北に行くのよね」
イダンセより北は、より寒い地域だ。夏の終盤の今はまだ暖かいが、これから季節が進むと気温の低下が進む。それに加えて北の地は山地が多く、竜の背骨を中心に高山地帯が多くを占めている。標高が高くなれば気温は下がる。これからの季節にかけて寒さ対策が必要になるのは必然だった。
「あぁ、まだちょっと早いと思っていたが、せっかくなら質のいいものを買っておくか」
外套、いわゆる一番外に羽織る防寒着にも色々と種類がある。素材、形状、サイズなどに様々な種類があり、更にそれが組み合わさる。それぞれ目的や予算に応じて購入するものを決めるのが普通だ。リディも自身に合うものを見つけるため、店に並べられた外套をそれぞれ見ていく。夏場用の薄手のものは主に日光を遮るために使用されるので、保温性は考慮されていないことが多い。逆に冬場用のものは防寒に特化させるので生地は厚く、夏の昼間にはとても着ることは出来ない。
リディの用途としてはこれから向かう高山地帯への備えとなる。今の季節にはそぐわないが少し厚手のものを選ぶことにして、リディは店に並ぶ商品からいい塩梅のものを探していた。
「ん?」
商品をかき分けて探す中で、毛皮で縫製された外套を見つけた。触り心地がケルベの毛並みに似ている。普通の動物の毛皮ではない雰囲気がその外套にはあった。商品の大多数は通常の布地で作られたものであるため、動物の、いやこの場合は恐らく魔獣の毛皮で作られたものは珍しく、目を惹かれた。
「それが気に入ったの?」
リディが毛皮の外套をまじまじと見つめていると、横からアイシスが顔を覗かせた。
言うが早いかリディの返答を待たずにアイシスは店主を呼びつける。
「この外套について聞きたいのだけれど」
「あぁ、これですかヘルハウンドの毛皮製ですよ。いい品に目をつけましたね」
アイシス達が問う間もなく、店主は勝手に説明を始めた。
ヘルハウンドは北の高山地帯に生息する魔獣の一種だ。頭は3つないが姿が似ていることからケルベロスの近縁種と考えられている。
ヘルハウンドを始めとする強い魔獣の毛皮は、強力な対魔法性能を持つ。魔法攻撃に対する抵抗力や、自身から漏れる魔力の遮断機能だ。また魔力を流すことによって体毛を固くすることもできる。
「毛皮となってしまっては、流石に魔力を流しても固くはなりませんが、魔力の遮断機能はあります。弱い魔法であれば攻撃を通しませんし、これに包まって回復魔法を使えば、魔力が漏れませんので、魔力の節約になりますよ」
店主は引き込むような語り口で商品のおすすめポイントを提示する。
「それにですね。北方の魔獣素材を使ったものはこれが最後の一品なんですよ」
「魔獣の素材を使った装備は他にも結構あると思うのだが……」
店内を見回してみると、これの他にも毛皮を使った外套や、鱗で出来たスケイルメイルなど、魔獣の素材を使っていると思われるものはいくつか見受けられた。なので、店主の言っていることの意味がわからなかったのだが。
「いやいや、その辺によく出る魔獣の素材を使ったものではなく豪魔素材を使ったものですよ」
「豪魔素材?」
「あぁ、商人連中はよく使うんですが、主に北方に生息する強力な魔獣から取れる素材のことです」
「そういえば、昔隊長が豪魔指定がどうのと言っていたな……」
「隊長?」
「いやこちらの話だ」
魔獣の中でも特に強力なものにはギルドや国、憲兵などにより、豪魔指定が行われることがある。豪魔指定された魔獣の討伐は精鋭の兵士やギルドスコアの高い冒険者を集めて集団による討伐が行われる。
「そのへんの魔獣の素材なら簡単に入荷できるんですがね。豪魔素材となると、狩りをする側も命がけですし、なかなか入荷出来ないんですよ」
魔獣から素材を手に入れるには魔獣に勝利することはもちろんだが、体に傷が少ない状態で倒すことも重要になる。そうでなければ、魔獣を解体して手に入れる素材がボロボロになってしまうからだ。
豪魔に指定されるような強大な魔獣は北方に多く生息しているが、以前の巨大ヒジカのように稀に北方以外の地域でも出現することがある。一般的に豪魔退治というものはギルドやその地域を管轄する領主によって精鋭数十人が集められて行われる。豪魔を退治すると、その時に取れた素材は退治に参加した者たちで山分けという形になることが多く、それらの品は入手した冒険者によって使用されることがほとんどであるため、豪魔素材が市場に出回るのはごく稀なことだった。
「確かに安定した入荷は難しいだろうな」
「それでも昔は数は少ないながら安定した入荷があったんですがね。5,6年前だったかな? パッタリと止まってしまいましてね。だから、それが最後の一つっていうわけです」
「……なるほど」
店主の話を聞いて改めてリディは外套に触れる。
「どうする? これにする」
アイシスはリディの顔を覗き込むように問いかける。
「そうだな、これがいいな。ご主人、この外套はいくらだろうか?」
「えーっと、この辺に値札が……」
店の主人は外套の内をごそごそと漁ると、付けられていた値札を取り出して値段を確認した。
「10万ジルですが、おまけして8万でいいですよ」
「いいのか?」
「お客様の前でこういうのもなんですが、売れ残りではありますからね。あぁいえ、決して質が悪いとかそういうことは断じてありません。ただ、こういったものの主たる購入層である一般冒険者の方には手が出しにくい金額ですからね。ご購入いただけるのはこちらとしても大変ありがたいですよ」
店主はリディから外套を受け取り、勘定台へと持っていく。
「サイズの調整は必要ですかね?」
「いや、私は少し長めが好みだし、今のままで大丈夫だ。それより、北の方の話について、他に何か知っていることはないか?」
「はて、最近もの忘れがひどくてですね。そういえば北の方で動きがあったことをこの間聞いたんですが、何のことでしたかね……」
そう言って店主はリディの質問をわざとらしくはぐらかす。
「アイシス予算はまだあるよな」
「えぇ、思ったよりも安く済んだからだいぶ余ってるわ」
リディはアイシスに振り返ると予算のあまりを確認する。元々30万ジルほど用意してくれていたはずだが、ニケのナイフとケース、リディの外套を合わせても20万は超えていないので、まだまだ余裕があった。
「あ、そうだ! スキレットも欲しいと思っていたんだ。店主、おすすめを教えてくれないか、道中で料理ができると便利だからな」
「はい、まいどあり!」
リディは店主に聞きながら、軽くて使いやすそうなスキレットを選び、購入する商品に加える。
「さてさて思い出しましたよ。北の方であった動きですが、さっきの豪魔素材の件なんですがね、北の方ではいくつか品が流れ始めてるっていう話を聞きましてね。もちろんすぐに買い手がついてしまうので、こっちにはまだ流れてきていないんですが、止まって以降ぱったり話を聞かなかったのに、何かあったんですかねぇ?」
「ほぅ、それは興味深いな」
リディはニケの方にちらりと目をやるが、ニケは特に反応を示さない。
「噂があったのはどこの町なんだ?」
「はて、なんていう町でしたかねぇ。すみません、またもの忘れが……。ところでスキレットの手入れや調理用にいい油があるんですがいかがです?」
「……いただこう」
「はい、まいどあり!」
リディは店主おすすめの油を購入する商品に加える。
「さてさて思い出しましたよ。噂のあった町ですがね、ヘニーノっていう田舎町ですよ」
「……ヘニーノ」
店主がヘニーノという名前を口に出したとき、ニケが復唱するようにつぶやいた。
「ここは高山地帯への入り口でしてね。昔の豪魔素材の仕入れ拠点もここだったはずなので、豪魔の狩人が復活したのか、はたまた豪魔を倒せるような強い別人が現れたのか、その先は私も把握できてないですね」
「いや、十分だ。いい話が聞けたよ。アイシス、すまないが会計を頼む」
「はいはい、私は話について行けてないから後でちゃんと教えてよね」
外套を買いに来ただけのはずが思わぬ収穫があった。
アイシスは店主に購入した商品一式の額を支払う。スキレットと油の値段に加えて情報料でも上乗せされるかと思ったが、価格は適正だった。ということはつまり教えてもらった情報も信頼できそうだ。
「ありがとう、いい買い物ができたよ」
「いえいえ、こちらこそ、今後ともどうかご贔屓に」
店を出ると空は赤く染まり始め、通りは家へと向かう多くの人で賑わっていた。
店の前に待機させていた馬車の馬は退屈そうに地面を蹄で引っ掻いていた。
「もっと安く済ませるつもりだったのだが、すっかり甘えてしまったな」
「何言ってるのよ、まだ大分余ってるわよ。こっちとしてはもっと贅沢してもらいたいぐらいだわ」
「ははっ、それはすまなかったな。こういう性分なんだ。余った分はアイシスの小遣いにでもしてくれ」
不承不承という態度ではあったが、アイシスはそれ以上は何も言わなかった。リディの性格も一緒に旅をして概ねわかっているし、ここで無理矢理金を使わせるのも本来の目的とは違ってくる。余った金は家に戻った時に父へと返すことにした。
「せっかく出しこのまま一緒に夕飯を食べましょうか」
「そうだな。宿の夕飯を断らずにでてきたから、私達の宿の食堂でもいいか?」
「いいけど、私も食べられるの?」
「宿泊客以外も使える食堂になっているから大丈夫だ」
そうして、リディ達は再び馬車に乗り込み、リディとニケが泊まっている『カッコウのとまり木』へと向かった。
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