第36話 出発

 領主の屋敷は周囲の家の数十倍の敷地を誇っている。敷地の周りは高い塀で覆われ、簡単には侵入できないようになっている。敷地内には庭園があり、美しい花々が入り口の門から屋敷への道すがら、訪問者たちを楽しませるように植えられていた。


 そんな屋敷の門扉の前にアイシスは立っていた。

 横にはアイシスに付き従う女性もいる。アイシスの侍女ケイファだ。


「リディアンヌ様ですね。お待ちしておりました」


 そう言ってケイファはリディに頭を下げる。姿勢の乱れないきれいなお辞儀だ。


「お話はアイシス様から伺っております。どうかアイシス様をよろしくお願いいたします」

「あぁ、……といいたいが」


 リディはアイシスに目をやると上から下へ視線を動かす。

 ふわふわの髪をカチューシャで押さえ、上は白いカーディガンに下はダークブラウンのスカート、手には大きな手さげかばんを持っていて、かばんには着替えなどが入っているのか大きく膨らんでいる。


「うん、やりなおし!」


 リディはケイファにアイシスの着替えプランを指示すると、二人はそそくさと屋敷へと戻り、しばらくしてさっきとは違う格好に変身したアイシスが戻ってきた。


 ふわふわの髪はうしろで縛り、上は長袖の厚手のシャツに下は長ズボン、荷物は半分にしてもらい、両手が空くように背負えるものを用意してもらった。

 一言で言えば野暮ったい、冒険者然とした格好だ。縛ったとはいえ、それでも整っているきれいな髪がアイシスがお嬢様であることをかろうじて主張している。


 当然だがアイシス私物にこれらものはなかったため、ケイファをはじめアイシスに背格好の似た屋敷の使用人の私物などを借りて回った。


「うん、野暮ったいな」

「あなたが言ったんでしょ!……って申し訳ありませんリディアンヌ様!」


 うっかりツッコんでしまったアイシスは、即座にリディに謝罪する。


「いやいや、今の私はただの冒険者だ。呼び方もリディでいい、今まで通りの言葉遣いで頼む」


 リディは一緒に行動する間は身分を忘れてくれとアイシスに頼んだ。

 その方が会話がしやすいというのもあるし、リディはその身分に似合わず、人にかしこまられるのが好きではなかった。貴族同士の会話というのは堅苦しくていけない。


「わ、わかりました」


 アイシスが了承の返事をするが、リディは反応しない。


「……違う」

「え?あっ!……わ、わかったわ」

「うむ」


 リディは満足げにうなずいた。


 旅の支度が整った三人はリディが事前に説明した旅の段取りを改めて確認する。

 今回の目的はダーロンとルナークという比較的最近被害にあった村の状況の確認だ。それぞれの村を巡るには普通なら徒歩で4日ほどかかるので、適当な場所で野宿することもありうる。食料品はまだ残っている干し肉と、これから街を出る際に市場を通って少し確保するが、基本的にはいつものように現地調達だ。


 旅の道中アイシスには必ずリディの指示に従ってもらうことも忘れずに伝える。今回の旅は魔獣退治ではなく、また被害にあった村にもすでに魔物などがいないことは確認済みであるため危険に遭遇する可能性は低いが、かと言って勝手なことをされても困る。

 集団行動でリーダーを決めておくことは重要だ。


 それらのことを確認し、いざ出発と相成った。


「さて、じゃあ出発だー!」

「おー」


 リディが掛け声を上げると、ニケがいつもの返事をする。その間にアイシスは何も反応できなかった。


「アイシス、もう一度だ」

「えっ、えっ?」


 アイシスの混乱をよそに、リディが再び掛け声を上げる。


「出発だ―!」

「おー」「お、おー」


 そんな揃わぬ掛け声が、リディたち三人の旅路のスタートとなった。

 腕を振り上げたリディの胸元で、いつぞや露店で貰った胸元のペンダントが揺れ動いた。


 三人の旅路で最初の関門となったのは街の門から外に出ることだった。

 アイシスが加わったものの女子供だけの集まりということには変わりない。例によって門を見張る警備に止められたのだ。


 リディたちの事件への捜査協力はポリムが個人的に要請した非公式なものだ。一般の憲兵には伝わっていない。そのため、いつものようにリディが憲兵に説明する。先ほどアイシスに着替えてもらって三人とも旅慣れた雰囲気の格好をしている。説明すればわかってくれるはずだった。


「君たちは3人か?女子供だけで街の外に出るのは控えてもらいたいが」

「見ての通り我々は旅慣れている。多少の魔物が出るぐらいなら問題ない」

「そう、か……ん?」


 憲兵の視線が止まったのはアイシスだった。

 アイシスの立場はまだ領主の娘だ。憲兵たちの中でも存在まで知っていても顔を知っているものは多くないはずだった。


「キミ、どこかで会ったことがあるか?」

「あら、ナンパの常套句ね。ごめんなさいそういうのは受け付けていないの」


 あらかじめこういう場合も想定していたのかアイシスは上手く受け流す。


「い、いや、そうではなく……」


 アイシスにナンパと言われた兵士は慌てて否定する。ここは人目もある。職務中の憲兵が女性をナンパしていたなど噂が広まれば憲兵隊における彼の立場が危うくなる。

 このまま押し切って街の外に出てしまおうとリディが思ったときだった。


「――何の騒ぎだ」


 その声がしたのは街の外側からだった。見ると憲兵とは異なる装備に身を包んだ数名の兵士がいる。


「こ、これはキドナ殿!」


 リディたちと話していた憲兵はキドナと呼んだ兵士の元へと駆け寄り、こちらを見ながら状況を説明しているようだ。


(キドナ、確か昨日アイシスが……)


 兵士たちの様子を見てアイシスは彼らの視線から逃れるようにリディの影に隠れる。


「アイシス、あれは?」

「うちの私兵の兵士長よ。間違いなく私の顔を知っているわ。でもなんで街の外から……」


 兵士にアイシスが貴族だということがばれれば、街の外に出るのを止められてしまうかもしれない。それがアキュレティ家の私兵ともなればなおさらだ。


「何があった」

「えぇ、あそこの三人が女子供だけで街の外に出ようとしていたので、引き留めようと……」

「そうか」


 憲兵から話を聞いたキドナがリディ達の方を見る。

 力の大きい領主になると私兵を雇用することはままあるが、その際には王国の公的な兵士である憲兵との折り合いが難しくなる場合もある。特に治安が悪化してくると互いに責任を押し付け合い、足を引っ張りあったりして余計に治安が悪くなるなど、悪循環になったりもする。


 得てしてそういう場合は、権力を継いだ二世貴族がまともに仕事をしないせいだったりもするのだが、キドナ達のやりとりを見る限りイダンセではそういう状況ではないようだった。だが、キドナとやりとりする憲兵の反応から、アキュレティ家の私兵であるキドナの力が強いようにリディの目には写った。


「お嬢さん方、おでかけかな?」


 キドナはリディ達の方へと近づき声を掛けてきた。

 アイシスと話していたリディが振り返ると、首元のペンダントがキラリと光って揺れる。


「あぁ、我々は国中を旅しているのだが、これから次の村へ向かうところなんだ」

「ほう、どちらの村へ?」

「さぁ?街道沿いに歩いて着いたところだから村の名前は知らない」

「目的もなく旅を?」

「私達は行きあたりばったりを楽しむのですよ。貴殿もどうです?」


 リディは自身の体でうまく、キドナのアイシスへの視線を遮りながら、真実半分嘘半分といったところの適当な話をキドナに告げる。


「お誘いはありがたいがね、私はここの領主アキュレティ家に雇われている身だ。この街の安全を守らねばならないのだよ」


 キドナは自身の職務を誇るようにニヤリとした笑みを浮かべる。


「そうか。ところで我々はもう行っていいのだろうか?」


 リディはキドナの話に興味なさげに話題を変える。


「街の外は魔獣も出ることもある。護衛はいないのか?金さえ払えば私の部下を護衛につけてもいいぞ?」

「いらん。『妹のアクア』は戦えないが、私と弟は戦える。問題ない」


 今までも魔獣とも戦いながら旅をしてきたことも補足する。


「ふん、自信だけはありそうだな」

「あぁ、だから問題ないと言っている。ではな」


 リディはさっさと話を切り上げて、キドナの横を通り過ぎようとする、が――。


「ちょっと待て、『妹のアクア』といったな。一人だけなぜ小綺麗な格好をしている」


 キドナが指摘したのはアイシスの服の汚れについてだった。

 リディとニケは長く旅をしているので、服にも多くの汚れがついている。しかし、アイシスの服はそうではない。今日卸したての服という訳ではないが、使用人から借りたものを含め、どれも都市生活内だけの汚れだ。短期間で洗濯もするし、リディとニケの汚れ具合と全く異なるのはキドナの指摘通りだった。


「妹の服はもう古くなっていたので、この街で買い替えたんだ」

「ちょっと見せてみろ」

「きゃっ!?」


 リディの後ろに隠れていたアイシスの腕を強引に掴み、キドナは強引にアイシスを引っ張り出す。そして、アイシスの顔がキドナの視界に入るようになる。


「ん?お前は……」


 アイシスの顔を見たキドナの動きが止まり、掴んでいたアイシスの腕をゆっくりと離す。


「…………問題ない。さっさと行け」

「えっ?」


 キドナは突然態度を変えると、リディたちを追い払うように遠ざける。


「アイシス、行こう」


 キドナに聞こえないよう小声でつぶやき、アイシスの腕を引いてその場を離れる。

 ニケは少しの間キドナを観察するように見ていたが、トコトコと遅れて歩きだす。


「危なかったけど、なんとかセーフだったみたいね」

「……だといいがな」

「なにか言った?」

「いや、なんでもない」


 三つの影は街から離れ、徐々に小さくなっていった――。



 アイシスたちが離れた後で、キドナは連れていた部下たちを集める。


「お前たちはここの見張りに加われ、あの女達が街に戻ってきたら私に知らせろ」

「彼女らは次の村へ行くと言っていましたが……」

「あいつらは絶対に戻ってくる……、必ず知らせろ。残りの者は私と作戦会議だ、出迎えの準備が必要だからな」


 一部の部下を残してキドナは領主の館へと戻っていった――。

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