第35話 朝食

 宿の朝は早い。

 早朝から食堂で食事を摂る客もいるので、ステルが朝早くから食堂のカウンターに立っている。

 ステルは『かっこうのとまり木』を営むゲハウトの妻で、朝の食堂の仕切りを担当していた。

 もうすぐ日の出の時間でようやく空が白み始めている。遠出をする予定の客たちがそろそろ増え始める時間だが、今日は客の起床時間が上手くずれているようで、食堂はまだ閑散としていた。


『かっこうのとまり木』で提供される朝食は、近所のパン屋から仕入れたパンに、ステル特製のおかずやサラダがいくつか、そして飲み物を『果実のジュース』『ミルク』『コーヒー』から選択する方式だ。

 パンの種類やおかずが日によって変わり、客を飽きさせない仕組みになっていた。


 宿の主であるゲハウトは夜、酒場を閉めるまでを担当しているため、朝のカウンターに立つのはステルの仕事だった。基本的に朝はステル一人で担当するが、客が食堂に来る時間が集中して、客を捌けなくなった場合に、娘のテルモを叩き起こし手伝わせるようにしていた。


 食堂と宿の受付カウンターの間には2階の客室へと繋がる階段がある。こつこつこつと、二つの足音が1階へと降りてくる。


「ふぁ~あ」


 あくびと共に二階から降りてきたのはリディとニケだった。リディはまだ眠そうに目を細めているが、ニケは普段と変わらない。しかし、ニケは普段から眠そうな雰囲気のある表情なので、実際に眠気を感じているかは分からなかった。


「早いね、遠出かい?」

「あぁ、朝食を二人分頼む」

「飲み物は?」

「私はジュースを、ニケは?」

「……ミルク、あったかいの」

「あいよ、席について待っとくれ」


 ステルは二人の注文を聞いて調理場の方へと向かい、リディのニケは適当な席に腰掛けた。


 調理場へ向かったステルはかまどが温まっていることを確認し、フライパンをかまどに乗せる。そして、その中に仕入れたパンを4つ放り込み適当に転がす。パンが温まったところで、皿に取り出すと、すぐにリディ達の元へと持っていった。


「はいよ、先にパンだ。温かいうちに食べるのがおすすめだよ」


 それだけ言うと、また調理場へ戻り今度はおかずを温め直す作業に入った。


「いただくか」

「うん」

「「いただきます」」


 リディとニケは二人とも手を合わせてから食事を始める。

 パンを手に取ると、少し熱いと感じるぐらいよく温められている。リディがパンを二つに割り、ステルがパンと一緒に置いていったバターを付けるとじんわり溶け始める。バターが垂れそうになったところにリディはパンに齧りついた。


 パンは表面は少し硬く、温められたことで中はふっくらとしていた。口の中でバターと混ざり合い、バターの塩気と合わさったパンの旨さは最強だった。


 リディたちがパンで舌鼓を打っていると、ステルが追加の小皿を持ってくる。スクランブルエッグにハム、サラダなど朝食としては十分な量だ。

 これで朝食と夕食の値段も宿代に含まれているのだからお得な宿である。


 リディとニケは朝食で十分に腹を満たし、今日の活力をがっつりと得た。


 部屋に戻ったリディたちは旅支度を整えていた。

 これからダーロンとルナークという村を巡るため、4日ほど留守にすることになる。そのための旅の荷物を作り直している。


「準備、大丈夫か?」

「うん」


 リディもニケもいつもの旅のスタイルになって部屋を出る。

 部屋の鍵を閉めてリディたちが階段を降りると宿のカウンターにはテルモが座っていた。


「あら、おでかけ?」

「あぁ、鍵を預けるんだったな」

「はい、確かにお預かりします」


 テルモは鍵を受け取ると何やら記帳し、鍵をカウンター内の引き出しにしまう。


「4日ほど留守にする。その間、朝食と夕食はなしで大丈夫だ」

「4日も!?」

「何か問題が?」

「いえ、ウチは問題ないですが、私が言うのもなんですけど、お金もったいなくないです?」


 宿は10日でとってある。そのうちの半分近くをリディたちは留守にすることになるので、テルモの反応は当然だった。


「もともとイダンセで使うためだけに稼いだ金だから問題ないさ。それに留守にしている間に満室になっても困るしな」

「はぁ、貴族の方みたいなお金の使い方をするんですね」

「そうか?」


 テルモに言われるまで自覚はなかったが、この宿でのリディの金の使い方はまさに貴族のソレである。庶民であれば、よっぽどの考えなしでなければこんなに豪気な金の使い方はしないだろう。


「じゃあ、いってくる」

「お気をつけて」


 リディがテルモに挨拶をする横でニケはペコリとお辞儀をして、二人は宿の外へと出た。


 アイシスとはアイシスの家で落ち合うことになっている。時間はまだ早朝だが、街はにわかに動き出している。石畳をガタガタと音を立てて進む荷車が宿の前を通り過ぎていく。市場へと商品を運んでいるのか、荷台にはぎっしりと荷物が積まれていた。


「この道を真っ直ぐ、でいいの?」

「そう言っていたな」


 昨日アイシスと今日の段取りを確認したときに、アイシスの家への行き方を教えてもらった。『カッコウのとまり木』から憲兵の詰所とは反対の方向に真っ直ぐ進むと着く、とアイシスは言っていたので、それに従い昨日とは反対側へとリディとニケは歩みを進める。


 昨日とは違った街並みの中をリディとニケは通り過ぎていく。パン屋の前を通り過ぎれば、さっき食べたパンに勝るとも劣らない芳しい香りが漂い。食料品を扱う店では今朝仕入れたであろう、みずみずしい新鮮な野菜を店頭に並べているところだった。


「歩いていけばわかると言っていたが……」


 昨日のアイシスの説明は詳しい地図や住所などはなく、『行けばわかるわ』と言われただけだった。そして、しばらく歩き続けるとアイシスがそう言った理由がわかった。リディたちから見て左側の建物の列が、あるところを境に突然途切れたのだ。

 街並みが途切れたところからは長い塀が作られている。そして、塀の先へ視線を送ると、その敷地の入口と思しき門扉があり、そこに一人の少女と少女に付き従うように女性が立っている。


「遅かったわね。さぁ、いきましょう」


 少女はリディたちを待っていたアイシスだった。

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