第46話 誤解していたわ
酒場での事件が心に引っかかって寝付けない。
何か新しい情報がないだろうか。彼が犯人ではないという証拠があれば、安心できるのに……
私の不安を解消してくれる材料がどうしても欲しかった。
「…………」
私はベッドから起き上がり、暁の空を眺めた。そして、寝床のすぐ傍に置いてある地球由来の手持ち時計を確認する。
時計の針は12時近くを指している。この世界の1日の周期は地球とは異なっている。私はズレを逆算して時刻を導き出す。今はおよそ5時だ。
昨日、高梨くんが牛乳配達に来たのは8時ころ。
町民から聞いた話によると、エルさんの家までは町から2~3時間かかる。今出発したら向こうに着くのはちょうど高梨くんがこの宿を訪れる時間帯だ。
寝間着を脱ぎ、外出用の動きやすい服装に着替える。事前に準備しておいた毛糸のコートを羽織って部屋を出た。
アントーレとエルさんの父親の因縁を調べれば、活路が開けてくるかもしれない。他に当てはない以上、そこに期待せざるを得ない。
◇ ◇
「ふぅ……ようやく着いたわ……」
高原にログハウスがぽつんと建っている。眩しいくらいに日が照っているころ、エルさんの家に到着した。
途中、高梨くんに遭遇しないよう注意して登ったが会うことは無かった。迷ってしまわないために踏みならされた道を選んで進んだはずだが、彼は別ルートを使ったのだろうか。
私はコンコンと遠慮なくドアをノックした。ギィと木が擦れる音を鳴らし、ドアが開かれた。
「どうかしましたか? 忘れ物ですか? …………あれ?」
はつらつとした声を上げて、ウェーブがかかった薄緑色の髪の少女が顔を覗かせた。
「こんにちは。高梨くんに用があって尋ねたのだけれど……もう配達に向かってしまったかしら」
まったく合理的じゃない言い訳をする。理由は何でもよかった。きっと彼女なら邪険に扱わない。
「レイカさま! おはようございます! ツバキさまはついさっき配達に向かっちゃいました。お昼には帰ってくるので、是非ここで待っていてください」
キラキラと瞳を輝かせて私を招き入れるエルさん。想像よりずっと手厚く歓迎してくれた。
高梨くんが出かけたのは、ついさっき? 移動に使えるスキルを保持しているのだろうか。
木の温かみを感じる室内に入り、椅子に座るよう促される。
「お客さんが来るのは久しぶりです。どうぞお好きなようにくつろいでください!」
エルさんと二人で雑談をして過ごしている。本当は隙を見て部屋を探るつもりだったが、エルさんは私と話したがっているようすで傍を離れようとしなかった。
私は……彼女を誤解していた。ここに来るまでは高梨くんに警告したように、エルさんは裏の顔を隠していると思い込んでいた。
だが、こうして二人きりで会話をしていると、すぐにわかった。
彼女は慈愛に溢れていて、裏表がない、とても真っすぐな人。
私が取るに足らない話をしている間も、楽しそうにニコニコと明るい笑みを浮かべている。
エルさんは、まるで心の距離を感じさせない。親しい間柄ではないはずなのに、同じ空間にいるのが心地よく思えるほどだ。
――高梨くんがうっかり惚れてしまったのも仕方がないことね。
ある種、魔性の女。他人を惹きつけて虜にする凄まじい魅力の持ち主。人形のように整えられた可愛らしい容姿と女性的な魅力が満載の体型も含めれば、彼女に魅了されない男性はいないと断言できる。
そんなエルさんは、口癖のようにあることについて語っていた。
「それでですね! そのときツバキさまは――」
嬉しそうに彼の話をし続けている。随分と高梨くんのことを気に入っているようすだ。
――もしかして、脈あり……なのかしら? いや、さすがにそれは無いわね。
そもそも、あの男が、自分が男であったことを彼女に告げているわけがない。男だとさえ認識されていないはずだ。
そうこうしていると、見慣れた雰囲気で見慣れない顔の女が部屋に入ってきた。
「ただいまだ」
未だにスタート地点にすら立っていない哀れな元男が帰宅したようだ。
◇ ◇
「まさか、こんな秘境があるなんて……」
エルさんに案内された天然温泉に私は浸かっている。
今日は無理を言ってエルさんの家に泊めてもらうことにした。
昨日から続くモヤモヤがまだ晴れない。とてもベルトスさんたちと一緒に過ごせる気分ではなかった。どうしても、あのことが頭をよぎってしまうからだ。
「今日は収穫無しか……」
調べた限りではアントーレとエルさんの父親の因縁は、今回の事件には関係が無さそうだ。
明日からどうやって調査を進めようか悩んでいると――
何者かがこっそりと近づいてくる足音が聞こえた。
「あの男……去勢されたはずなのにまだ性欲が残っていたようね……」
胸を隠しながら周囲を警戒する。姿を見せたら、どんな罰を与えようか考えていると……
「――――っ!!」
予想外にも、目の前に現れたのは――例の黒甲冑を装備した人物だった。
咄嗟に両腕を温泉に浸して、最悪の事態に備えた構えを取る。
「私を殺しに来たの? どうして!?」
まったく表情が伺えない兜を見つめて話しかける。襲われる恐怖より、戸惑いの方がずっと強かった。
「――――」
彼は私の疑問には答えず。ジワジワと距離を詰める。
「あなたは――ベルトスさん、なのよね? 事情があるなら教えて欲しい。きっとあなたの力になると誓うわ!」
「――――」
心の底から湧き出た言葉に耳を貸す素振りを見せず、彼は黙って歩み続ける。そして、私のすぐ目の前で立ち止まった。
そのまま、容赦なく持っていた大剣を振りかざした。
今の私は無防備な裸体だ。数秒後、抵抗できずに身体を引き裂かれてしまうだろう。
だが――そうならないための準備はしてある。
彼の剣が振り下ろされるタイミングに合わせ、私は温泉に隠していた両手を引き上げた。
両手は固体に変化した温泉水――分厚い氷の塊に埋められていた。
【
氷の盾で大剣の斬撃を受け止める。
盾は轟音と共に一太刀で砕け散った。私はその衝撃を受け、吹き飛ばされる。
――これでいい。狙い通りよ。
私では太刀打ちできないのは明白。逃げてもすぐ追いつかれて斬られる。
私が生き残るには、小屋にいる彼らを呼び寄せる以外に道はない。勢いよく氷が砕けた音が響けば、彼らまで届く可能性がある。
高梨くんなら高速移動で逃走することが可能。エルさんは私の読みが正しければ、ベルトスさん相手でも交戦することができる。
彼らが来てくれることに賭けるしかない。
空を舞い、遠く離れた地面に墜落する。ぼんやりと意識が薄れていく……
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