第35話 資格があるだろうか

「エル……どうして……」


 信じたかった。でも、そんなはっきりとした証拠を見せつけられたら……


 かすれた声で疑問を発すると、俺の動揺にまだ気がついていないエルは、こちらを伺って驚嘆した。


「ツバキさまッ! 大丈夫ですか! 今すぐお薬を準備します!」


 強引に先が見えない山道を走り、自傷した俺の体に驚いているようだ。


「そんなの後でいい! なあ、エル……あれは……エルがやったのか?」


 エルは――再度驚愕の表情を浮かべた。バツが悪そうに俯く。


「見たんですね……。あれを見たらツバキさまが傷つくかもと思い、隠そうとしました。でも、そうですか……」


 目の前の妖精のような少女は自らの罪を自白した。俺は……それを聞いても、なお、受け入れることができなかった。


 出会ってからまだ一週間程度。それでも、朝起きて、食事をとって、牛の世話をして、町に行って……いつも一緒だった。だから過ごした期間以上に彼女のことを知っているつもりだった。


「どうして……あんなことをしたんだ?」


「それは……生きるためです。わたしが生き続けるためには必要なことなんです……」


 エルはあの男に商売を禁止させられた。それをどうにかしなければ、これから先、生きていけないのは明らかだった。城崎が考えた宅配では、その場しのぎにしかならない。あいつらはアルージュに永住するわけじゃないからだ。


 エルはうなだれながら話を続ける。


「今日わたしは朝から準備をしていました。本当は、ツバキさまに告げておくべきだったのかもしれません……。でも、ツバキさまがそれを知ったら、わたしのことを嫌いになってしまうかもと思ったんです。わたしは……ツバキさまに嫌われたくなかったんです」


 エルは手にしていたナイフとカンテラを床に落とし、背負っていた袋をストンと降ろした。そして、両手で顔を覆って、わんわんと泣き始めた。


 クソ……俺がエルの苦悩に気づいていたら、凶行を止めることができたのに……。城崎の戯言に気を取られている場合じゃなかったんだ。ちゃんとエルに寄り添うべきだったんだ。


 ――俺は、どうすればいい。


 大好きな女の子が目の先で辛そうに泣いている。でも、その少女は酒場で大勢の人を殺めた犯人だ。その行為を簡単に見逃すことはできない。


 優しく抱きしめて温かい言葉をかけるべきか、あるいは叱咤して罪を償うように進言すべきか……


 ――答えを決めた。俺は……


 一歩、また一歩とエルに近寄る。告げる言葉を準備し、泣き続ける彼女を見据える。


 ……ふと、視界の端に気になるものが映った。エルが背負っていた袋から中身が少しだけ顔を覗かせている。テカテカ光る赤い塊。


「……?」


 あれはなんだろう? 袋の口を更に注視した。


 それは、肉塊だった。ほどよく脂肪がのった鮮紅色のきめ細やかな切り口が……なんというか、食欲をそそる。


 エルは美味しそうな肉が入った袋を持っていた。


 ……あれ? もしかして、俺は何か勘違いをしていたのでは……?


 恐る恐るエルに問う。


「な、なあ、エルはさっきまで何をしていたんだ?」


 すると、エルは目の端から涙を流しながら、声を絞り上げる。


「ぐすっ……わたしは、アンドレアス三世を絞めて捌いていました。この前、ツバキさまが跨って一緒に遊んでいた牛さんです」


 ………………牛、だと……?


「ううっ……本当にごめんなさい。ショックですよね? あんなに仲良くしていた子が死んでしまったなんて……」


 そういえば、前に雄牛の上に乗ってみたことがあったっけ? 勝手に乗ったら嫌がられて、すぐにふるい落とされたんだったな。あれは遊んでいたように見えなくもない。


 ちょっと待てよ……。ということはエルは……


 持っていたナイフにベットリとついた血。元々少しボロかったらしい服にも多々付着している。そして、袋の中に入った牛肉。それから類推すると……


 ただ、牛を捌いていただけか!?


「なんでこんな遅い時間に!?」


「どうしても、夕飯に新鮮なお肉を食べて貰いたかったんです……。ツバキさまがその現場を見たらきっとショックを受けてしまうと思って、こっそり捌いていました。まさか、見てしまわれたとは……。ごめんなさい、牛さんを殺してしまうなんて残酷でしたよね……」


 いや、謝るのは俺の方だ。本当に申し訳ない勘違いをしていた。


 俺は床に膝をつけると、両手を地面に置き、頭をこすりつけた。


 日本伝統の体を用いた最上級の謝罪。そう、土下座だ。




    ◇    ◇




 その後、エルをなだめて、なんとか誤解を解いた。でも、あの親子が殺されたことは伏せた。俺はエルがそれの犯人だと疑っていたことを気づかれたくなかったからだ。……みみっちい男だ。


 アンドレアス三世のステーキは凄く旨かった。俺は調味料を何も使わず、焼いただけの肉を食したが、とろけるような柔らかさとあふれ出る肉汁が十分すぎるほど深い味わいをもたらした。


 エルは思い違いしていたようだが、俺は暴力は嫌いでも動物を殺して食べることを否定しているわけではない。俺が生きるためには命を口にしなければいけない。生きるために必要な行為を否定するつもりはない。理由ない暴力が嫌いなだけだ。


 改めて食べるという行為の意味を学んだ俺は、せめてもの贖罪のために、食事の前後に両手を合わせて感謝の言葉を告げた。


 ありがとう、アンドレアス三世。お前の肉は最高だったぞ。


 ベッドに寝転びながら、俺は考え事をする。隣ではエルがすーすーと寝息を立てて熟睡している。


 ……俺はダメな奴だ。完全にエルを疑っていた。


 いや、あの直後にあんな姿を見たら誰だって勘違いすると思うけど……


 俺はゲームなんか放り投げて、エルと一緒にここで暮らすのも悪くないと思っていた。きっと神様も悪くは思わないはずだ。元からそれを推奨していたしな。


 他の地球人だけが気がかりだから探す必要があるが、全員の無事を確認したらゲームを降りていいだろう。


 ――だけど、今日あんなことが起きて、俺はエルを最後まで信じ切れなかった。


 こんなことを考えてしまう。もし、立場が逆だったとしたら……エルは俺のことを最後まで信じてくれるんじゃないか……と。


 傷が痛む体を抱えて、物思いにふける。




「俺に……エルと一緒にいる資格があるだろうか?」

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