第31話 依頼受諾
「ミュウ、首を斬り落としても無駄なんだな?」
「資料によるとそうですね。王都にあった虚無に関する資料で、たまたま目を通していた程度ですが」
町の外が慌ただしくなってきた。
どうやら虚無は、予想どおりにトレスト、シップランドを目指しているようだ。
シップランドへの到達まであと一週間ほど余裕があるはずだが、すでに荷を纏めて逃げ出そうとしているハンター、船主、領民たちの姿が目につくようになった。
シップランド子爵家の屋敷でも、引っ越しの準備を始めたようだ。
きっとガルシア商会も同じであろう。
「サンドウォームの口がある先端部分は、正確には頭ではないそうですよ。つまり、斬り落としても無意味です」
「では、どこにあるんだ? 虚無の頭は」
「ないんです。そんなもの」
つまり、サンドウォームはプラナリアみたいな生物というわけか?
斬り落とされた部分も再生して数が増えたという話は聞かないので、まったく同じではないのだろうけど。
「いくつかに切り分けたとして、一番大きな部分がすぐに再生してしまうのです。再生しなかった破片はすぐに口から回収し、また栄養にしてしまいます」
つまり、虚無を斬り裂いても意味はないのか。
そもそも、話に聞いた大きさからすると、二つに斬り裂くのも非常に困難であろうが。
「氷漬けにしても死なないんだろう?」
「意味がないそうです。氷が溶ければ、すぐに動き出すとか」
暑い砂漠で虚無を氷漬けにしたとしても、その維持は非常に困難だ。
まさか氷が溶けないよう、永遠に魔法をかけ続けるわけにいかないのだから。
「火魔法で焼くのも、現実的ではないですね」
虚無の巨体を焼き尽くす魔法など物理的に困難で、表面だけ焼いてもすぐに回復してしまう。
かといって、全長一キロ越えの砂獣を短時間で焼き尽くすのも困難だ。
ましてや、ミュウの得意な魔法は氷魔法だからな。
火魔法は火付けくらいしかできない。
「となると……毒かな? 砂獣だから、生き物であることに変わりはないよね?」
「ええ、砂獣は間違いなく生物です。毒ですか……毒も考えた人はいると思うのですよ」
「巨体ゆえに、沢山の毒が必要だろうな。接近して大量の毒を虚無の体内に入れるのも困難そうだ」
ララべルの言うとおりで、毒を使って虚無を倒す場合、とにかく量が必要だ。
短期間で、大量の毒が用意できるのか。
それだけ大量の毒を扱うとなると、防毒にも配慮しなければ、私たちの方が先に死んでしまう。
「難しいな」
「ですね」
「だから、ガルシア商会の当主殿は忙しいのであろうな」
なんとか虚無を倒す……のは無理だとしても、なるべく被害を少なくして逃げ出す算段が必要だからだ。
それでも、シップランドは壊滅する。
貴重な自然や畑も消えてしまうので、戻って来てからの復興も大変であろう。
「人も沢山死ぬでしょうね」
「水か……」
グレートデザートは砂漠だらけで、水は中央海と少ない河川、オアシスからしか手に入れられない。
シップランドに住む沢山の住民たちが町から逃げ出すことに成功しても、砂漠の中で水不足で死んでしまう人も多いはずだ。
人間は、水がないと生きていけないからだ。
これだけ暑い砂漠の気候だと、大量に汗をかくのでかなり多くの水を摂取しなければいけないからだ。
しかも夜は逆に寒くなる。
防寒の備えもしないと、最悪凍え死ぬ者も出るであろう。
「虚無が粗方吸い込んだあとの水源に、何日で戻れるんだろう?」
虚無が去ったあと、どうにか水源しか残っていないシップランドに戻ったとして、なにも残っていないで被災生活に入らなければいけない。
町の再建には莫大な時間がかかり、その間にも死者は増えそうだ。
この砂漠の世界は、なにも備えがない人間を容赦なく殺していくのだから。
それも、弱い人間からだ。
「シップランドに戻れるのに一週間と見て、その間に女性、子供、老人の多くは死ぬでしょうね」
水は嵩張るので、そんなに持ち出せない。
逃げ出そうとする住民たちが一斉に水を汲もうと水源に殺到したら、今度は避難が遅れてしまうであろう。
かといって、必要な水を持たずに砂漠に逃げ出したら人は確実に死ぬ。
砂漠で暮らせるように少しレベルを上げたくらいでは、砂漠に何日も野営するのは厳しいからだ。
レベルを上げていない子供や女性、体の弱った年寄りは耐えられない人が多いであろう。
「なんとか倒せればいいのだけど」
「タロウ殿、それはなんの罪もない人たちが可哀想だからか?」
「ララベルは厳しいことを聞いてくるな。勿論、それだけじゃないよ」
このまま新造船で逃げ出すのもアリと言えばアリだと思うし、その選択から出てきた批判は甘受するしかない。
今の私たちの不安定な立場では、そうすることもやむをえないからだ。
「シップランドも、私たちも、バート王国に対しては微妙な立場にいるからだ」
ララベルとミュウは実質島流し状態で、しかもそのオアシスの水源が枯れたので逃げ出してきた。
あの王様からすれば、『せっかく領地を与えたのに職務怠慢だ!』と二人を処罰する口実を得られたわけだ。
シップランドは、虚無騒動のドサクサでバート王国に支配されてしまうかもしれない。
私は言うまでもない。
もし私が生きていることが王様に知られたら、暗殺者を差し向けられかねない。
「かといって、私も永遠にその正体を隠しながら生きていけるわけもない」
「いつがバレるのは必定だな」
「どんなに上手くいっても、五年後にはバレますよね」
五年後、あの王様が再び『変革者』の召喚を試みた時、私が生きているので召喚は失敗してしまう。
そうなった時の、あの王様の怒りは想像に難くない。
当然私は王様から狙われるので、王都南西部の公的にはバート王国領ながら、実効支配が及んでいない地域が重要になるのだ。
「共に、バート王国に対抗できる仲間というわけですか」
「向こうが私たちを仲間だと思っているとまでは楽観していないけど、今のシップランドを生かしておいた方が、私たちに都合がいいわけだ」
シップランドも、バート王国の実効支配に抵抗している。
虚無騒動のドサクサでバート王国の支配下に入ると、ここを拠点に南西部の実効支配が進むかもしれない。
「できれば虚無を倒し、それを食い止めたいところだ」
「他国に逃げるという選択肢もあるがな」
「それもアリなんだけどね」
外国に逃げたら必ず安全という保証もなく、それに将来の選択肢は多い方がいい。
おっさんなりの安全策というわけだ。
「こういうのを、私のいた国では『情けは人のためならず』と言うのさ」
「それって、人に情けをかけるのはよくないって意味では?」
ミュウが、そういう風に解釈するのも無理はないか……。
「近年、私がいた国でもこの言葉の意味を誤解している人が増えたけど、この言葉の本当の意味は『人に情けをかけるのはその人のためだけではなく、やがては巡り巡って自分に返ってくる』という意味なのさ。私は善人ではないので、ただのボランティアで虚無の討伐を考えているわけではないさ」
「それを聞けて安心しましたよ」
どうやら、少し声が大きかったようだ。
当然私たちが滞在している部屋の中に、ガルシア商会の当主が入ってきた……とはいっても、さすがに気がついていたけど。
「やはり気がつかれていましたか。『変革者』殿」
「あなたは最初から、私の正体に気がついていたのでしょう? ララベルとミュウの正体がすぐにわかるのだから、王都に召喚されてから一ヵ月ほど。レベル上げで砂獣退治を続けていた私の顔を調べられないわけがない」
有利に商売をするには、情報収集が大切になる。
私は顔を隠していたり変装しているわけでもないので、気がつかれて当然。
あくまでも、ガルシア商会の当主くらい大物商人ならという条件はつく。
王都にいた頃、ほぼ兵舎と砂獣の住む砂漠を行き来していた私の顔を知らない貴族たちというのはかなり多かったからだ。
王様は私を始末しようとしていたので、むしろ私の顔を知らない貴族の方が多かったくらいなのだから。
「随分と余裕なのですね。シップランドにバート王家からの刺客が潜んでいるとは思いませんか?」
「いてもねぇ……その人は長生きできないでしょう」
私は鈍いが、ララベルとミュウはそうはいかない。
すぐに殺されてしまうだろう。
「その前に、私が生きていることに気がついているバート王国貴族がいますか?」
「いませんね。先日話した教会経由での情報から、王自身が確信したのですから」
可哀想に。
教会の口座に入っていた金をイードルクに変換したのが功を奏したわけだ。
もっとも、教会としては突然私の口座が消えてしまったので、これは教会の銀行システムに重大な欠陥でもあるのではないかと戦々恐々としている……だから教会も、私の口座が突然消えた不祥事を隠そうと必死なのか。
なら、余計にバート王国が気がつくわけがないな。
「ですが、いつかはバレる」
「外国に逃げるという手もあります」
「そう判断を急ぐ必要はないのでは? ちょっと条件が変わりました。突然虚無の侵攻速度が上がり、明日にもトレストが虚無に襲われます」
虚無がどれだけの速度で動くのか。
サンドウォームは、砂の海を泳いで移動すると言われているので意外と早く動ける。
巨体である虚無が普通のサンドウォームほど早く移動できるとは思わないが、その気になれば高速移動も可能ということなのであろうか?、
「トレスト男爵家はどうするのです?」
「救援は間に合わないでしょう。バート王国に支援を要請するかしないかの不毛な議論で時間を潰しすぎました。我々の援軍も間に合わず、急ぎこちらに逃げて来るそうです」
私の問いに答えるガルシア商会の当主の顔を見ると、不機嫌さを隠そうともしなかった。
虚無に対して碌な対策も取らず、ただ不毛な言い争いで時間を使ってしまい、挙句に故郷であるはずのオアシスを守る努力もせず逃げ出してくる。
ガルシア商会はシップランド子爵家に繋がる者なので、トレスト男爵家のいい加減さに怒っているのだと思う。
「受け入れるしかないですが、トレスト男爵家は平民に落ちる。なにか特別扱いを求めた時点で追放します」
「トレスト男爵家はどうでもいいですけど、領民たちを全員受け入れて大丈夫ですか?」
「なにもなければ大丈夫です」
元々、シップランドは貿易で食料を輸入しなければ生きていけない。
それでも貿易中継地点として栄えているので、人口が多少増えても食わせられないわけではないのか。
ただ、トレストで生活していた頃の生活水準と同等の暮らしができるかどうかは怪しいところだな。
砂漠で乾き死ぬよりはマシなのであろうが。
そして、彼らにその生活を強いる原因となったのは、いい加減な統治者トレスト男爵家というわけだ。
「オアシスの統治者に無能はいらないのです。無能を上に置けば、民は砂漠で乾き死ぬのみなのですから」
バート王国のように、王様は微妙でも、これまでに築き上げた統治機構や遺産のおかげで潰れずにいるところもあるけど。
小さいオアシスほど、無能な統治者は許されないわけか。
「トレストのオアシス。いりませんか?」
「いらないですね」
変に拠点などない方が、私たちは快適な暮らしができるからな。
シップランドの隣というのもよくない。
シップランドは貿易中継地点のため、バート王国の影響力が強すぎるのだ。
「もっと南西に逃げるということでしょうか? しかしながら、今逃げると将来シップランドがバート王国の影響下に入ってしまう。そうなれば、あの王様は南西部の未把握地帯に手を出してくるでしょう。そうなれば、今逃げても同じことです」
「つまり、シップランドを前線に、バート王国に抵抗するわけですか?」
「手を貸していただきたい。ララベル殿とミュウ殿が王より与えられたオアシスは、水源が枯れてしまったため放棄した。これは、領地を放棄した正当な理由になります。ララベル殿が新しいトレスト伯爵になればいいのです」
「あの兄が首を縦に振るかな?」
その力を怖れて島流しにした妹が、シップランドの隣にあるオアシスの新しい領主になる。
あの王様だと認めないかもしれない。
「間違いなく認めると思います」
「当主殿、確信があるんですね」
「これまでの話を聞くに、あの王様は変に外の目を気にする人ですからね」
そういえば、私もわざわざ一ヵ月レベルアップさせ、ウォーターシティーに向かう途中の船で謀殺しようとした。
手間をかけたくなければ、召還されたその日のうちに暗殺してしまえばよかったのだから。
ララベルとミュウも同じだ。
サンドウォームの巣に囲まれているとはいえ、ちゃんとしたオアシスを与えた。
水源が枯れた件については、誰にもわからないことなので予想外のはず。
この二人も、将来自分の脅威になると思うのなら、謀殺してしまえばよかったはずだ。
「彼の言う、新しい強力な統治体制とやらがいまいち中途半端なのは、どこか他人の目を気にするからでしょう。幼少の頃のトラウマかもしれませんね」
「大兄様はとても優れた方で、父王にも家臣たちからも愛されていた。兄も別に無能というわけではなく、優秀な方だと思うが、大兄様に比べるとな。それでよく、父や家臣たちに認めてもらおうと色々やっていたな」
あの王様の根底には、亡くなった父親や、急死した兄を支持する家臣たちに認められたいという感情が根強くあるのか。
だから、自分の評価を下げることはしたくない。
『変革者』の暗殺は、怪しまれるので王都内ではやらなかった。
ララベルとミュウも、貴族として領地を与える名目で追放に留めたのか。
「だから、水源のみとなったトレストの新領主がララベル殿でも問題ないわけです」
「どうせ虚無のせいで、トレストには水源しか残りませんからね。シップランドがバート王国の手に落ちれば監視も容易い」
「と考えるはずです。というわけで、虚無の討伐を引き受けていただけませんか?」
「本当に駄目元ですよ。命を賭してまで戦わないですし、そうなったら逃げるかもしれません」
「構いません」
いよいよ切羽詰まって、打てる手はすべて打つという感じか。
トレストの避難民を受け入れつつ、間もなくシップランドに迫る虚無に対抗するか、トレストの避難民たちも連れて逃げる。
壊滅したシップランドを再建しつつ、バート王国のシップランド実効支配にも対抗しなければならない。
まず無理だな。
「正直に言いますと、私たちだってシップランドが救えると思うのなら、あなた方を裏切ってあの王様に差し出すことだってあり得るのです。卑怯と思われるかもしれませんが、これもシップランドを守るため。シップランド子爵家とガルシア商会を二つに分けたのもそういう理由からなのですから」
「「当主殿?」」
「二人とも、落ち着いて」
ガルシア商会の当主の話を聞き、ララベルは剣に手をかけ、ミュウもすぐさま魔法を唱えられるよう準備を始めたので、私は二人を止めた。
「あなたは商人なのに正直ですね。普通は思っていても言わないですし、言ったら裏切りの成功率が下がりますよ」
「虚無に勝てるのであれば」
「私は、バート王国の王様から出来損ないの『変革者』だと評価され、処分されかけたのですが……」
「私は商人なので、多少は人を見る目はあります。少なくとも、あの王を名乗る若造よりはね」
「試してみる価値がある策はあります。駄目元と思っていてください」
「お願いします。シップランドを救ってください」
私はガルシア商会の当主から、巨大なサンドウォーム『虚無』の討伐依頼を引き受けたのであった。
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