嘘の恋
「陽菜、もう……別れよう」
デート後の別れ際、突然美穂が告げた。二人は半年近く付き合っている恋人であり、小学校からの幼馴染みでもあるのだ。
美穂はこんな結末になると予想していなかった。恋が実ったと思えば逆に苦しくなって、逃げたくなるなんて思ってもいなかった。
「え、どうしてそうなるの?」
陽菜は美穂の急な言葉に戸惑いを隠せなかった。ほんの数分前まではいつも通りだったのに、何が起こったのかよく分からなかった。
「私たちさ、合わないと思うんだ。ただそれだけ」
美穂は陽菜に背中を向け、短く息を吸う。
「じゃあ、また」
美穂は涙を堪えながら自宅へ帰って行った。陽菜は彼女を追うことも、見送ることもできずに口を噤んで俯いた。
きっと美穂は、陽菜の本当の気持ちに気がついてしまったのだろう。というのも、陽菜は美穂を
陽菜は今になって自分の行いが偽善であったことを知り、喪失感に苛まれた。
夜の町に取り残された陽菜は、街灯に引っ張られるように帰宅した。その間もずっと美穂のことを考え、明日のことを考え、好きな人のことを考えた。
陽菜は家に到着するなり自室のベッドに横たわった。恋人という関係をどうにかしたいと思っていたこともあり、泣こうにも泣けない。
明日から学園祭の準備が始まる。美穂とは別の班だったが、陽菜の好きな人である
しかし、そこで翔とあからさまに仲良くしたら、美穂に申し訳ない。でも、好きな人と仲良くなるチャンスは貴重である。そのジレンマで長い夜になった。
――翌日。
陽菜が教室に入ると、美穂と目が合った。美穂は別れたことによって、関係が崩れていないことを願う。しかし、陽菜がすぐに目を逸らしたせいで、挨拶を交わさずに学園祭準備が始まった。
気まずさと淡い期待はすれ違う。陽菜は美穂の対応に焦り、美穂は陽菜が何もしないことに失望する。朝練終了の鐘が鳴った。
クラスの出し物はお化け屋敷で、陽菜の担当はお化けの衣装作りである。そのため、道具を持って他の空き教室で作業が行われた。
「陽菜、美穂と何かあったの?」
作業をしていると、友達の彩が話しかけてきた。おそらく、朝のやり取りを見ていたのだろう。
「まぁね。実は、美穂と別れたの」
自身で言って事実を確認しなおすと、胸が締め付けられるように苦しい。
「えっ⁉︎ 嘘、なんで別れちゃったの?」
「……多分、私が嘘ついていたから」
黙々と作業していた翔が手を止めた。
「嘘ってどういうことだ?」
陽菜たちの話を聞いていた翔が反応した。他のメンバーも興味ありげに陽菜の方を見る。
「その……確かに、美穂のことは親友として好きだった。でも、恋愛対象として好きな人は他にいたわけ。それがバレたのかも……」
「親友だから傷つけたくなかったってことか……?」
「うん……。やっぱり、酷いことしたかな。謝った方がいいよね」
「そうだな」
「今日の帰りにでも謝ったらどう? 私が美穂を連れてくるから」
「そうしようかな。ありがとね」
陽菜は二人に背中を押され、美穂と話す勇気を得た。きっと大丈夫だと自分に何度も言い聞かせた。
放課後、予定通り彩が校門前に美穂を呼び出し、陽菜はそこで待った。
外はすでに真っ暗で、風が吹けば体の奥底から震えが生じる。陽菜は手先が冷えないように両手を擦り合わせて、美穂を待った。
「あっ、美穂……」
「何?」
声をかけたが、今までよりも距離を感じる。「ごめんなさい」の一言が冷えた喉に突っかかりそうになった。しかし、美穂に対する強い思いが言葉を紡いだ。
「ごめんなさい」
陽菜は深く頭を下げ、短い髪を揺らした。
「美穂と気まずくなりたくなかっただけで、別に好意を踏みにじる気はなかったの。だから、許してほしい」
「私がどれだけ苦しんだかわかる? 親友でもあったから、関係が崩れることも怖かった。だからこそ、私を受け入れてくれて、とても嬉しかった」
陽菜はただ自分の足元を見続ける。
「でも陽菜はさ、ずっと翔のことばっかり見て、時には私と会話してても上の空。なんの覚悟もないのに安易に私の告白をOKしてさ、最低だよ! あんたはもう、私の友達でも何でもない!」
美穂の言う通り、陽菜は美穂を好きになろうという気持ちもないまま付き合うと決めた。そして、傷つけないつもりが、余計に深い傷を負わせてしまったのだ。
美穂は言い終わると、早足で校門を出て行った。涙がアスファルトに吸われてシミになって消えた。今回は涙を止めることができないまま、頬の痛みを背負って帰路を歩いた。
――学園祭当日。
校内は人で賑わい、各教室は笑顔で溢れていた。陽菜は本来なら美穂と周る予定だったが、さすがにそれは叶わなかった。昨日の結果を彩に伝えることもできず、仕方なく校庭の隅にあるベンチに座っていた。
喧騒に一つため息をこぼす。この広い世界で遭難してしまった気分であった。道は閉ざされ、助けもない。どうしてこうなったか考え始めれば後悔が押し寄せてくる。
目を閉じ、全てを忘れようと試みてもダメだった。美穂は陽菜の始めての友達で、小学校低学年の頃からずっと仲良しである。十年もの思い出は忘れることもできなければ、なかったことにもできないかけがえのないものだ。
友達と親友と恋人。近いようで遠い。同じようで違う。
「――陽菜?」
「ん……ん? あ、翔?」
寝不足だったせいで、そのままベンチで眠ってしまっていた。目を擦って大きな欠伸を一つ。その様子を翔が安堵した表情で眺める。
「陽菜がいないから心配したよ」
「あ、ごめん!」
「まぁ、何にせよ良かった。そろそろキャンプファイア始まるから、一緒に行こうか?」
「う、うん」
そうして陽菜と翔は並んでグランドへ向かった。辺りは真っ暗で、校舎から溢れている光を頼りに歩いた。
「きっと、美穂は受け入れてほしいんじゃないかな」
「え?」
「その……うまく言えないけど、友達として好きって気持ちを伝えればいいんじゃないかなって思って。まぁ、俺がアドバイスしても仕方ないか」
翔は陽菜が一人でいたため、美穂との仲直りに失敗したのだと思ったのだ。
「ありがとう。もう一回、話してみる」
「それがいい」
グランドに着いた。すでに炎が舞い上がり、その周りには生徒たちの影が映る。舞い上がる火の粉を見上げると、校舎の屋上に人影があるのを確認した。その瞬間、寒気と嫌な予感が重なり、罪悪感と使命感が体を突き動かす。
「翔、ごめん」
陽菜はそう言い残して走り出した。翔はその後ろ姿に「頑張れよ!」と声をかける。
陽菜は校舎へ入って階段を颯爽と駆け上がり、いつもなら閉ざされているはずの屋上へ到着する。
全力疾走したため、息が荒くなり、目を開けることさえ困難であった。
「待って!」
それでも叫んだ。下からの盛り上がっている声に負けないほど大きな声で叫んだ。
「反省してる。昨日言われて気づいたこと。でも、私、形がどうであれ、美穂のこと好きだよ! だからこれからも親友でいて!」
陽菜は勢いに任せて言い放った。そして咳き込み、苦しそうな表情を浮かべる。
「陽菜……?」
「お願い……まだいかないで」
掠れて今にも消えそうな声。
「陽菜、まず落ち着いて。私は自殺なんかするつもりないからね?」
「へぇっ?」
「私、キャンプファイアの炎を監視してるだけだよ」
陽菜の緊張は一気に疲れへと変わり、仰向けに倒れこんだ。
「ちょっと。それは。もう。びっくりした。はぁ」
陽菜は大の字になって胸を大きく上下させる。美穂は陽菜の焦りようが嬉しかった。たとえ恋愛対象としての好きでなくとも、親友として好きであることをひしひしと感じた。そして、陽菜は自身の思う最善を選だ結果、私と付き合ったと思えた。
「ごめんね、心配させて。でも、ありがとう。心配してくれて」
美穂は笑った。それにつられて陽菜も笑った。
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