第11話 銘抜刀、狂気の剣
足利義照は静かに体育館に入り、壁際に正座した。
遠くに、剣道着を着たおちびちゃんたちが二十人ほど、わいわい、がやがやとジャレ合っていたが、銘抜刀と思しき老人と長身で腰まで伸ばした黒髪を後ろで縛り付けた美女が濃い紫の胴着で現れると、みな、おとなしくなり、正座をした。幼稚舎の園児たちのようだ。
「やあ、こんにちは」
銘抜刀は意外なほど、穏やかで優しい声を出した。
「老先生、こんにちは。理事長先生、こんにちは!」
園児たちが大きな声で挨拶を返した。
「おう、よう声が出ておる。武道はな、大きな声を出すのが大事なのじゃ。では今日も純沙先生に習って素振りを百回しような。でも、疲れたらムリせんでいいぞ。じゃあ、はじめ!」
そういうと銘抜刀は竹刀も持たず、後方に下がって正座し、なんと右手に置いてあった徳利から直に何か飲んでいる。銘抜刀はなうての大酒飲みだ。いくら飲んでも酔わないらしい。通称“うわばみ抜刀”と剣術界では言われている。だが、稽古中までとは。完全なアル中だ。
それにしても、あの理事長と言われた美女は誰だろう? 理事長はぺこりではないのか? 抜刀は純沙先生と言った。全く訳がわからない。
三十分経って、稽古は終わった。園児たちを直接には戦わせないようだ。
抜刀はニコニコして、
「みな、ようがんばった。冷たい麦茶と塩飴があるから、慌てずにゆっくり飲むのだよ。じゃあ、稽古はおしまい。一礼して終わろうぞ」
「はーい」
園児たちは「ありがとうございました」と言って、麦茶がある方に進んだ。また、わいわい、がやがやが始まったが、別に、抜刀も純沙先生も怒ったりしない。ただ純沙先生の顔は笑っていなかった。
その後、小中、高校、大学生の稽古があり、純沙先生への打ち込みが稽古に加わったが、誰一人、純沙先生の体に竹刀を掠らせることができなかった。純沙先生はかなりの腕前と見えたが、義照の記憶に「純沙」という有段者はいない。
抜刀といえば、ただ「声を出せ!」というばかりで、途中何度か、徳利を振り回し、
「おかわり!」
と怒鳴った。すると新しい徳利を持ってきたのは、
「かっぱ?」
であった。一瞬動揺したが、考えてみれば、首領がエゾヒグマ、副将が一匹狼だ。かっぱがいてもおかしくない。ここは「不条理の世界」なのだ。
稽古が終わったようなので義照は頭を下げて、銘抜刀に面会をした。純沙先生は興味なさげに帰って行った。
「ほう、ぺこりどのの推薦状か。ふーん、菓子ノ助は達者か?」
「はい、つつがなく」
「お主の木刀、年季が入っているのう。ちと拝見させてくれ」
「はい」
義照は抜刀に木刀を渡した。
「先生は酒を呑んで指導されるのですか?」
義照はちょっと憤慨して聞いた。
「あれはスポーツドリンクじゃ。老人は熱中症になりやすいからな。ははは」
と言った瞬間、抜刀の目が光り、木刀の先が、音もなく義照の喉仏にピタリとついた。
「甘い。甘すぎる。わしはぺこりどのの家臣だが、まだ推薦状を読んだだけで、ぺこりどのの頼みを全て聞くようなイヌではない。つまり、まだお主の味方では無い。それなのに唯一の己の武器である木刀をいとも簡単に渡すとは人が良すぎる。剣術は命の駆け引き、スポーツ化した剣道とは根本が違う。お主は、剣術一本槍で生きてきたようだが、わしはそうではない。口に出せないような悪事も働いておる。邪道で狂気の人間じゃ。お主には清濁合わせ呑む度量はあるか? わしの弟子になりたくば、半年間、剣を置け。それからまた考えよう」
抜刀は木刀をポトリと床に落とし去って行った。義照は抜刀のあまりの気迫に身体中から冷や汗が出て、しばらく動けなかった。
そこに水沢舞子が戻って来て、全身強張った義照の姿を見て、
「心配ないわ。義照くん。銘先生は見込みのない人にはおちゃらけキャラで通して、酒を大量に飲ませて、泥酔させて帰しちゃうから」
と慰めた。
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