第2話 善悪の岸辺

 夜が明けた。


 流石の剛勇を誇る一文字蔵人改め、自称・一文字信濃守鷹虎も疲れたようで寝気がしてきた。

「だがその前に、舅どの」

 信濃守は自分が切った白智秀光の小指を持って、激痛に耐えている秀光に近づいた。

「こ、殺すなら、バッサリやってくれ。小指一本でもこの痛みだ。残りの指を一本ずつ斬られたら気が狂うわ」

 秀光はそう言いながら怯えている。

「そうではありません。親族となった証に……」

 信濃守は秀光の左手を持ち上げると切り取った小指を傷口につけ、

「カンマン!」

 と唸った。すると、驚くことに秀光の左小指が元通りにくっついてしまった。

「はへ……」

 驚く秀光。正気に戻って、

「一文字どの、これはいかに」

 と質問した。それに対し信濃守は、

「まあ、生まれた時から持っている軽い能力です。軽いものですから、死者を蘇らせたりはできません」

 は説明した。

「一文字どの、感謝する。でも、婿になるからと言って、いきなり敬語を使わんでもよろしいぞ」

 秀光が気を使った。

「いや、舅どの、その辺りのしきたりはきちんと守りたいのです」

「そうか、なにかいまとなってはお主に負けて良かった気がする」

「そんな心がけでは武将失格ですぞ」

「だが、ワシは出家して隠居するのだろう?」

「そんなもの、形だけですよ。舅どのが望まれるなら、無理に剃髪しなくてもよろしいですし、寺も既存のものでも、新しく建立してもいいです。ただ、宗派は華麗宗、御本尊は不動明王、これは絶対です」

「華麗宗とはあまり聞いたことがないのう」

「陸奥国の奥の奥に、総本山がある密教です。総本山は壮大な山城のような寺院で、護衛の山法師も多く、陸奥守も鎮守府将軍も手が出せません。総本山は密教一の荒行で知られていますが、やりたいものだけがやればよく、“なんちゃって出家”も黙認されています。舅どのは総本山で荒行をご希望ですか? 毎年、死者が二桁ほど出るようですが……」

「も、もちろん、なんちゃってで頼む」

「わかりました。わたくし、少々疲れました。しばらく休ませていただきます。姫とは夜にでもお会いしましょう」

 そういうと信濃守は畳の上で布団も敷かず寝てしまった。秀光は、

「これはとんでもなく、良い婿をもらったかもしれぬ」

 と考えて、昨日からの逆転人生を振り返った。


 夕刻になった。

 信濃守がまだウトウトと夢心地でいると、

「たいへんです、姫様が!」

 という侍女たちの叫びが城中に響いた。

 パッと目を覚ました信濃守が、近くにいた侍女に、

「いかがした?」

 と問うと、

「そ、それが……」

 応えられない。

「まさか、自害されたか?」

 信濃守が聞くと、

「そ、そうではありません」

 ようやく応える。

「では、出奔か? 姫なきこの城なぞ俺には不要じゃ皆殺しにするぞ!」

 怒る、信濃守。

「違います、違います、姫様は城におられます」

「では、なにがたいへんなのだ?」

「姫様が……なんと、ご懐妊されています。しかも男女の交わりもなしに……」

 流石の信濃守も吃驚した。

「そんなことはあり得ない。隠れて男と密会をしていたのだろう!」

「いいえ、それはありません。姫様は生まれてから十六年間、一度も部屋から出たことがないのです」

「ええっ、どういうことだ?」

「姫様は両のお御足がお悪く、立つことはかろうじてできますが、歩みは二、三歩が限度……」

 侍女は泣き出した。

「うぬう……とにかく、姫のもとに行こう。誰か舅どのを呼んでくれ!」

 そう言うと信濃守は侍女に姫の部屋まで連れて行かせた。


 今宵は曇りで、月も星も見えない。

 

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