第17話 心が繋がる

 夏樹とシモンは、パリ国立図書館にいる。

 

 シモンは修士課程を終了後、エコール・デ・ペイサージュに進学した。ペイサジスト(環境デザイナー)の資格を取るためだ。

 二年間の課程を終了後、登録をするために故郷に戻るという。


 フランス国立図書館は、1368年にシャルル五世のコレクションを起源とする歴史ある図書館である。


 そのうちのミッテラン館はフランス人建築家ドミニク・ペローの設計で、セーヌ河岸の開けた場所にひときわ大きな二十階建て、地上100メートルの塔が四本建っている

 パリ12区、ベルシー地区のセーヌ川沿いにある。

 来館者は、ベルシー公園から、シモーヌ・ド・ボーヴォワール橋を渡って訪れる。

 完成は1996年完成。古い街に新風を巻き起こした、スタイリッシュで近代的な建造物だ。


「何度来ても、入り口がわかりづらいな……」


 夏樹が愚痴を言うと、


「屋上からエスカレーターで一階に降りるんだよ」


 シモンが案内をする。


 晴れの日には屋上階から中庭を見ながら図書館に入ると気持ちよい。


 建物はガラス張りで、書籍や資料を日光から守るため、各窓には木製の開閉式のボードが取り取り付けられている。


 一階の一般閲覧室は十六歳以上の全ての人に開放されている。


 ミッテラン館には一千万冊もの蔵書があるが、開架スペースで閲覧可能となっているのは一般用、研究者用合わせて百万冊弱となっていて、残りは全て四本の塔の中に所蔵されている。必要な本は検索し、窓口で取り寄せてもらうことになる


「やっぱりここはいいや!」


 シモンが嬉しそうに言う。


「本を眺めながら選びたい」


 二人は書架の並ぶ部屋を回り、時を忘れて本を選んだ。


 その後、図書館近くの公園にあるカフェへ入る。


「リシュリー館へ行ったことは?」


 シモンが尋ねる。

 リシュリュー館は、オペラ座近くにあり、現在は版画、写真、古地図などのコレクションを主に取り扱っている。


「あるよ。だけど、入館許可が下りるまでが大変だった」


 研究者や、修士以上の学生のための施設で、指導教授の推薦状を受けてなくてはならない。

 

 リシュリュー館の完成は1875年。

 夏樹はジャン=ルイ・パスカルによる「楕円形の閲覧室」を思い浮かべる。イオニア式の柱頭がある十六本の鋳鉄ちゅうてつが壁に沿って並び、天井を支えている。

 この技法により、視界を遮るものが無くなり、楕円形だえんけいの室内をカウンターから監視することができるのだ。

 大きな楕円形の天窓と、それを囲む十六の小さな丸い天窓から差し込む光が室内をまんべんなく照らし、カーブを描く壁一面に本が隙間なく並んでいた。


「あれは良かったな」


 夏樹が頷くと、


「ストックホルムの市立図書館も行ってみたいな」、


 「スゥエーデンの優美」の呼び名で知られる図書館だ。閲覧室は円形で、360度、みっちりと壁にそって本が陳列されている光景は圧巻だ。


「そうそう! 俺も行ってみたいんだ」


 二人はコーヒーを飲みながら、世界各国の図書館の話を続けた。


 やがてシモンが、


「それにしても……大変な仕事が回って来たね」


 と、言うと、


「ああ。もともと古い建物をリノベーションして図書館として利用していたんだが、今回、完全に建て替えるんだ。図書館の規模は大きくない。でも、重要なプロジェクトだ」


 話題は夏樹の新しい仕事に移っていく。


「応募資格要件が厳しいね」


 応募するために、事務所は資格要件を満たさなければならない。

 社会的な欠格要件のないこと、一定数の建築士が所属していること、経済状態……様々だ。


 その中に、


“過去十年間に国・自治体等が発注する博物館等政策業務、並びに、ホール等の改装、改修実績を有すること”

 

 と、ある。


「ガスパールの事務所ならクリアだな」

 

 自分の力で得られる仕事では到底ない。

 自分は運がいいと思う。

 

「何かアイディアはあるのかい?」


「そうだなぁ。なんとなく形だけはね。だけど、こう……今一つ決まらないんだ。ピントが絞れない。繋がらないんだ……ここと……」


 夏樹は額を指で軽く触れ、そして、


「ここ!」


 と、胸を拳で叩きながら言った。


(曖昧な言い方をしちまったな)


 心なしか気恥ずかしい。


「そうかい」


 シモンが納得したように頷く。


(通じた!?)


 意外に思う。


「つまりだな……頭で考えただけじゃなくて……こう……内側から納得できるような何かが欲しいんだ」


 夏樹が話を続ける。


「今どきは、オンラインで予約も延長もできる。蔵書のデジタル化も進んで、コピーをメールや郵送で取寄せることもできる。図書館へ通う必要はなくなってきているんだ。その中で、どうやって図書館自身の魅力や存在意義を持たせるかなんだ」


「そうだね」


 シモンが言う。


 このミッテラン館もそうなのだ。

 だが、ここには多くの人が集う。

 通う魅力があるということなのだ。


 人の心と繋がる。

 それがなくては利用者の求める魅力を見つけることができない。


 形だけはイメージが固まりつつある。

 だが、それをどう生かしたらいいかわからないのだ。


「もう、今日はこの辺にしておこう。これ以上考えても堂々巡りになる」


「そうだね。また、別の図書館を回ってみよう。何か見つかるかもしれない」


 二人は図書館を離れ、帰路につく途中、


「そうだ。夏樹」


 シモンが呼びかける。


「あそこへ連れて行ってよ」


「あそこ?」


「ほら、君の行きつけの紅茶屋だよ。叔母さんが、たまには美味しい紅茶が飲みたいって」


「ええー! 何言ってんだ? あそこは、食堂のすぐ側だろ?」


 夏樹が呆れて言うと、


「それが、すぐ忘れちゃって……」


 シモンが恥ずかしそうに笑う。


「……ったくしょうがないな。まぁ、いいか。俺も丁度欲しいのがあったんだ」


 そろそろ秋摘みの季節だ。


 二人は、les quatre saisonsへ向かった。


「いらっしゃいませ」


 二人の店員に迎えられる。


(相変わらず雰囲気いいよな)


 いつものことながら、感心する。


「叔母さんがアップルティーがいいって……」


 と、シモンが言った。


「じゃあ、俺は……ダージリンの秋摘みオータムナムにするか……」


 シモンはアップルティー五十グラム。夏樹はダージリンの秋摘み二十グラムを注文する


「え? 二十グラムでその値段!?」


 レシートを見たシモンがひどく驚く。


 確かにいい値段だ。

 シモンが驚くのも無理はない。


 夏樹は、les quatre saisonsへ通い始めた頃のことを思い出す。


「あれはきつかったよなぁ」


 茶も菓子も、何もかもがバカ高かった。

 それでおも通い続けたのは、茉莉香に会いたい一心だったのだ。


 だが……それだけだろうか?

 茶が美味しかった。

 菓子も……


 だが……それだけだったのか?


 いや。

 

 違う。


 夏樹自身があの場所が好きだったのだ。


 洗練されたインテリア。

 心地よく過ごせるように配慮された、椅子やテーブルの配置。

 茉莉香の穏やかで優しい給仕。


 そこに集まる客たちの会話。


 あの場に流れる空気のようなもの……。


 それが好きだったのだ。


 確かに茉莉香に会いたかった。

 だが、それだけではなく、夏樹自身もあの場を好ましく思っていたのだ。


 あそこには人が集まる。

 宣伝もしていないし、値段も安くはない。

 もっと安く手軽で、それなりに美味しい店もある。


 だが、客たちはles quatre saisonsを選ぶのだ。



 由里が作り上げた小さな世界。

 それを亘、茉莉香、客たちが支える……。


 空気。

 空間。

 場所。

 そこに集う人々。




「そうだ!」


 突如、夏樹が叫ぶ。


「ど、どうしたんだい?」


 シモンがぎょっとして夏樹を見る。


「掴んだんだよ! 俺のイメージを!」


 夏樹が突然走り出し、後には、呆然としたシモンがとり残された。


 



 








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る