第11話 鏡に映る真相

 日曜日。

 亘は、一人で調べ物をしていた。

 店は定休日で、義孝も学校の行事で、ここには来ない。


 久しぶりの、心穏やかに過ごせる休日だった。


 ……が、


 インターホンが鳴る。


 来訪者を確認すると、双子の弟の茂だった。


(せっかく休めると思ったのに……)


 亘は、身内に会うのが煩わしい。

 彼らはいつも面倒な話を持ち込んで来る。


「どうぞ……」


 渋々ドアを開けて、茂を中に通す。


「失礼するよ」


 そう言って、茂は居間のソファーに座った。

 茂はいつも浅く腰をかける。

 どこに行こうともそうだ。

 そして常に周りの様子を伺っている。

 目の前に何か横切ったら、捕まえるつもりなのだろうか? 


(この部屋には二人しかいないんだけどな……)


 亘には、この弟が息苦しくさえある。


「インスタントのコーヒーでよかったね?」


「ああ」


 茂は関心なさそうに返事をする。


 亘はインスタントのコーヒーを、二つテーブルに乗せた。


「なんだい兄さん。俺に合わせる必要はないよ。兄さんは自分の好きなものを飲めばいいのに」


 茂らしい意見だと亘は思う。


「忙しいんじゃないかい?」


「もちろん!」

 

 即答すると、茂はコーヒーに砂糖もミルクも入れずに、一気に飲み干した。


「実はね、今日は話があるんだ」


「それはわかっているよ」


 用もなければ、彼は決してここに来ない。


「そうかい」


 そう言って、茂は一呼吸置いた。


 飲み干したカップの底を見つめている。


 そして、


「実はね……この前の話覚えているかい?」


 おもむろに言った。


「この前?」


 亘は、しばらく考え込む。


「ああ、あれかい? この前といっても、もう、二年近く経っているじゃないか」


「そうさ。二年近くも経ってしまった。それだけ時間がかかってしまったんだ」


 亘が元の職場、研究所を追われた経緯について調べ直すという話だ。


「なんせ、手掛かりがつかめなくてね。真相を知っている人間を探すことさえできなかったんだ。のらりくらりとかわして。あの連中ときたら……」


 と、言って茂が亘を見ると、亘が、そっと目を逸らす。

 “連中”の中には、自分も入っているに違いない。



「でもね。ようやく一人突き止めて抱き込むことができたんだ」


「そういうことは得意そうだね。お前は」


「まぁね。糸口さえ見つければ、あとはなんとでもなるさ」


 亘は、温厚で人のよい茂の、もう一つの顔を知っている。

 若くして困難を乗り越えてきた実務家だ。


 親しみ深い笑顔としぐさで人を魅了し、誠実さで信頼を得る。

 忍耐強く、用意周到に事を進める人間だ。


 亘は、今日の話を持って来るための茂の苦労を思った。

 その中には、人がいとう課程もあっただろう。


「兄さん。坂本って事務長いるよね」


「ああ。坂本さん? あの人には、本当に世話になったよ」


 それを聞いた茂が、


「あー! だから兄さんは!」


 呆れたように大声を出した。


「坂本さんがどうしたんだい?」


 茂が感情をあらわにするのは珍しい。

 亘はひどく驚いた。


「その、坂本って事務長が原因なんだよ!」


「えっ?」


 亘には、一瞬茂が何を言っているかわからなかった。

 坂本とは、これと言って問題を起こしたことはなかったし、坂本が自分を疎んでいる素振りを見たことも無い。

 

 そんな坂本が自分を追い落とすなど到底信じられることではない。


「だけど……茂。僕は全く心当たりがないよ」


「そうだね。坂本事務長が、どういうわけで兄さんの足を引っ張ったかは、実は、まだわかっていないんだ。なにか心当たりはないかい?」


 亘は考え込んだ。

 ぼんやりと……ぼんやりと、古い記憶がよみがえる。

 だが……。

 まさか……。


「そう言えば……一度だけ……でも……まさか、そんな」


「なんだい? 少しでも心当たりがあれば言ってくれ」


 茂が身を乗り出した。


「一度だけ。実はね。講演会のパンフレットをバイトの研究生が、パソコンとカラーコピーで作成した時に、ひどく怒ってね」


「それで?」


 茂が話を促した。

 どんな些細なことも聞き漏らすまいと、亘の話に集中している。


「そのバイトを解雇するって、大騒ぎになったんだ。パンフレットをPCで作るなんてとんでもないって……今時、おかしいだろ? あと、印刷屋に頼むはずだったのに、面子が丸つぶれだって……」


「で? 兄さん、どうしたんだい?」


「僕はただ、“そんなことで解雇するなんて、おかしい”って言ったんだ。そしたら、烈火のごとく怒ってね。でも、坂本さんと揉めたのはその時だけだ」


 話を聞いて、茂は膝をポンと叩いた。


「それだ!」


「えっ?」


 茂は何に納得したのか?


 亘にはわけがわからない。


「坂本事務長について、調べて分かったことがある。彼はPCの操作が大の苦手なんだね?」


「そうだね。確かにそうだった」


 亘が過去を思い起こしながら言う。


 だが、まだ信じられずにいる。


 まさか?  と。


「その学生は、彼のコンプレックスを刺激してしまったんだ。彼が苦手なPCでパンフレットを作ったんだ。恐らく出来も良かったのだろう。おまけに、馴染みの印刷屋に対する面子も潰されてしまった」


「そんなことで……」


 亘が唖然として言うと、


「そんなこと?」


 茂が苦笑いをしている。

 

「あと、もう一つ。元は研究者だったんだよね?」


「ああ。そう聞いている」


 研究者としての才能はなく、事務職に転換したという。


「そこまでわかっていて!」


 茂が呆れ果てている。


「彼は兄さんのことが疎ましかったんだ。兄さんは、ずっとエリートコースを歩いてきたからね」


 やはり理解できない。

 だが、自分が坂本に不快な気持ちにさせていたことだけはわかった。


 茂が話を続ける。


「事務長はね。“岸田さんを辞めさせない限り自分が辞める”と言い張ったそうだ。あとは、兄さんをもともとよく思っていない人間がそれに加担した。どちらかというと、その後ろ盾の方が実行犯だろうな……」


 坂本は事務長でしかない。と、茂は言う。

 きっかけを作っただけなのだと……。


 亘は当時のことを思い出しながら、


「当時研究所は、危機的状況でね。予算が削減されたり、いろいろとあったんだ。坂本さんがいなければ、存続できなかったと思う。所長が、僕よりも坂本さんを選ぶのも無理はないだろう」


 と、言った。


 実際、坂本は優れた経営者だった。

 人事的な采配。経費の削減。収入の増加への働きかけ……。

 彼が手腕を発揮することで、研究所の運営はかろうじて保たれていたのだ。

 一研究者でしかない自分が、太刀打ちできる相手ではない。


「でも、兄さん。原因が分かれば、手の打ちようがある」


「手を打つって……何をする気だい?」


「兄さんは気にしなくていい」


 茂の瞳がキラリと光る。


「坂本さんをどうかする気かい? 僕がいなくても研究所は回っていくけど、彼がいなければ、立ちいかなくなるのが目に見えている。そんなことはさせないよ!」


「そうだろうね! 兄さんがそんな考えを持つような組織だ! ろくでもないところだろうよ! こんなことで閉鎖されるなら、それもいいだろう!」


 茂の語気が荒くなる。


「お前がどうしようと、僕は、このままでいい!」


 亘が毅然きぜんと言うと、


「俺は諦めないからね!」


 そう言って、茂は部屋を出て行った。














 



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