第32話 パラレル
ある十一月の午後、由里と亘は福袋の準備をしていた。
「手提げの紙袋を用意したわ。ダージリンやアッサムを入れるのが赤、アロマティーは緑。クリスマスをイメージしてみたの」
由里が言うと、
「今年もそんな季節になりましたか。きれいな色ですね」
亘が感慨深げに袋を眺める。
「今年は、アップルキャラメルが人気だったから、福袋も売れるわ」
「中身がわからないのが福袋では?」
「あら、お客様は期待すると思うのよ。だから、フレーバーティーの袋にはアップルキャラメルを入れるの」
「そういうものですか……」
les quatre saisonsの福袋は年末恒例の人気商品だ。オーソドックスな茶葉と、フレーバーティーの詰め合わせの二つから、好きな方を選べる。それに砂時計やティースプーンなどの小物を一品ずつ入れる。予約の開始は十二月からだ。
「それにしても……」
由里がため息をつく。
「どうかしましたか?」
亘が由里の様子をうかがう。
「今年のクリスマスは無しね。お正月も家族そろって迎えられるかどうか……」
由里がため息交じりに言う。
「何があったんですか?」
「実はね……」
由里が話し始めた。
「今度、お店をもう一つ増やすことになったの。小売専門の」
「へぇ。それは素晴らしい!」
初めて聞く話だった。
「その準備で、てんてこ舞いなのよ。それに、年が明けたら、ニルギリの買い付けで主人はインドへ渡航するし……。今泉君が同行してくれるから、本当に助かるわ」
そろそろ買い付けを人に頼んではと言っても、前川氏は取り合わないという。
温厚な彼を知る亘には、信じられない話だ。
「それは大変ですね。でも、体には気を付けてもらわないと……」
「本当に……」
由里の心配の種はつきない。
「場所はどこか決まったんですか?」
「ええ。まぁ……もう少し決まってからお話するわ」
「楽しみにしていますよ」
何はともあれ、仕事が順調ということは喜ばしい。
嬉しい悲鳴というものだろう。
「ところで……茉莉香ちゃんの訳したエッセイ読んだでしょ。どう思う?」
由里が何かを期待したように見つめている。
茉莉香の翻訳に対する、自分の評価が気になるようだ。
一応、専門家として認識されているのだろうか?
怪しい気もするが、
「はい。よかったと思います」
亘の率直な所見だ。
「そうよね♪ 茉莉香ちゃんらしい素直な文章だったわ」
「確かに。でも、それで収まらないかもしれませんよ」
「どういうこと?」
「僕も翻訳の仕事をしていて……」
「ああ、あのわけのわからない本?」
由里が、あからさまに興味の無い素振りを見せる。
「あのですねぇ……」
憮然とするが抗議は諦める。
今、始まったことではない。
「意訳っていうのでしょうか。全体の意味やニュアンスを汲み取るセンスがあると思います」
他言語をそのまま日本語に訳した味気なさや、閉塞感がない。
訳は正確だが、異文化の風を感じさせる清々しさがある。
“素直” そんな単純な言葉で片付けられることではないのだ。
「あら、珍しい。あなたがこういうことで人を褒めるなんて」
由里が茶化すように言うと、
「そんな……人を鬼みたいに……」
亘が不服を唱えようとするが、由里は意に介すことも無く話を続ける。
「茉莉香ちゃんがね、“留学して勉強したい”って。でも、お父様に反対されているの。本当に気の毒……」
由里が憐れむように言うと、
「茉莉香ちゃんのお父さんは。“夏休みならいい”って言っているだけですよ」
と、亘が返す。
「堅いのね。茉莉香ちゃんのお父さん」
「確かに……でも、僕の父と気が合うみたいだから、わかりますよ」
「自分の息子には甘いのにね……」
由里が亘を横目に見ながら言うと、
「由里さん!? 勉強のための留学ですからね。焦って春休みじゃなくて、夏休みの方が腰を落ち着けて勉強できますよ!」
気分を害し続けられ、堪えきれずに反論する。
「まぁ! まぁ! あなたと言う人は! なんてことを言うのかしら!」
突如、由里がふくれっ面になった。
(どうしたって言うんだ?)
由里の不機嫌の理由が、亘には理解できない。
「由里さん?」
おずおずと尋ねる。
なにか気分を害するようなことを言ったのだろうか?
「ああ! あなたといい! 主人といい! 夏樹君といい!」
由里は憤懣やるかたない様子だ。
「あの……僕、何か失礼なことを……?」
自分が地雷を踏んだような気がするが、それが何なのかまったくわからない。
「由里さん。一休みしましょう。アップルキャラメルティーを淹れます。ミルクも用意しますよ」
少しでも機嫌を直して欲しい……。
そんなことを考えるだけだった。
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