第7話 女優ごっこ

 四月に茉莉香は二年生になった。

 夏樹は忙しい合間をぬって連絡をしてくる。

 会えないのは寂しいが、幸い毎日は忙しく、すべきことがたくさんある。


 今日は楽しみにしていることがある。

 未希の出演するドラマの初放送日だった。


「お茶もお菓子も用意したし、あとで何回も見られるように録画の準備も万端!」


 茉莉香はリモコンのスイッチを入れた。


 物語は一流企業に勤めるヒロインが仕事を通じて成長し、恋もするというもので、未希は彼女の同僚の一人だった。

 元アイドルグループの一員で、売り出し中の女優が主役を務めている。


「やっぱり祥子ちゃんはかわいいわ!」


 未希はなかなか出てこなかった。うっかりすると見落としてしまいそうだと茉莉香は思う。


 だが、


「あっ、未希さん! わぁ! やっぱりきれい。それに別人みたい」


 茉莉香は自分一人の部屋で興奮の声をあげる。


 未希の初めての出演シーンは、給湯室で同僚の噂話をするものだった。

 共演の女優たちと同じように、ブランド物の服を身に着けている姿は別人のようだ。


「いいなぁ。未希さんは夢にまた近づいたんだわ」

 

 茉莉香は未希の活躍を、自分のことのように喜ぶ。




 翌朝、ケーキと食材を届けにきた由里に、茉莉香は昨日のドラマの話をした。


「由里さん。昨日の未希さんのドラマ観ましたか?」


「ええ」


「きれいでしたね」


「本当に!」


「亘さんは見ましたか?」


「えっ? ああ……」


 と、気のない返事が返ってきた。


「あら、本当に見たの? もう、いいわ。この人のことは放っておきましょう」


 そう言って、再び茉莉香と話をはじめる。


 そのとき思わぬ来客があった。


「こんにちは」


「未希さん!」


 茉莉香と由里が歓迎の声をあげる。

 シャツにパンツスタイルの、飾らない以前のままの未希だった。


「ドラマ観ましたよ!」


「そ、そう?」

 

 返事に張りがなく、様子がおかしい。


「どうかしましたか?」


「それがねぇ」


 未希が話はじめた。


 なかなかOKがでず、あわやカットされそうなところを事務所のとりなしでようやく放送にこぎつけることができたという。


「えっ? あんなにステキだったのに」


「うーん。なんか違うって言われちゃって。ウチの事務所大きいでしょ。それでなんとかなったのよ」


「まぁ」


 茉莉香には、しょげ返る未希になんと声をかけたらいいかわからない。


「そうだ! 茉莉香ちゃん。お芝居の練習に付き合って欲しいの」


「ええ!?」


「お願い。出番は短いから、セリフも少ないの」


「うーん」


 未希の助けにはなりたいが、芝居の稽古の相手となると考えものだ。


「日曜日に手伝ってあげたら?」


 由里がすすめる。


「じゃ、じゃあ……」


 なりゆきで引き受けることになったが、茉莉香は今まで学芸会で、役らしい役についたことがなかったので、気が乗らない。


 日曜日、店に集まって台本読みの練習が始まった。

 家の用事を済ませた由里が遅れて来る。




「吉田さんと佐藤さんが付き合っているって本当かしら?」


 未希の良く通る声が響く。


「あらぁ。山田さんだって聞いたわよ」


 茉莉香がしどろもどろで台本を読み上げる。


「ううん。経理の田中さんが、二人で一緒にバス停にいるところを見たって」


「本当?」


 ふたりは台本を交互に読んだ。

 茉莉香は棒読みで、声も弱々しい。

 茉莉香の番が来ると由里が笑いをこらえ、亘がそれをそっとたしなめる。

 

 未希の頼みでなければ、引き受けなかったのだ。できれば、今すぐにでも逃げ出したい。

 

 このシーンは毎週続くのだろうか?

 確か前回も給湯室で、未希や彼女の共演者たちは噂話をしていた。

 

 台本を読みながら、茉莉香は自分も以前は、同級生たちとこんな風に噂話をしていたことを思い出す。

 

 (いけない。集中しなくちゃ!)

 

  茉莉香は、気分を変えるために台本から顔をあげると、自分を見る亘や由里と目が合った。

 

 未希も正面からまじまじと見ている。


「どうかした?」


 様子がおかしいと思いながら、茉莉香は未希に尋ねた。


「茉莉香ちゃん?……なんか、それっぽい」


「えっ?」


 茉莉香はわけがわからずきょとんとした。


 由里がためらいがちに未希に問いかける。


「ねぇ。未希さん。学生時代に女の子の友だちっていた?」


「えっ? ああ、そういえば、あんまり……。女の子って面倒くさくて……劇団に入ってからは、できたけど」


 由里はもう一つ質問をする。


「その中に、茉莉香ちゃんみたいな子いる?」


 未希は記憶をたどりながら、


「そういえば、今まで茉莉香ちゃんみたいな女の子は敬遠していたかも……」


 と、言うと、由里が、


「やっぱりねぇ」


 納得したように頷く。


 茉莉香にはわけがわからない。

 未希も同様だ。


「ま、まぁ、未希さんにはもっと、ぱっとした役が……」


 由里の言葉に、未希は困惑しているようだが、茉莉香にしても、給湯室がお似合いと言われているようで面白くない。


 由里はいつの間にか、二人の機嫌を損ねてしまったことに気づいたようだ。


「あ、あら。ねぇ、これから外でお茶しない?」


 慌てて気を逸らそうとする。


「わぁ!」


 いっせいに声をあげる。不機嫌な気持ちはいっぺんに吹き飛び、これから起こる楽しみに心を躍らせた。

 


 由里は茉莉香と未希を連れて、ホテルのロビーラウジを訪れた。


「アフタヌーンティーを予約しておいたの。お天気がよくてよかったわ。ここは自然の地形を生かしたお庭が綺麗なの。窓からも楽しめるけど、後でお散歩しましょう」


「はい!」


 二人は声をそろえて返事をする。


 窓から春の日差しが差し込む。

 着飾った人々が笑いさざめく中を、案内されながら三人は歩いていく。中央にミモザを生けた大きな花瓶があり、弾き手のないグランドピアノが今にも歌いだしそうだ。

 茉莉香は気持ちの高まりを感じる。ここは華やかな社交の場なのだ。


 席に着くと、


「お茶は好きなものを何種類でもお代わりしてもいいのよ」


 由里が言う。


 まずは、アッサムティーを注文する。

 一杯目はウエイトレスが注いでくれた。

 アッサムは、コクがあるのに渋みが少なく飲みやすい。

 

 未希は、興奮してきょろきょろしていたが、洗練された給仕を受けるうちに、普段よりおしとやかになる。


 いよいよ三段重ねのトレーに乗った、ケーキ、スコーン、オードブルが運ばれて来た。


「わぁ!」


 美しく飾り付けられたトレーを前に、茉莉香と未希が声をあげる。


les quatreカトル saisonsセゾンでもやってみたいけど、これ以上亘さんの負担を増やすわけにはいかないから」


 お茶のお代わりをする。

 カフェインレスのグレープフルーツティーだ。

 

「グレープフルーツの酸味が爽やかですね。それと、ハーブティーみたいな味がします」


「そうね。カフェインレスには、普通のお茶とは別の楽しみ方があるわ」


 茉莉香と由里が会話を交わす。


「茉莉香ちゃんって、やっぱりこういう場所が合うわね」


 未希がオードブルをつまみながら言うと、


「そうですか?」


 茉莉香がケーキを皿にとりながらこたえる。


「だって、全然ものおじしないし」


「あら、私だって、そうそうこんなところには来ませんよ。学生だもの」


「一流企業に就職すると、しょっちゅう来られるのかしら?」


 未希がお茶を注ぎながら言った。


「それは無理よ」


 由里が笑う。


「でも、きっと、“働いている自分にご褒美”とか言いながら、お友だちとおしゃべりして楽しく過ごすのよ」


「そうなんですか?」


「そうよ。今、私たちがしているみたいにね」


「へぇ。じゃあ“自分にご褒美”!いただきまぁ〜す。美味しー!」


 由里と茉莉香が笑った。


「よかった。未希さん元気になったみたい」

 

 きっと、こうやって仕事を成し遂げるのだろう。

 

 それにしても、由里は何を一人で納得していたのだろか?

 茉莉香には、さっぱり理解できない。


「わぁ、これも美味しそう。いただきます!」

 

 苺のフィナンシェを口に含むと、甘酸っぱい香りが口に広がった。


 

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