第23話 ブルーマローと恋の告白(?)

 土曜日のles quatreカトル saisonsセゾンは客層が変わる。

 

 近くの主婦たちの来店が家族の休日の為に減り、その代わりに平日働く勤め人がやって来る。

 

 だが、その日は雨だった。天候が崩れると彼らは外に出ることを渋り、来客が減る。


 そんな日も変わらず来店するのが川島久美子だ。彼女は銀行勤めの会社員である。

 

 未希は劇団の公演のために休み、亘は買い物の為外出している。

 店内は、茉莉香と久美子のふたりきりであった。

 

 


「あー疲れた」


 久美子は残業続きで疲弊しきっていた。


「久美子さん眠れていますか?」

 

 茉莉香が心配そうに尋ねる。


「薬を飲めばねぇ」


「お医者さんに通っているんですか」


 以前、茉莉香と同じカウンセリングルームに通っていたが、医師と相性が合わず、今は別の場所に通っている。茉莉香はすでに通院を止めている。


「今度の医者もヤブなのよ」


 茉莉香が沈黙する。久美子はどの医者とも合わないだろうと思うからだ。


 

「こんにちは」


 夏樹が来た。


「いらっしゃいませ」


 茉莉香と夏樹が顔を合わせるのは久しぶりだった。

 あの深夜の電話以来のことだ。

 夏樹はひどく怒っていたようだったが、茉莉香には理由がわからずにいる。


「あの!」


 ふたりは顔を見合わせると、同時に声をあげた。

 お互いに先に話すように譲り合うが、夏樹の方が口を開く。


「この前は突然にごめん」


「ううん。私、何かした?」


「うーん。したといえば、したけど」


 夏樹が返答に困っている。

 

 その時だ


「茉莉香ちゃん! 何か食べ物!」


 久美子がうなるように言った。


「なにがいいですか?」


「あー。簡単に食べられるもの」


「じゃあ、たまごサンドにしましょうか?」


「それでお願い」


「あと、ハーブティーどうですか?落ち着きますよ。今日は紅茶じゃない方がいいかもしれませんね」


 久美子は黙っている。

 

 茉莉香がハーブティーを持ってきた。


「今日はブルーマローにしました」


 久美子が顔をあげる。


「きれいね」


 透明な小さな硝子ガラス製のポットに入ったお茶は鮮やかな青色をしていた。中には青い小花が散らすように浮いている。

 

 ブルーマローには、呼吸器系の炎症の緩和、美肌、沈静作用があると言われている。


「あれ? 甘い」


「ハチミツを入れてあるんです」


 茉莉香がにっこりと笑う。


 久美子が一杯目を飲み終わった頃、


「二杯目はこれを」


 と、言いながらレモンを入れた。


「うわ! ピンク色に変わった!」


 久美子が嬉しそうに声を上げた。


 そんな久美子を茉莉香はにこにこと笑いながら見つめる。

 まるで小さな子どもを見守る母親のようだ。


「久美子さん。ここで食事をするのはいいですけれど、普段からきちんと召し上がっていますか?」


「うーん? コンビニ?」


「まあ! 栄養のバランスがよくありませんよ!」


 本当に母親のようである。


「でも、忙しくて炊事なんてできないの」


「手をかけなくても、できる料理はあります」


「それに、できればお薬に頼らないで眠れるようにしたほうがいいですよ。久美子さんは健康なんですから」


 久美子はしばらく黙っていた。


「あのヤブ医者。ちょっと言いたいこと言ったら人を邪魔者扱いして……」


 久美子は職場の不満を医者にぶつけたというが、恐らく限度を超えていたのだろう。


「でも、あまり言い過ぎるのも……」


 と、茉莉香が言いかけると、


「えっ!言いたいこと言っちゃダメなの!?」


 夏樹が口を挟んできた。 


「えっ、だから言い過ぎが……」


 茉莉香が口ごもる。


「そのための医者だろ?」


 茉莉香は言葉に詰まった。


「待って、夏樹君」


 久美子が止めに入る。


「茉莉香ちゃん。カウンセリングでどんな話をしてたの?」


「別に。ただ……体調がいいことや、勉強やバイトが順調なことを話していました」


 久美子はいろいろ考えあぐねた後、なにか思い当たることがあるようだった。


「うーん。私も専門的なことはわからないけど、実際は、そんなものなのかもしれないわね。ぶちまけられるのは初めのうちだけで、現実は変わらないからねぇ。私は確かに言い過ぎていたかもしれないわ」


 そして続けた。


「茉莉香ちゃんの性格じゃ、周囲に気を遣って、言いたいことの半分も言えないだろうし、カウンセリングを受けること自体に抵抗があったんじゃない?」


 久美子がどこかに着地点を見つけたことに、夏樹は納得がいかないようだった。

 

「本音を言わないで調子のいい話ばかりしてたんじゃ、医者に行く意味がないじゃないか!」



「そのね。むずかしいのよ。特に茉莉香ちゃんの場合は。私は自分の問題だけど、問題が外側にあるときはねぇ」


 

 久美子と茉莉香は、当時のことを思い出しながら語り合った。


 保健室登校を余儀なくされた経緯いきさつ、発端が茉莉香の父親が自分の父親に収賄の片棒をかつがせたという同級生の思い込みであったこと、茉莉香の父親の無実は証明されたが、同級生の父親が逮捕された……。それらを、とりとめもなく話した。

 

 単なるいじめではなく、逮捕者が出た犯罪も絡んでいたことを、夏樹はこの会話で初めて知った。


 茉莉香がおずおずと言う。


「私、学校に迷惑をかけているのに、あれ以上問題を起こすわけにはいかなかったんです……」


「茉莉香ちゃんが何をしたっていうの?」


 久美子が憤慨して言う。

 

「それは、久美子さんはお仕事ができるからそんなこと言えるんです。私には何もできないもの。あれ以上目立つと本当に居場所がなくなってしまったんです」


「茉莉香ちゃんが何もできないですって!?」


 久美子が強く言う。いつもの拍子の抜けたような大声ではなく、真剣な声と表情だ。


「なんで? 今だって、私の心配してくれたでしょ? バイトだって仕事をすぐに覚えて、後輩の面倒を見て、撮った写真が本に載るんでしょ? 学校だって無事に卒業したでしょ!」


「百歩譲って! ここに来たばかりの茉莉香ちゃんがそうだったとして、今の茉莉香ちゃんはどうなの? あれから全然成長してないの?」


 茉莉香は初めてこのマンションに来た時の自分を思う。不安と無力感に押しつぶされそうな自分を。

 だが、今はどうだろうか?


「あ……」


 自分の胸の奥で力強く熱いものを感じた。


「でしょ!」


 久美子が得意げに言う。


「別に久美子さんの手柄じゃないじゃん」

 

 夏樹が憎まれ口をたたく。


「黙れ! 小僧!」

 

 いつもの大げさな久美子の物言いだ。


「よく聞け! 青少年! 君たちはもう自分の力でなんとでもできるのだよ!」


 久美子は古めかしい言葉を使って、もったいぶったように言う。

 だが、それは今まで気づかぬ真実だった。

 二人は呆然とその様子に見とれていた。


 その時だ。


「わー!!」


 背後から悲鳴に近い声が聞こえてきた。


「久美子さん! 何やっているんですか?テーブル……土足……外……雨……泥!!」


 亘がいつの間にか外出から戻っていたのだ。


 言葉にならない単語が途切れ途切れに飛び出す。


 久美子はいつの間にか、テーブルの上に土足で立ち上がっていたのだ。


「あら、いやだ」


 あわてて降りようとすると、バランスを崩し、倒れそうになる。


「久美子さん!」


 茉莉香と亘が声を上げる。


 どさりと音がしたが、それは夏樹が久美子を受け止める時の音だった。夏樹は久美子を抱えたまま、ゆっくりと尻もちをつく。


「痛ってぇ」


「大丈夫ですか?」


 茉莉香と亘が駆け寄る。


「ああ、それより早くテーブルを直さなきゃ。客が来るといけない」


 二人はテーブルクロスを新しいものにかけ直し、生花と置物をすみやかに置いた。


 夏樹と久美子にケガがないことがわかり、テーブルが元に戻った時、亘が言った。


「そもそも久美子さんがテーブルに乗るのが悪いんだけど、二人は何をしていたの?」

 

「いや……その」


 三人は顔を見合わせて笑っている。


 何がおかしいのか、亘には当然、理解できるはずがない。


「いい? ふたりとも、大人になるとつらいことも多いけど、自由も増えるのよ」

 

 久美子が落ち着いていう。

    

「確かに久美子さんの言うとおりだよ。だけどね、テーブルに上がるのは大人のすることじゃないからね。わかってる? 久美子さん!」


 久美子が沈黙した。


 




 久美子が帰ったあと、客は夏樹一人になった。


「私も早く自分のやりたいことを見つけたいな」


「どんな?」


「由里さんの書いた本みたいな。本田さんの写真集のような……。見ていてほっとするような、そういう世界を作ってみたい」


「なんか、もやっとしてるね」


 茉莉香がその言葉にムッとして言う。


「じゃあ、夏樹さんは?」


「なんか、でっかいこと」


「それも、もやっとしてますよね」

 

 二人は顔を見合わせて笑った。

 

 


「来週にはイタリアに行くから。そのあとパリなんだ。出かける前に、この前のこと謝りたくて」


 そして続けた。


「それに、ああいうことして欲しくないんだ」


「ああいうこと?」


「俺の恋愛の片棒を担ぐこと!」


 夏樹が茉莉香を正面から見た。


 夏樹の真剣な眼差しに茉莉香は戸惑い、言葉が出なかった。

 なぜ? とか、どうして? と、問うこともなく自分がよくないことをしたことがわかる。




 だが、夏樹はすぐにいつもの皮肉めいた口調に戻った。


「そういうことはね、由里さんみたいなおばさんにまかせておけばいいんだ」


「ひどいわ。おばさんだなんて」


 緊張感から解放された茉莉香が小さく笑う。




 二人は厨房に亘がいることを忘れていたようだが、彼は、そこで辟易としながら、茶碗を片付けていたのだった。



 





















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