第12話 『ふいに、運命なんてものは私たちを裏切る』


 じりじりと外の温度が上がってゆき、その暑さに身が焼けるような不快感を覚え、私の意識はゆっくりと浮上した。

 目を開けると、私の体にはいつの間にか薄い大判のタオルが掛けられており、テーブルの上には新品の封の開けられていない水が何本か置かれていた。

「起きた?」

 ふと、優しい声が隣から聞こえた。

 そちらの方を向くと、私が寝る前に座っていたお母さまの姿はなく、代わりにハーフパンツに半袖姿に着替えた三澄君の姿があった。

「あれ……お母さまは?」

「あぁ、今海の家にかき氷買いに行っちゃったよ」

 時間を見ると、10時を過ぎたところで、最後に覚えている記憶から約2時間が経過していた。

「私……結構寝ちゃってたんだ。あとで謝らないと」

「いいよいいよ、気にしなくて。母さんも飲ませすぎちゃったみたいって少し反省してたぐらいだし。体調は大丈夫?」

「少し頭痛いぐらいだから大丈夫だよ」

「水、飲んどきな」

 そういうと三澄君はミネラルウォーターのペットボトルの蓋を開け、私へと手渡した。

「サーフィンしてる姿……見れなかったな」

「しょうがないさ。別に今日だけサーフィンしてるわけじゃないし、別日があるよ」

「それにしても海水浴する人、いっぱい増えてるね」

「みんな海が好きなんだよ」


 三澄君は遠く海を眺めている。

 朝方にちらほらとサーフィンをしていた人たちは、もうどこにも見ることが出来ず、今海に漂っているのは浮き輪に乗った女性たちや家族連れの姿であった。

 私も海は好きだ。

 ただ海に入るとなるとそれはすごく苦手で、あの塩辛い水が口に時折入ることが嫌で、海水浴をすることはずっと拒んでいた。

 もはやそれはトラウマというか、長年の苦手意識の中で、いつしか強迫観念に近いものにまで成長し、今では足をつけることさえ難しくなっている。


「なんだ……少し向こうのほう騒がしいな」

「……え?」


 三澄君はすぐさまその場で立ち上がると、サーフボードをもってそのままその騒がしいといった方向へと走っていった。

 私は目が悪く、何が起こっているのかわからないまま混乱していると、かき氷を持った彼のお母さんがちょうどその場へと戻ってきた。


「どうしたの?」

 私の混乱した雰囲気を察したのか、心配しながら声をかけてきた。

「三澄君……向こうのほうが騒がしいって」

「どれどれ?」

 私がその方向を指さすと、お母さまは双眼鏡でその方向を覗いた。

「子供……溺れてるみたいね」

「うそ!!」

 私は焦るようにしてその場に立ち上がる。

 お母さまから双眼鏡を借りると、さっきの騒ぎの方向に目を向けた。

 そこには小さな子供が溺れ、助けを求めている母親の姿が見えた。

 海難救助隊はまだその場には来ておらず、その光景に唖然としながらも動かない人たちが多い中で、三澄君だけが海の中へサーフボードで泳ぎながら、その溺れている子供のもとへと向かっている。

 私は双眼鏡を首からかけたまま、近くの浜辺まで足を取られながらも走っていく。


「三澄君!」

 私は自分でも驚くほどの大声で、三澄君へ呼びかける。

 すでに子供はサーフボードに捕まっており、少し遠くのほうで三澄君が手を振っている姿が見えた。

 その姿を見えると、私は安心をして胸を撫でおろした。

 子供はサーフボードに乗せられたまま真っすぐこちらへと向かってくる。

 母親もその姿にほっとしたのか、海の中へと歩みを進め、子供との合流を待っていた。


 ちょうど海難救助隊が浜辺へと到着し、子供がサーフボードに乗せられてくる光景を見て、無線で子供の無事を伝えている。

 そんな心配が一転した安心の空気の中で、ふとその瞬間は訪れた。

 運命というのは、悪戯好きという言葉を今日ほどの呪った日はない。

 子供がサーフボードで流されてくる光景に目を取られていたが、ふと海に目を向けると、先ほどまであった三澄君の姿がどこにもない。

「えっ……三澄君、どこに……」

 私は一歩一歩、海へと近づいていく。

 ちょうど波の当たる部分まで歩き、つま先にその波が当たると思わず私は足を引いてしまった。

「お兄ちゃん……どこ?」

 先ほど助けられた子供の言葉に、皆が顔を青ざめる。

「おい!助けに行くぞ!」

 海難救助隊の面々がすぐさま海へと入り、彼がいたと思われる場所まで急いで泳いでいく。

 私はその場で、まったく動けなくなり、棒立ちとなった。

 今日ほど、自分が情けなくて、自分自身の弱さを悔やんだ日は一度もない。


 すぐさまお母さまもその場に駆け付け、お父さまに連絡を入れている。

 私はただただ、海に向かって手を握りながら神に祈る事しかできなかった。

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