8.6

 俺は、まるでその場に根が生えたように一歩も動くことができなかった。だがそれは周りの者達も同じだった。どこかからざわめきだけがさざ波のように広がって行く。

 ヴォルナードだけが満足そうにその光景を見下ろしていた。

「人間、人間、人間。なんと醜い響きだろうか。力も無く魔法も使えず、戦い抜く誇りもない。あるのは肥大した自意識と脆弱な共依存の精神だけだ。そんな劣等種である人間が、あろうことか魔界の町に紛れ込み、魔界の者とばかりに試練に挑んでいる! それを許していいのか? いいはずがねェだろう! だから魔界を代表して、このオレが人間討伐の試練を出してやる。この町に秩序と誇りを取り戻そうじゃねェか!」

 ヴォルナードは高らかに締めくくった。

「何か異論はあるか? なァ、人間」

 周囲の視線に縛られているかのように、俺の体は凍り付いていた。何か、何か言わなければいけない。シラを切るんだ。人間なんて何のことかわからないという風に装え。そう頭は必死に命令を出していたが、俺の舌は乾ききっていた。

 いつの間にかヴォルナードを囲んでいた輪は俺を囲む輪になっていた。じりじりと、お互いがお互いを牽制し合うようにその輪が狭まって行く。

「殺せぇ!!」

 どこかから叫ぶ声が聞こえた。その声で呪縛を解かれたように、狂気を宿した者達が一斉に動き出す。輪の中の一人が飛び出した。俺はその男には見覚えがあった。いつか町で俺に声をかけてくれた大男。

「……なんだよ……言ってくれたじゃないか。お互い頑張ろう、って……」

 虚ろな俺の声に被せるようにその男は唾をまき散らしながら叫んだ。

「ふざけるなこの人間風情が! 俺を騙しやがって!!」

 その目は血走っていた。どこを見ているのかもわからないほどに瞳孔を開き、目玉が飛び出さんばかりに激怒していた。その光景を前にして俺は全ての意志をなくした。

 大男は鈍器のような大剣を振りかざし、その切先は避けようともしない俺の頭に真っ直ぐ下ろされる。

 その時だった。群衆のどこかから鞭を打つような声が上がった。

「『籠の中の檻ハミングケージ』!!」

 声のした方から悲鳴が聞こえ、そこにいた数人が宙に巻き上げられるのが見えた。そこに現れた何かは四肢を打ち鳴らし、群衆をまき散らしながら俺の目の前まで疾走する。鷲の頭が甲高い鳴き声を上げながら翼を広げると、大剣を構えていた男がその後ろの数人とともに押し倒された。

「さぁ乗ってください……早く!」

 その魔獣の上、何もない場所から聞き覚えのある声が聞こえた。俺はその声に覚醒し、導かれるように魔獣の背に飛び乗る。

「飛んで! グリフォリア!!」

 両脇で翼が羽ばたいた。下に向かって押付けるような重力を感じた次の瞬間には、俺は群衆を遥か下に見下ろしていた。魔獣は俺を乗せて、空高く町の外へと滑空していく。

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