7.3
いつの間にか出店の立ち並ぶ露店街に入り込んでいた頃、マリナはまた口を開いた。俺は気付かれないように目を拭った。
「ここは、良い町ですね……」
それは思わず零れ出たような口調だった。
「賑やかで、物資もたくさんあって、人々が交流する……不思議な所です」
「不思議、って……町ってのはどこもそんなもんじゃないのか?」
「私が巡ってきた町はこんな風じゃありませんでした。争いが絶えなかったり、襲撃に備えて怯えていたり、統治する魔王が変わって様子ががらりと変わってしまったり……。こんな風に変わらず穏やかな町は珍しいんです」
ゆっくりと流れゆく町並みを一心に眺めているマリナ。歩幅を合わせながら相槌を打つ。魔界は危険に溢れた所だが、確かに俺もこの町の雰囲気は嫌いではなかった。
マリナは何かを重ねるように遠い目をしながら町の様子を見ていた。きっと今までは見たくないものも見てきたんだろう。この子もまた自分の意志とは別の所で苦しんでいたのかもしれない。
何か言葉をかけようとする前に彼女は自分で頭を振って、またあの穏やかな笑みを覗かせた。
「さぁ央真様、お散歩を続けましょう」
それから俺達は暗い気持ちを払拭するように町の散策を満喫した。露天商の胡散臭い魔法道具を品定めし、森で捕れたという魔獣の競りを見物し、周囲の魔力で色が変わる不思議な織物の外套を試着した。疲れたら喫茶フィフィに立ち寄って休んでまた歩き回った。そこが魔界だという点をのぞけば、あるいはその様子は普通の学生のようだっただろう。
最後に入った土産屋でほこりを被った棚の隅々まで見て、ようやく外に出た頃には日が暮れ始めていた。
「町のはずれまで来ちゃいましたねぇ」
「あぁ、エルフェリータの店という店を回った気がするよ……マリナ?」
「央真様、少しこちらに……」
町の端から少し出ると、そこには家もなくまばらに木の生えた林が広がっているだけだった。俺の手を掴むと、マリナは半ば強引にその林の陰に足を進めて行く。無言で歩く彼女の後を数歩遅れて追った。ほどなくして町外れの小さな道も抜ける。
そこは人のいない閑散とした草むらだった。マリナが急に立ち止まったので俺もそれに倣う。
すると彼女は何の前触れもなくふいに体を揺らし、俺の胸に体重を預けてきた。自然と俺の腕が彼女を包むような形になる。突然のことに驚いて身動き一つとれない。マリナは俺のあごの辺りに吐息を当てながら囁いた。
「央真様……」
「は、はひ!」
「……尾行されているのに気付いていますか?」
「こ、こういうのは順序を追ってから……え、尾行?」
「はい、少し前から追われています」
下を向くと彼女は声を潜めて目は油断なく周りを見回していた。
「一人……どうやら素人みたいですねぇ。敵意もなさそうですが……」
耳を澄ますと確かに背後から草をかき分けるガサガサといった音が聞こえた。というかそれは一度気付いてしまえばむしろ何故気付かなかったのかと思うほどの露骨さだった。
「どうしましょう。念の為に首を取って来ましょうかぁ?」
「首!? いや、大丈夫。たぶん俺一人でなんとかできるから」
「央真様がそう言うのなら任せますけど……」
背後の間の抜けた尾行犯よりも密着した彼女の方がよっぽど俺の気を乱していた。不承不承といったように体を離すマリナ。それでも触れ合っていた場所には仄かに彼女の体温が残っていた。その残り香に一瞬クラリとする。彼女は小道に足を降ろした。
「ふぅ、それじゃあそろそろお暇します。楽しい時間はあっという間、って本当なんですねぇ。でも、満足です。また一緒にお散歩してくれますか?」
「あぁいいよ。俺もいい息抜きになったし。でもその、明日からは……」
「はい。しばらくは顔を出さないようにします。でも危険が迫ったら呼んでくださいねぇ。すぐに駆けつけますから」
マリナはそう言うと、名残惜しそうに微笑んでから姿を消した。もう少しごねるかと思っていたので、あっさりした去り際には少々拍子抜けだった。そんな彼女の小さな背中があった場所を眺めながら、自分も名残惜しく感じているのに気が付く。なんだかんだ言って意外と魔女との散歩を俺は楽しんでいたらしい。
彼女が木立に消えてからもしばらくその場に立ち尽くしていた。空を見上げると星々が微かな主張を始めていた。三つの月は刻一刻と近づきつつある。王石の解放が無事に成功すれば、また一緒に散歩をする日は来ないだろう。それに俺の故郷には、きっと彼女を連れていくことはできない。彼女は怒るだろうか、それとも悲しむのだろうか。
瞬き始めた星に罪悪感を呼び起こされつつ佇んでいると、背後から草の踏みしめられる音が聞こえて来た。徐々に遠ざかっている。どうやら見つかる前にフェードアウトするつもりらしい。だがそうはいかない。
俺は落ちていた手頃な石を拾うと、音のする方に投擲した。
「いだぁっ!!」
見事命中。俺の肩も中々捨てたもんじゃないな。丈の高い草をかき分けながらずんずんと近づいて行くと、そこにあるのは尻だった。魅惑的な円軌道の輪郭を描きながら草むらから生えているのは、まさしく尻だった。
「よう、つくも。奇遇だな」
「ワ、ワタシハツクモジャナイデスヨ……ヒトチガイデス」
頭を抑えながらも不自然に高い声を出すつくも。この期に及んでシラを切るつもりか。
「あっ! あんなところに人間が!」
「マジですか!? よっしゃ人間ゲットだぜ!!」
飛び上がろうとした所にすかさずチョップをお見舞いする。つくもはまたうめき声を上げながら草陰へと踞った。
「んぬおぉぉ……飼い主を殴るとは何事ですか」
「だから俺はお前のペットじゃねぇ。で、俺らの後を追って何してたんだ」
「……いや、それがですね。町を歩いてたらたまたま二人を見かけまして、なんだかいい雰囲気だったので」
「だったので?」
「覗き見してやろうかと!」
チョップ。つくもはおよそ女子が発するべきでない悲鳴を上げながらのたうち回った。
「んぬおぉぉぉお! ……もう! 何度も何度も! これ以上縮んだらどうしてくれるんですか! それになんですかあの体たらくは! あんないい雰囲気なんだからあそこはぶちゅーっと行く所でしょ! ぶちゅーっと!」
「お前、俺が庇ってなかったら首飛んでたんだからな……」
無論、いい雰囲気に見えたのはつくもを警戒していたことである。そんな事実にちりほども至っていないつくもは暢気に自分の頭を擦っている。
「でも、央真さん人間だとはバレなかったみたいですね」
「ああ、そうみたいだな。なんとか首の皮が繋がったよ」
「町を歩く央真さん、どっかの極悪な魔王みたいでしたよ」
「なんだ、喧嘩を売ってるのか?」
「違いますよう。魔界に馴染んで来たって意味です。そろそろ魔界での一人立ちも近そうですね!」
不意に返すべき言葉を失ってしまった。彼女もまた俺が人間界に帰ろうとしていることは知らないのだ。無類の人間好きのつくも。彼女にその事を話したらきっと反対されると思っていた。けれど本当のところはどうなのだろう。たとえ今までの努力が全て人間界に帰る為のものだったと知ったとしても、無に帰す協力だったとしても、彼女はまだ協力してくれるのだろうか。
「ん? どうしました? 私の顔に何か付いてます?」
「いや、なんでもないよ」
最後まで隠していることはできない。いつかは話さなければならないことだ。そしてその時間はもう限られて来ている。でも、今の俺は言うことができなかった。先延ばしにすることを、また逃げることを選んでしまった。
「央真さん、デート楽しかったですか?」
「デートじゃねぇって……たぶん。まぁでも、その、なんだ。楽しかったっちゃあ楽しかったよ」
「それなら良かったじゃないですか。さ、もう暗くなりますよ央真さん。帰りましょう」
「……あぁ」
俺が帰りたい場所は別にあるのだと、帰るべき場所はここにはないのだと、彼女は理解してくれるだろうか。いや、来るべき時が来たらちゃんと説明しよう。そしてわかってもらうのだ。俺が元の世界に戻りたいということを。
そして、本当にやりたいことを。
王石の解放が成功したら、人間界に戻る前に魔界で会ったみんなにお別れを言いに行こう。俺はそう決意した。
だがその時の俺は、それが不可能な願いであることをまだ知らなかった。
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