第4章 合流と破裂の試練に

4.1

 翌日。俺が魔界で迎える初めての朝。俺は埃の積もった小さな一室で目を覚ました。居候としてつくもの家の空いていた一室を貸し与えてもらったのだ。

 昨晩、気絶していたつくものお母さん(ゆくもさんと言うらしい)が目を覚ました後、つくもの必死の説得が始まり、その末に俺が無害だとの理解を得て居候することを許してもらった。終始「命だけは……」と呟いていた気もするけれど……まぁ許してくれたことにしよう。

 朝からお母さんに気絶されると店の営業に支障が出る、と言うつくもの悲しくも至極真っ当な意見に従って、俺達は早朝の散歩に出る事にした。

 町には少ないながらも人々が慌ただしく一日の準備のために動きだしている。

 眩しいくらいの朝日を背中に浴びながら歩いていると、まるで元の世界で早朝の散歩をしているような気分になる。ここが魔界だという現実も薄れそうだ。どこか清々しい気持ちを胸につくもの後についていくうち、木の実や果物らしき物を並べて開店の準備を進めている店に通りかかった。

「おばちゃんおっはよ! 今日も良い品揃えだね」

「そりゃうちは新鮮じゃなけりゃ店は開けないさぁ! つくもちゃん、今日は珍しく早いじゃない。お城かい?」

「そうじゃなくて、この人に町を案内しようと思って」

「お、なんだいなんだい。遂につくもちゃんも彼氏を作るような年頃に……ぎゃああああぁぁぁ!!」

 澄み渡る青空に悲鳴が響き渡った。朝の爽やかな空気が一変、火曜サスペンスの如き空気に変わってしまった。八百屋のおばちゃんの手から木の実がバラバラと零れ落ちた。もはやお約束ではあるが、早朝の悲鳴はよく頭に響く。

「こ、ここここれを、すすすす好きなだけ持ってっていいから、店は、店だけは壊さないでくれ!」

 おばちゃんの頭のはるか上に掲げられた売り物は激しい振動で輪郭をおぼろげにしていた。

「あの、別に俺何も……」

「え、好きなだけ貰っていいの!? おばちゃん太っ腹ー♪」

 俺が弁明しようとする横でつくもは持っていた紙袋に溢れんばかりの果物を詰め込んでいる。鬼か。

 朝から行きずり強盗をかましたつくもは抱えた収穫においしそうにかぶりついている。

「いやー、やっぱあそこのおばちゃんは気前がいいね! こんなに沢山、快く譲ってくれるんだもの」

「どんな生き方をしてたらあれが快くに見えるんだよ……」

 無論、俺は一つとして貰っていない。何かを得るには正当な対価を支払わなければ、というのがモットーだ。こう見えて真面目なのだ。こう見えて。

 歩いているうちに石造りの噴水を中心に据える広場に出た。誰も居ないにも関わらず噴水は華やかに水を打ち上げている。

 その脇の適当な所に揃って腰を下ろす。紙袋をガサゴソいわせたかと思うと、つくもは潰れた何かを差し出してきた。

「今度はどっから盗ってきた物なんだ?」

「失礼な。ちゃんと家から持ってきた朝食ですよー」

 恐る恐る齧ってみると、少し固くて湿っている気はするも、特に変哲のないただのパンだった。魔界にもある程度元の世界と似た食文化があることに安心しながら俺はパンにかぶりついた。

「それで、央真さんはなんで魔界に来たんですか?」

「そう言えば話してなかったな」

 食事中の軽い雑談の調子で俺は話し始めた。もう人間だという事もばれてしまっていたので、特に包み隠さずだ。ただし人間世界に生き返してもらう、という報酬だけはぼかしてだ。もし人間世界に帰ると知ったら、この少女は全力で阻止しに来かねない。期限までに試練をクリアすれば閻魔大王にご褒美を貰える、そういうことにしておいた。

「……というわけで、閻魔大王に落っことされたってわけ」

「ふーん。大変だったんですね」

「この壮大な話の感想がそれだけかぁ……」

 つくもは食後のデザートとばかりに果物を両手に持って、代わる代わるかぶりついている。口から溢れた果汁が喉元を伝って、着物の襟元から垣間見える鎖骨へと流れていくのが非常に艶かし……くはない。

「でも閻魔大王様に会えた事は羨ましいかも」

「そうか? ただの臆病な人だったぞ。美人だったけど」

「魔界ではちょっとした有名人なんですよ。ゴールド免許ですし」

「ゴールド免許推すなぁ」

「ちなみに『死後の世界で私と握手!』って宣伝が有名です」

「握手の為だけに死にたくはないかな……」

 そんなフレンドリーな人でもなかったし。

「まぁ閻魔大王は置いといて、問題はこの指輪なんだよ。試練を受けろって言われたって何がなんやらだ。そういう有名な試練があるのか?」

「ちょっと見せてください」

 そう言ってつくもは俺の手を掴んで矯めつ眇めつ指輪の観察を始めた。

 いちいち指を絡めるように触ったり、鼻息が当たるほど顔を近づけたりしているので、なんだかイケナイ事をしているみたいな気がしてくる……なんてことはなく、果物の果汁で手がベタベタになっただけだった。俺は噴水で手をゆすぐ。

「うーん……この真ん中に嵌ってる石、王石みたいですね」

「王石?」

「えーっとですね、王石って言うのは私たちが魔法を使うのに……」

「ストップ! 今なんて?」

「王石って言うのは」

「もう少し後」

「私たちが」

「そんなとこでストップかけるか。その次!」

「その指輪センス無いなーカッコいいとでも思ってんのかな、ってとこ?」

「そんなこと言ってなかっただろうが!! どこから出てきたんだそのセリフ!?」

「心の中から?」

「できればしまっておいて欲しかった!」

 そんなこと考えながら人の指見てたのかよ。

「良いと思いますよ、そういうアクセサリーが気になるお年頃ですもんね! うん、かっこいいかっこいい」

「生暖かい目で見るな! 俺だって好きで着けてんじゃねーよ! じゃなくて魔法! 魔法が使えるのか!?」

「ここは魔界ですよ? 使えない人がいるんですか」

「いるよここに……」

「でもその歳で使えないって……あっ」

「……あっ、ってなんだよ」

「いや、その……大丈夫ですよ? 私も使えるようになるまで時間かかりましたから……まぁ、ね? 練習手伝いますから、ね?」

「自転車に乗れない子のフォローみたいなノリをやめろ!」

「……自転車?」

 まぁ伝わらないか。

 人間は全員魔法を使えないということを正直に告げると、つくもは絶望的な顔をした。

「す、全て……!? せめて三割くらいは使えるのかと思ってた……。だから科学なんかに頼ってウンバボウンバボ言ってるんですね!」

 ウンバボなんて言ってる現代人はいねぇよ。そう反論しようと口を開きかけたが、魔法を使える方から見れば原始人みたいに見えても仕方ないのかもしれない。

「じゃあ魔界の人達は魔法を使って空を飛んだりビームを出したりするわけだ」

「ビームって……そんなことして何の得があるんですか」

 真顔で聞き返されてしまった……。でも男子のロマンじゃない、縦横無尽に空飛ぶとか魔法陣からビームとか。

「残念ながらそこまで万能じゃないですね。魔力は複雑で制御が難しいですから」

「チチンプイプイとはいかないわけだな」

「そうですね……いいですか? 基本的に魔法には二種類あるんです。一つは魔力の制御ができる道具を使った魔法。もう一つは、さっき王石を使うと言ったもの。私たちは『戯式フォーマー』と呼んでます」

「『戯式フォーマー』?」

「はい、原理は難しくなるので省略しちゃいますけど、簡単に言うと全ての人が持った固有の魔法ですね。例えばこんな感じで……」

 つくもは着物の袖を捲ると、左手の人差し指で宙に渦を描くような動作をした。始めは何も起こらないように見えたが、二回、三回とくるくる指を回していくとその軌道上に黄緑色の光が浮かんできた。突如その光は一際眩しく輝くと、その場所には手のひら大の鍋の蓋みたいなものが浮かんでいた。

 俺が自分の目を疑っている間につくもは笑顔でその蓋を開けて、その中に持っていた果物を放り込んだ。その緑色の輪っかをくぐり抜けた果物はどういうわけか忽然と消えてしまった。

「いったいどういうトリックで……いたっ」

 脳天に軽い衝撃が走る。俺の頭でワンバウンドして目の前に落ちてきたのは、間違いなくつくもが放り込んだ食べかけの果物だった。

 唖然として果物と輪っかを見比べる。つくもはふふんと鼻を鳴らして今度は自分の腕をその輪っかに通した。すると頭上の空間から生えてきた腕が俺の頭を撫でた。

「うおぁっ!?」

「どうですか? これが私の『戯式フォーマー』です。能力は自分の目の前と別の場所を繋げられるんですよ。私は『螺召門プリーズマーケット』って呼んでます。凄いでしょ!」

「凄いって言うか……こえーよ!!」

 空中から生えた腕は手を振ったり指を立ててピースをしていた。つくもが腕を引き抜いて蓋を閉めると、その蓋と光の輪っかは音もなく消えていった。

「まぁこんな感じでみんな様々な『戯式フォーマー』を持ってます。魔界に住む人はみんな体のどこかに王石って呼ばれる石を持って産まれてくるんです。その王石を通すことによって、魔力を現象に変化させられるんですよ」

 なんだか頭が混乱してきた。要するに、魔界の人達はみんな王石ってのを持ってて、それを使って魔法が使えると。

「それで、その王石ってやつにこの指輪が似てるのか」

「うーん……というよりも王石の原石ですね」

「原石?」

 目をグルグル回しながらオウム返しに聞き返す俺の指輪を見ながら、つくもは癖なのか、宙に円を描くようにくるくると指を回しながら説明を続けた。

「えーと、持ち主が産まれたばかりだと王石は外殻に覆われていて石ころみたいな見た目なんです。でも持ち主が試練を乗り越える事によってその外殻が剥がれます。そうすると……」

 つくもは着物の左の袖をまくって、こっちに向かって手を振るようなポーズをとった。その左手首の裏には、形は歪だが鮮やかな緑色をした翡翠のような宝石が埋まっていた。

「こんな風になります。王石の外殻が剥がれて、こんな宝石に変わることを王石の解放と呼んで、解放された王石は……」

「光り輝く……」

 最後の言葉を引き継いだ。右手に嵌った指輪に目をやる。石ような表面の奥に光り輝く宝石が見える気がした。

「じゃあ、もしこれがその王石だったとしたら、外殻を剝がせば光るんだな!?」

「そういうことになりますねー」

 特に気もこもっていないように答えるつくもとは反対に、俺は突然視界が開けたように気分が高揚してくるのを感じた。ゴールが見えた。簡単だ。この石ころにまとわりついた殻を剝がせば、元の世界に生き返れるのだ。たぶん。

「それで、その試練を受けるにはどうすればいいんだ?」

「色々と方法はありますけど……一番てっとり早いのはやっぱりあそこかなー」

 つくもは急に立ち上がると、いつの間にか空になっていた紙袋をまるめて近くのくずかごに放り込んだ。気付けば広場には多くの人が行き交っていた。

「ちょうど良い時間ですし、せっかくなんで今から行ってみましょうか」

 つくもの伸ばした手を、一瞬躊躇してから掴んで立ち上がる。そのまま引っ張られるように歩き始める。

「行く? 行くってどこに」

「決まってるじゃないですか。魔王城です!」

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