第三話 迷宮に蠢く者#4


 頭痛が痛ぇ……。


 ここ数日、オレの脳裏をしめているのはそんな言葉だった。

 あん? 頭痛が痛いのは当たり前?

 んなことはわかってる!

 おふざけでも入れてないと神経が持たないんだ! 言わせんなよ。

 あのギルドの問題児についてはな!

 このオレ、ブラニットがギルドガードになってそれなりになるが、ここまで頭の痛くなる話は初めてだ!


 アイカ・マキシ・クージョー。


 その名前が彫り込まれたプレートを持つ魔族の女剣士。ランク詐欺と噂される実力の持ち主で、ギルド内部で要注意人物としてマークされている探索者。

 少なくともギルドや辺境領に害を為したことはないし、むしろ貢献の方が大きい。

 人族の探索者よりも魔族の探索者の方が頼りになるというのはなんとも言えない気持ちになるが、だからといってどうなる訳でもないので、ここは飲み込んでおく。

 そもそもこの風変わりな女魔族がただならぬ地位の人物ではないかという話は、ギルド登録時からあった。

 流暢に人族の言葉を使うこと。その発言が概して偉そうであること。しかも、その偉そうな発言が不似合いどころか違和感を覚えないほどに様になっていること。

 オレは魔族の生態に詳しいワケじゃないが、まさか平民から貴族に至るまで全員があんな喋り方をするわけでもあるまい。

 しかも言葉遣いこそ偉そうではあっても、内容は尊大という程のものじゃない。相手に不快感を与えず、どちらかと言えば「仕方ないな」という苦笑混じりの感想を自然に抱かせてしまう。

 いわゆるカリスマ性が高いという奴なのだろう。

(……それだけならまだ、単に教養が高いだけの一般人という線もありえたがなぁ)

 自然に偉そうに振る舞えるというのは、それに相応しい環境で生活し慣れ親しむことで身につく。成り上がりが偉そうに振る舞っても、その性根の貧しさをみせることしかできない。こればかりは教育というヤツだ。

 そしてなにより決定的なのは、人心掌握に長けておりリソースの使い方が実に上手いという点だ。

 あの女魔族は、仕事でまとまったリーブラが手に入るとその晩は酒場エリアが事実上貸し切り状態になる勢いで宴会を始め、居合わせた探索者全員に誰彼構わず酒とツマミを奢りまくる。

 まぁ、酒場エリアで出てくるモノの値段なんぞたかが知れているから、見た目ほど金が掛かっているワケではないが、それでも出費は出費だ。

 そのたびにパーティーの財布を管理しているらしいエターナル・カッパー――おっと、エリザ嬢は渋い顔をしているから間違いない。

 だが、金銭的な面に目を瞑れば、決してこれは悪手じゃない。それどころか『魔族である』という事情を考慮すれば最善手だ。

 あの戦争が終わって早百年。ほとんどの者にとって過去の話になっているとはいえ、魔族に対して忌避感や偏見を持つものはまだまだ多い。

 そしてそれは、探索者も同様。

 代々探索者をやってるような物好きな家系なら先祖が魔族と戦って殺されたなんて話はいくらでもあるし、そうでなくとも魔族の野盗に出くわして戦った経験を持つ者も多い。

 これが同じ人族同士なら「そういう奴もいるだろう」で済む話だが、種族が違えばややこしくなる。

 要するに『魔族全体』がそうである、とみなす風潮が生まれるワケだ。オレとしては馬鹿馬鹿しいとしか思わないが、ともかく世の中ってのはそういうものだから仕方ない。

 だが同時に人間は、自分にとって都合の良い点があれば簡単に主義主張を上書きできる生き物だ。

 あの女魔族が惜しみなく酒とツマミをばら撒いた結果、今では探索者のほとんどがあいつが『魔族』であることをどうでも良いと見做すようになっちまった。

 もちろんそうでない奴もいるが、気にしないのが多数派となった以上はマイノリティグループとして表向きの口を閉ざすしかない。

 もう少なくともギルトの中であの女魔族を悪くいう奴はいないし、その気前の良さと腕前を褒める者も増えてきた。中にはガルカのように長年の同僚の如く付き合う者もいるぐらいだ。

 いや、あいつはどちらかと言えばカモにされているような気もするが、まぁ、本人が気にしていないのであればとやかく言うまいさ。

 ともかく、あの女魔族は僅かな時間でこの辺境領に自らの立ち位置を確立し、存在感を確固たる物にしたのだ。

 一流のペテン師もかくやという腕前だな。


 探索者達の間で立ち位置が確立すれば、それは自然と街の中にも波及する。


 一見一匹狼気質な風来坊が多く、あくまでも利益と損得勘定でつるんでいると思われがちな探索者ではあるが、その実仲間意識は極めて強い。

 一部の例外を除いて一人で仕事を片付けるのは困難を極めるし、パーティーを組めば何倍にも効率があがることも知っている。

 だからある程度経験を積んだ探索者は仲間内で揉めることを好まないし、どうしても揉める際にはプレートを外し探索者ではない立場でかたをつける。

 そしてなによりも重要なのは、その関係を担保するのは公平な分け前であるってことだ。

 中には目先の利益に惑わされて小銭を掠め取ろうする馬鹿もいるが、まぁ……二度とマトモに探索者の仕事はできねぇ。ひっそりと闇から闇へ、って奴だ。

 へ? ギルドはどうしてるのかって?

 そんなクソつまらない案件に関わる暇があったら別のことをしているさ。なにが悲しくてわざわざそんな面倒クセェことに首を突っ込む必要がある?

 それはさておき、探索者達はその仕事柄様々な物資を必要とする。魔物や魔獣と戦うには武器や防具が必要でメンテナンスも必要だ。怪我した場合に備えてポーションや包帯といった消耗品も欠かせない。

 薬草集めぐらいしかしない駆け出しだって弁当ぐらいは必要だしな。

 それらの買い物は当たり前だが全て街で行われる。あの女を仲間だと見做した探索者達は、自分達の行きつけの店を気前良く紹介し、紹介された店でこれまた気前良く買い物をしてゆく。

 商人達にとって常連からの紹介客ってのは重要な上客で、その期待を裏切らない金払いを受ければその気前の良さを仲間内に広めてゆく。

 そうこうしているうちに商人連中の間でもあの魔族女の評判は鰻登りとなってゆき、その様子は一般人の目にもとまる。今ではその出来の良い見てくれと親しみやすい性格もあわせ一角の人気者だ。

 しかも今ではエリザ嬢や『賢者』レティシア嬢とつるんでいることで圧倒的存在感を放っている。

 あの女に正面切って喧嘩を売ろうなんて愚か者は、すくなくともこの街にはいない。

 正直その腕前には内心で舌を巻いたものだが、その正体が『元魔王』だというのならば納得だ。

 そりゃ、人心掌握に長けてて当然。そうでなければ魔王なんて務まるはずもない。

 女だてらに王とは人族の感覚から見れば多少違和感はあるが、魔族は徹底した実力主義を貫いていると聞くし、男女に拘らず長子相続が基本らしいのでそういうものなのだろう。

「あぁ、くそ!」

 できれば知りたくなかった事実だが、知ってしまったからには報告せざるを得ないだろう。

 まぁ、あの変態――ギルマスは笑って流すだろうが、こちらとしてはそれどころじゃない。

 いや、今更あの女がなにか騒動を起こすとは思わねぇが、だからと言って放置して良い問題でもない。

 あぁ、畜生。

 なんだってこんな面倒なことになっちまったんだ!

 知りさえしなければ、他人事だと笑って済ませられたものを!!



   ††† ††† †††



 リザードマン達を一掃した後、私達は再び移動を開始しました。

 留まっていてもなにも得るものは無いのは勿論だけど、増援が押しかけてくる可能性はゼロじゃないし、逸れた仲間を探すためにも今は行動が必要だった。

 今の私は魔法が使えるし、効率にさえ目を瞑れば探知魔法でそのうち痕跡ぐらいは発見できるだろうから。

 というか『賢者』の私が使える探知魔法はそれなりの探索範囲をもっているのだけど、こうも見事になにも引っかからないということは、探査系魔法の効果になにがしかの制限が掛けられているのかも知れない。戦闘用魔法には一切制限が掛かっていないのだから、ここの主はよっぽど私達が戦っている所を見たいらしい。

 少なくとも、この場所が私の探知できる範囲を遥かに超える広さを持っているとは思いたくない。

「~~♪」

 一方のアイカさんは鼻歌交じりでずんずんと先に進んでいる。

 その歩みに一切の躊躇いが無いためそのままついて行っているけど、そろそろツッコミを入れるべきかもしれない。

「……そろそろ聞いた方が良いと思うんですけど」

「ん? なにをだ?」

 意を決して声を掛けた私に、アイカさんが上機嫌に答える。

 どうでも良いのだけど、アイカさんって毎日が本当に楽しそう。悩みなんて無い――なんてことがあり得るワケがないけど、それを完全に表へ出さないというのは流石は元『魔王』様。

「私達、一体どこへ向かって進んでいるんです?」

「知らんぞ」

「………」

 コホン。今日は耳の調子が良くないようです。

「それで、私達、一体どこへ向かって進んでいるんです?」

「知らぬ。風の吹くまま気の向くまま、気軽に歩いているだけだぞ!」

 私の僅かな期待は一瞬で粉砕されました。

 確かに今の所『どこへ向かうべきか』という情報はないし、ある程度は適当になるのも仕方ないでしょう。

 にしても、流石に風まかせ気分まかせというのは無計画にも程というものがあると思うのですが。もっと慎重にことを運ぶべきなのでは?

 あまり時間をかけているとエリザさん達の身に危険が及んでいる可能性もあるのですし。

「……お主の言いたいことはわかるがな」

 私としたことが内心を顔に出してしまっていたみたい。

 やれやれと言った様子でアイカさんが続けた。

「エリザには『標の石』を渡している故にな。無事であることだけは間違いない」

「標の石、ですか……」

 なにやら唐突に聞き慣れぬ単語が出てきましたよ。なんとなくアイテムの名前だとはわかるけど。

「うむ。我らが神『ユリヅキ』様から授かりし神具の一つだ」

 神具、とはまた大きくでましたね。人族で言うところのアーティファクトの一つってところですか。

「これは二つ一組のアクセサリーでな。これを持っている者同士ならばどれだけ離れていてもお互いの無事を知ることができるという神具だ」

 流石はアーティファクト。なんとも問答無用でわかりやすい効果。

「まぁ、名前に反して相方の居場所はわからぬし、どこにいるのかヒントすらくれぬ名前負けにもほどがあるシロモノだが……」

「それは……えっと、まぁ……なんと言いますか」

 そして微妙に残念な部分もしっかり。アーティファクトは神々が残した強力な魔道具だけど、なぜか微妙な欠点が付いてくる事が多い。

 それは神々の茶目っ気だとも便利な道具に依存せぬための戒めだとも言われてるけど、真実はわからない。

「まぁ、それでもお互いの距離が近づけばそれだけはっきりと安否を感じることができるから、全く無用の長物ということはないがな。偶然でもそれとなく感じることは出来るのだから、役に立たぬことはない」

 なるほど。完全に無為無策で歩き回るよりはまだマシってことか。前提条件が少々怪しいことには目を瞑るとして。

「しかし、アイカさん。エリザさんにホント甘いですよね」

 いささか不便があったとしても、アーティファクトが貴重で高価な魔道具であることに違いはない。

 そんな貴重品を、いくらお気に入りとは言え他人に渡すというのは、随分と気前の良い話。私にも一つぐらい……ゲフンゲフン。

「エリザは余にとって最初の友であるからな。これからも溺愛しまくる予定だぞ」

 一方アイカさんの方は屈託のない笑顔で言葉を続ける。

「あ奴は可愛いしやわこいし、抱き心地は良いし、やわこいし」

「それ、前にも聞いた気がしますし、二度言わなくて良いですから」

 基本的には出来る女性的な雰囲気を醸し出しているアイカさんだけど、こと話題がエリザさん関連になると途端にポンコツ化するのは、その困る。

「ぬぅ。余としてはこれでもまだ語り足らぬのであるが……」

「あぁ、えぇ。今のは私の言い方が悪かったですね」

 取り敢えずアイカさんの言葉を遮った。

「私が言いたいのは、エリザさんに対して過保護過ぎるのでは? ということです」

「余が過保護、とな?」

「えぇ。まぁ、言葉としては意味合いが若干不適切ではあるかも知れませんが」

「お主、何を言いたい」

 なにか苦いものでも噛み潰したかのような表情を浮かべるアイカさん。ふむ。自覚はアリと。

 いや、ほんと。隠し事は得意なのに、ごまかし事が苦手なんて妙なところで不器用な。

「一番簡単な例としては」

 とは言えこれは良い機会。エリザさんに対して思うことなんて微塵もないけど、好奇心は抑えられない。

 幸いにしてブラニット氏はレンジャー代役の為に結構な距離を先行していて、大声をあげない限り私達の声は聞こえない位置。

 つまり、以前から気になっていたことをここぞとばかりに聞いておける絶好のタイミング。

 いや、ブラニット氏が邪魔だと言うわけではないけど、やはりガールズトークに中年のおじさんを混ぜるのは、お互い気まずいだけだろう。

「アイカさん。エリザさんの肌が人目に晒されるのを極力避けようとしていますね?」

「当たり前だ。乙女の柔肌は、そうそう衆目に晒して良いモノではないからな」

 なぜか胸を張るアイカさん。だからエリザさん絡みになると、どうしてこう……。

「一般論としてはそうでしょうけれど、アイカさんが気にしているのはそんな些細なことではないと思うのですよ」

「……む」

「入浴タイムを独占しているように見せて、私はもとより屋敷のメイド達からさえエリザさんの身体を隠そうとしていますよね?」

「………」

 私の指摘に黙り込むアイカさん。

「言っておきますと、美少女の裸体は何にも勝る宝だからだ! ……なんて答えは受け付けませんのであしからず」

「………」

 口を開きかけて、そのまま閉ざすアイカさん。多分、私が『どこまで知っているか』をはかりかねていて、うかつなことを言えない状態に陥っている。

「……彼女は普通じゃない」

 だからアイカさんの耳元に唇を寄せ、そっと囁いた。

「少なくとも見た目通りの人物じゃないってことは充分に承知してますので」

「……ふん。食えぬ奴だな、お主」

 どこか諦めたようなアイカさんの返事。だけど、ここは踏み込むべきタイミング。

「で? お主はなぜそう思ったのだ?」

「エリザさんの身体には、傷──古傷が一つもありません。服で上手に隠しているのではなく、完全に」

「………」

 無言でその先を促すアイカさんに、私は話を続けた。

「探索者、それもレンジャーとして活動していたのであれば、罠にかかることもあれば魔物に不意打ちを受けることだってあるでしょう。それだけではなく自然環境全てが探索者の敵です」

 魔獣や魔族との戦闘や罠など探索者を傷つける要素は数数多ある。その上、レンジャーはその特性上、茂みの中や狭い通路など身体を傷つける自然環境に身を置くことが多い。生傷が絶えないのは当然として、致命傷ではない古傷があちこちにあるのが当然。

「ですが、エリザさんの身体は『キレイ』過ぎます。少なくとも探索者の身体じゃありませんね」

 それは浴室でエリザさんの身体を直接目視して確認した事実。間違いない。彼女の身体には大小問わず一切古傷の痕がない。

 これが彼女が駆け出しの新人だったり、傷を負いそうな仕事は回避し安全な案件だけ狙っているというのならばまだわかる。

 だけど、実際には逆で危険な仕事を度々請け負っているのが現実。それとなく調べたら、大怪我を負って治療院に担ぎ込まれたことさえあった。これで古傷の一つも無いというのは不自然にも程があるってもの。

 しかも、全く傷を負わないのならまだしも、直近の生傷は残っている。そしてその傷跡は古傷とならずいつの間にか消え去っているのだから。

「お主……余だけでは無くエリザの身体もよく観察しておったのだな」

 はぁ、とため息をもらすアイカさん。

「余らの憩いタイムに入りたがる痴れ者かと思いきや、全て計算ずくだったとは恐れ入る」

「ご存知なかったかも知れませんけど、賢者の血とは知的探究心を拗らせた一族のことを指すんですよ?」

 『賢者』とは賢き者の尊称じゃない。賢くあろうとそれ以外の全てを捨て去った気狂いのあだ名。

 一族の中には好んで不死の呪いを受け、教会に追われながらもいまだ世界中を駆け回っている者──それは私の叔母だ──もいるぐらいには。

 さすがにこのレベルになるとちょっと真似出来ないし、したくもないけど。

「この世界はまだまだ広く、私のような若輩には想像もつかないような多くの知恵と知識が眠っています」

 エリザさんのこともその一つ。飽くまでも知的探究心の話であって、彼女がなんだったとしても付き合いが変わるものじゃない。

「……本当に底の知れぬ者だな、お主」

 心底呆れたようなアイカさん。

 ふっふっふっ。流石の魔王様の目を持ってしても私の本質は見抜けていなかったということ。

 まぁ、我が一族の初代は贅沢三昧・豪遊の限りを尽くした挙げ句、全てが虚しくなって悟りを開き、そのまま知の探求へとのめり込んだなんて言われている変人で、その血を引く一族を常識で測ろうというのが無理な話。

 なお件の初代は自ら肉体を捨てて意識生命体となり、未だに世界を彷徨っていると言われてるけど、機会があればあってみたいもの。

「アイカさんが道化を演じるのを好んでいるように、私は愚者──知識欲に取り憑かれた愚か者──を演じるのを好んでいるだけですよ」

「余も人のことを言えた義理ではないが、随分と変わった趣味だな」

「類は友を呼ぶ、と魔族の方はおっしゃるのでは?」

 アイカさんの言葉に、魔族の格言で返してみる。

「くっくっくっ……言うではないか、お主。あぁ、たしかに余とお主は同類であろうな」

 なにがツボに入ったのかはよくわからないけど、大声でアイカさんが笑う。

「さて。エリザが何やらいわくを抱えているのはお主の見立て通りだ。それが何なのかは余も詳しくは知らぬし、問い詰める気もない」

 まぁ、アイカさんならそうだろう。私もそこまで期待していたワケじゃないし。今はエリザさんが訳ありであるという事実さえ確認できれば上々。あとはじっくりねっとりと探求してゆくだけ。

「秘密というものは無理矢理暴くのもそれなりに面白いモノであるが、刹那に終わるのはつまらぬし、なにより情緒がない」

 少し自分の考え事をしている私の横で、アイカさんが言葉を続けている。

「いつその秘密を打ち明けてもらえるのかヤキモキするのも、これはこれで至高の時間であるぞ」

 うん、やっぱり趣味という点ではアイカさんと分かり合うのはちょっと無理かも知れない。

 私はちょっとだけ可愛い女の子が好きなだけの、至ってノーマルな性癖の持ち主なのだから。



   *   *   *



「……! 罠があるぞ」

 更に数十分ほど歩いたとき、先行していたブラニット氏が右手を後ろに突き出して、私達を止める。

「ワイヤートラップだが……こいつは爆発物系か?」

 腰から作業用ナイフを取り出し慎重に解体を始めるブラニット氏。片手間の手慰みだなんて言ってたけど、彼のレンジャー技能は決して低くない。

 なるほど、どんな危険な任務でもソロで達成するギルドガードの腕前は本物ってことね。

「……にしても、面倒なこと」

 そのワイヤートラップは目の前にあるにも関わらず私の探知魔法に反応していない。

 ワイヤー自身に高度な魔法反応阻害の魔術が組み込まれているのだろう。誰だか知らないけど、ここの術者は私よりも魔法において一歩上を行っているのは間違いない。

 本当に、本当に腹ただしいことだけど!

「取り敢えず、解除した。他にあるかも知れねぇから、気をつけて進むぞ」

 ブラニット氏がそう指示し、私達が再び動き始めたとき、それは突如として起きた。

「ふん! あのトラップに気づくとは、少しはやるみたいじゃない!!」

 頭の上から突如として浴びせられた大声に、私達は思わず顔を上に向ける。

 十数メートル先にある大木、その木の枝の上に、一人の女性が立っていた。年の頃はエリザさんと同じぐらいか。

 おへそを出すように左端で結ばれたシャツに、腰回りはミニスカートでそんな格好で木登りはいささかはしたないと思ったらショートレギンスを穿いている。防御は完全と。

 更には細めのベルトを胸の上下に巻いており、二つの膨らみをこれでもかと強調していた。

 むむむ……何がとは言わないけどあのサイズ、アイカさんに匹敵するのでは? 侮れない相手。

「……なんでしょう、アレ?」

 そして、頭の上で絶大な存在感を放つ猫耳と、おしりから飛び出している尻尾。

 一応獣人という種族もいるけど、こちらはいかにも二足歩行して衣類を身に着けた動物といった姿をしていて人にはあまり似てないのが普通。

 ここまで人族に似ている獣人(?)は初めて見た。

「悪いけど、あんたらがこの先に進むのは『あのお方』にとって好ましいことじゃない。ここでリタイアしてもらうよ!」

 そう言いつつなんとも軽々と女性は枝から飛び降り、地面に着くと同時に指をパチンと鳴らす。次の瞬間その姿が三つに別れ、同時に襲いかかって、来た──!

「猪口才な!」

 私の前にアイカさんが飛び出し、迫りくる女性のうち二人を斬り裂く。斬られた二人は一瞬でモヤのように薄れて消え、残り一人は後ろに飛び退き距離をとった。

「この短時間で本体を見抜くなんて……とんだ勘の持ち主だな!」

「勘、ねぇ……まぁ、そなたがそう思うのであれば、それで良かろう」

 首を左右にコキコキと曲げながらアイカさんが言う。

「此奴は余が相手をする故に、レティシアとブラニットは下がっておれ」

「ハッ! 舐められたものね! 三対一でもこっちは全然構わないんだけど?」

「余は猫派故にな……せっかくのふれ合いチャンスを逃したくないだけだから気にするでない」

 言ってることは無茶苦茶だけど、その身体から発せられる威圧感は本物。それに気づいたのか相手の女性も若干腰が引けている。

「ま、まぁ、いい。名はカット・エラッタ! お前、名を名乗れ!」

「余か? 余の名はアイカ。流浪の剣士よ」

 カットと名乗った女性に答えながら、アイカさんが刀を鞘に戻した。

「お前、なんのつもりだ?」

 流石にカットさんも不審に思ったらしい。鋭い目つきのままアイカさんに尋ねる。

「ん? 暗器を持ち出す様子もないし、お主は格闘家なのであろう? であれば余もそれも合わせるだけのことよ……優しくしてやるから、安心するが良いぞ」

 言われてみればカットさんは両手に篭手らしきものを付けているものの、それ以外の武器らしきものはなにも持っていないみたい。完全に拳で語る系の人だ。

「馬鹿にして……っ!」

 怒りで顔を真っ赤にしつつもカットさんがアイカさんへと飛びかかる。

 一瞬攻撃魔法を打ち込んでみようかと思ったけど、アイカさんに手出し無用と言われたからには控えておくべきだ。

「『豪腕』!」

 アイカさんがそう叫ぶと同時に、その両手に青白い炎のような幻影がまとわりつく。

「言っておくが、余は組手甲冑術もそれなりに嗜んでおる故な、甘く見るでないぞ!」

「ほざいてろ!」

 カットさんの右拳がアイカさんの顔面へと迫る。それをはらいのけたアイカさんに、すかさず左拳をを突き出し追撃を狙う。

「狙いは悪くないな」

 迫ってきた左拳を最小限な顔の動きで躱し、そのまま足払いでカットさんを転ばすアイカさん。

 いや、先程余計なことをしなくてよかった。ちょっと割り込める隙が見つからない。これは魔法を使っても無駄になるだけ。最悪フレンドリーファイアになりかねない。

「んな!」

 転ばされた方のカットさんは地面で側転し、一瞬遅れてアイカさんの拳が直前まで彼女がいた地面に叩き込まれる。

 パラパラと土片が飛び散り、アイカさんの拳が当たった部分は恐ろしいことにちょっとした窪みになっていた。

 素手でこれって、一体どんな破壊力ですか?!

「……化け物め!」

 カットさんが呻く。わずかでも転がるのが遅れていたら、この一撃をモロに受けてしまい到底無事ではすまなかっただろう。

 次の一撃を加えられるよりも早く、彼女は蹴りでアイカさんを牽制し、その隙に立ち上がる。

「今度は余からゆくぞ!」

 立ち上がった早々アイカさんの右ストレートを受けるカットさん。それを左の篭手で受け、右手でアイカさんの腕を掴みそのままひねり上げようとする。

「ククク……そうすると思うておったぞ!」

 言葉と同時にアイカさんの左膝が跳ね上がり、カットさんの腹部に食い込む。

「この……っ!」

 二・三歩よろけつつも、カットさんは掴んだ右手を離さずアイカさんの動きを封じた。そしてアイカさんの胴に前蹴りを浴びせる。

「チッ!」

 腕を掴まれていては回避の自由もなく、アイカさんは蹴りを受けてよろめく。同時に掴まれていた右腕を払い除け、よろめきながらも身体の自由を取り戻していた。

「覚悟!」

「甘いわ!」

 そこにさらなる追撃を加えようとしたカットさんに、ふらつきながらも横合いから回し蹴りを食らわせるアイカさん。

 とっさに両手を構えてその脚を受け止めたものの、その勢いまでは殺しきれずカットさんはその場でこらえるのが精一杯。

 そこにアイカさんの追撃の拳が襲いかかり、カットさんは右頬から殴り込まれた。

「……んがっ!」

 唇の端から血が飛び散りつつも、カットさんは左拳をアイカさんの脇腹に叩き込み、これ以上の追撃を受けぬよう距離を広げる。

「……魔族って、どんだけ化け物揃いなんだか」

「なに、今の一撃はなかなかのものだったぞ」

 苦しげにカットさんが吐き捨て、痛みがあるのか若干頬を引き攣らせつつアイカさんも答える。

「まさかあの体勢から反撃を加えてくるとは、見上げた敢闘精神だな」

 うん。右頬に決まったあの一撃は相当に痛かったと思うけど、それでもアイカさんに反撃してきたのはすごい精神力だ。私だったら、間違いなくのびてる。

「くそっ! 足止めは失敗か……オークヒーローはともかく、魔族ごときにこれほどの強者がいたとは」

「ごときとは言ってくれるな。どうだ? 余はなかなか強いぞ?」

「……この身体は、魔獣に襲われ死ぬ筈だった私に、あのお方が授けてくれた物」

 カットさんがペッと地面につばを吐く。それが薄く赤い色をしていたのは口の中でも切ったのか。

「この大切な、た・い・せ・つ・な・器を、これ以上損耗するわけにはゆかない……ここでの勝ちは譲っておく!」

 そう言うと同時に、胸元からなにかを取り出し、止める間もなく地面へと叩きつける。

「なっ!」

 叩きつけられたそれはまばゆい光を放って周囲の視界を奪い、光が収まった後にはカットさんの姿は綺麗サッパリと消え去っていた。

「こ、ここで逃げるだと!」

 アイカさんがぐぬぬとでも言いたげな表情で、すでに誰もいなくなった場所に抗議の声を上げている。

「お、おまっ! せっかく乗ってきたというところでお預けとは、殺生にも程があろう!」

 なにやら物騒な抗議をしているアイカさんですが、私の意識は完全に他のことに奪われていた。

「転移、アイテムですって……」

 準備も必要なくただ使うだけでどこかへ転移することが可能な魔道具など、お目にかかったのは初めて。

 私の転移魔法よりはるかに便利なシロモノ。

「せめて……研究のために一つ欲しかった……」

 思わず呟いた私にブラニット氏がなんとも言えない視線を向けてきたけど、今はそんなことはどうでもいい。

 遠くからバサバサと翼の音を立てながら大きな影が私達の方へと接近するのが見える。

「あれは……ワイバーン?」

 一匹だけでも相当な脅威であるワイバーン。それが複数羽ばたきながらこちらへと向かっている。

 流石にこの数相手で苦戦は免れない。

(これは……流石に本気の本気を出す必要があるかも)

 と思ったら、戦闘準備で構えた私達の頭上をそのまま通過してどこかへと向かってゆく。こちらには一瞥をくれることもなく、ワイバーン達は飛び去って行った。

「ハハハッ!」

 ポカンとそれを見ていたアイカさんが、急に笑いだした。

「なるほど! そうか! そういうことか!」

 なにやらお一人で納得しているようですが、ちょっと怖いですよ?

「ゆくぞ、レティシア! ブラニット!」

 そんな私の内心に構うことなく、アイカさんが言う。

「あの化け物共が向かう場所にこそ、エリザ達はおるであろうからな!」

 なるほど。そうに違いない。

 カットさんは、あのワイバーン達の目的地に私達を向かわせたくなかったのだろう。

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