幕間3 結果

 するとその頭上に音もなく円環が浮かび上がる。型式と”緊急停止中”の文言がぐるぐる回りだすと、周囲の景色も歪みだし、平衡感覚をわずかに惑わしながら徐々に砂浜が、海が、空が姿を消した。伊野田は長く長く息を吐きだした。ため息という奴だ。


 気づけばそこは、もとの無機質なコンクリート造りの部屋に戻っていた。天井からぶら下がっている照明の明かりはあまり頼りになりそうもなく、ゆらゆら揺れて伊野田の顔を照らしていた。汗だくで肩で息をする彼をよそに、女性型の訓練用オートマタは涼しい顔で、ただそこに居た。そこへ青く点滅したゲートが開き、笠原拓が姿を見せた。色黒茶髪で、いつも危機感の無さそうな顔をしてる男だ。めずらしく作業着を着ているから一瞬誰だかわからなかった。実験場のメンテナンススタッフかと思ったのだ。


「なんだ、様子を見に来たつもりが終わりか? 今回はどこに行ってたんだ」

 拓は残念そうに声を上げてからこちらを一瞥し、白い歯を見せて笑った。

「拓…。今回は浜辺だったよ」

 伊野田が足元や服を確認すると全く濡れていなかった。疑似空間だというのにすさまじい精度だなと、毎度のことながら感心する。

「へぇ、そんな設定まであるのか。細かいな」

 拓は実験場の操作盤に目を通しながら、面白がるように「こんど海水浴でもするか」と彼に声をかけた。いろいろな設定を試しているらしく、実験場の擬似空間が次々と構築されては消えた。

「いやだよ。つまりここでってことでしょ?」

 伊野田はあっさりと否定し、カジノ、オフィス、南国、雪山に切り替わる部屋を眺めながら頭を上げた。拓は操作盤に飽きたのか、口で言うほど興味は無かったのか、こちらに向かって来た。


「で? どうだった? 調子は戻ったか?」

「まいったよ。ぜんぜん戻らない」

 そう言いながらゆっくり立ち上がる。なんとなく服を手で掃ってしまった。停止したままの女性オートマタの腕を別の方向に動かしつつ、今回のトレーニングを振り返る。


 本来なら意図せずともオートマタの動作予測を察知できるはずが、それが全く働かなかった。今までいかに自分の特色に頼って戦っていたかを痛いほど実感する。おまけに身体も重く、反応までに数秒遅れる。それが連続すれば押されて反撃できなくなり、簡単に負けてしまう。体力が戻ってきたとはいえ、この状態ではまだ使い物にはならないだろうと伊野田は落胆しかけた顔を無理やり持ち上げた。そこに笠原が追い打ちをかけるように口を開く。


「1対1でもまだダメかぁ。こりゃ重症だな」

「しかも3分も持たなかった」

 伊野田は立ち上がり両手を広げた。体中に青色のライトペイントが浮かび上がっている。トレーニングで故障しては元も子もないので、オートマタの攻撃は直接当たらないように設定をしていた。それでも転がされたり投げられたりはするが。


 そこで実際に攻撃を受けた場合を想定するために、その軌跡がライトペイントとして残るようにしていた。時間経過で薄れていくものなので、実験室を出るころには消えているだろう。伊野田の体中に残されたそれを見て笠原が唸る。伊野田も眉をひそめた。何回か対戦してるけど、機体が優秀なのだけはわかったね、という顔だった。


「うーん、これが満身創痍ってやつかぁ。なにか対応策増やさなきゃなぁ。この別館は防衛システムあるっちゃあるけど、笠原工業の方も突破策を用意してるだろうからなぁ。こりゃはやく仕上げなきゃな」

「仕上げる? 何を?」

「俺の仕事。俺だって何もしてないわけじゃないんだからな。あとでな」

「なんも言ってないじゃんか」

 颯爽と去って行く拓を尻目に、伊野田はぼやくように返事をし、棚に置いてあったタオルを掴んで顔に当てて、そのまま肩にかけた。

「きみも、おつかれ」

 と、トレーニング用のオートマタに声をかけるが、当然ながら返事はなかった。


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