幕間2 訓練場の戦い
「どうしたら君に勝てるかな…」
伊野田は独り言ちつつ、女と距離を保ちながら左に移動した。女もこちらを見据えながら対角線上に動き、距離を縮めようとしているのがわかる。女の背面に海辺が来る形になったところで、互いに歩みを止めた。相手は瞬き一つせずにこちらを見据えている。
腰を落とし構え、息を止めたと同時に視界に砂が巻き上がった。女が砂浜を蹴り上げてからこちらに飛びかかってくるのが垣間見える。伊野田は反応が遅れたが冷静に所作を捉えた。呼吸が戻る。脳内に酸素が取り込まれるのがわかった。
女は蹴り上げた時の足を着地させた勢いで踏み込み、もう片方の膝を顔面めがけて打ち込んでくる。その速さに驚きつつも咄嗟に受け流そうと、伊野田はナイフのグリップで女の膝を弾いた。重い。衝撃だけが波紋のように腕から背中まで伝わる。それを甘受する暇もなく、視界左方に影が入り込む。
女の腕が掠めて真横を薙いでいく直前に、彼は後方に跳ねながら身体を捻り回転する力で女を蹴り飛ばした。女は表情を変えることなく砂浜に倒れこみつつ、素早く後転して立ち上がった。間髪入れずに飛びかかってくる。こちらの急所を狙ったナイフ捌きを、伊野田は冷や汗をかきつつ受け流した。明らかに自分のテンポより女の方が速く軽快で的確だった。
だがそれでも負けてやる気はない。
唇を舐めつつ眼光をひと際鋭くさせて、彼は膝を踏み込む力を使って思い切り女のナイフを弾いた。バランスを崩した女が体勢を整えるより一歩だけ速く、伊野田はその懐に入り込み女の顎に肘を打ち込んだ。勢いでその場でターンしてしまうが、頭蓋を揺さぶられた女はさすがに目を回したのか(あるいはフリなのか)視点の定まらない瞳で宙を見上げる形になった。息を吸う間もなく、その足を払いのけると女はあっという間に砂浜に倒れこむが、その腕が自分の首元に回っていたことに気づくことができず、伊野田は引き込まれるように同時に砂浜に転倒した。
揉みあいながら波打ち際に転がったところで体の自由が利かないことに今更気づいたころには遅く、女に蹴り飛ばされたのか波打ち際に背中から着水した。
再び距離が取れた分には良かったが、海水を含んだ衣服が自分の体をさらに重く感じさせた。それを無視するように伊野田はナイフを振り上げた。飛沫が弧を描くように宙に舞う。転がり合っている間にどちらにも裂傷ができたはずだが、確認している余裕は無かった。女の首元を狙ったナイフは難なく受け止められたがそれは本命ではなく、腕の位置はそのままに、瞬時に腰を屈め女の内ももに打撃を打ち込んだ。不意をつかれて体勢が低くなるところを追撃すべく、顔面を弾くように裏拳を打ち付ける。頭をのけ反らせた女は、その勢いで後方に倒れこむように体を流したが、そのままブリッジをするように体を持ち上げて縦に1回転し、再び立ち上がったところで即座にこちらに向かってくる。
直前に蹴り上げられた挙句、波うち際に足をとられた伊野田は奥歯をかみしめながらも、目の前から繰り出されるであろう攻撃から逃れる術を実行するより先に、女のナイフが自分の胸部に振り下ろされるのを受け止めるしかなかった。だがそれは突き刺さる直前に動きを止めた。
伊野田は背中から砂浜に倒れ込み、両肘で体を支えるような恰好のまま、一度ごくりと唾を飲みこんだ。そこに乗りかかるような姿で女も停止する。その目はどこも映していないようだった。
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