幕間1 訓練場
青年は涼風を感じたような気になり、瞼をそっと開ける。空は雲が覆い白くなっていた。天気が悪いわけではないが、どちらかというとドンヨリしている。紫外線だけは通るのか、ずっと見つめていると目に染みる感覚を覚えて彼は顔をしかめて視線を落とす。身体が重いのを天気の所為にしたかった。
いつから波の音がしていたのだろう。我に返って周囲を見渡すと、そこは浜辺だった。波が足元まで迫ってきたので、慌てて避けようとすると、粒子の細かく柔らかい砂浜に足を取られそうになる。よろけながら波から少し離れて海を眺める。どこからともなく波が押し寄せ、形を変えて破裂し戻り、またやってくる。
そんな潮の満ち引きをゆっくり見るのは好きだ。昼間の波打ち際も好きだが、夜の吸い込まれそうな海も好きだった。夜もまた来ようかと考えて、試しに波の中に手を沈めてみる。ほどよく冷たくて、まるで本物のようだった。さすがに泳ごうとは思わなかったが。
青年は琥珀色の瞳にそのデータを反映させ、ブラウンの髪に指を通した。砂っぽさを感じられないことに少しだけ安心して、羽織っていたシャツの裾を叩いた。足元はジーンズとスニーカーだったのでラフすぎるかなと思ったが、いつでも万全の状態で”事の始まり”に遭遇するわけではない。
”事の始まり”は寝起きかもしれないし、食事中やシャワー中とも限らないのだ。だからといって全裸でここに来るなんてこともしたくはないが。
ふと後方の気配に視線を泳がせると、そこには女が居た。どこからともなく姿を現した背の高い女は、瞬きもせずに何も語らない瞳でこちらを見ている。ひざ丈のシャツワンピースにブーツを履いた姿で、自分と同じくらい、浜辺に似合うとは言い難い恰好ではある。
黒髪を顔の輪郭に添わせたショートカットで、前髪を斜めに流している。見ると彼女はナイフを持っていた。ハンドグリップが付いていて、自分の左手に握られているのと同じものだ。こちらに向かってゆっくり歩いてくる。
彼は、伊野田は自分のすることを思い出した。浜辺に遊びに来たわけではない。目の前の脅威を無力化しなければならない。できることなら3分以内に。それ以上は体力が持たないだろう。つまりその時が自分の負けである。
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