第20話『ポチ……ポチ!』
ポナの季節・20
『ポチ……ポチ!』
ポナ:みそっかすの英訳 (Person Of No Account )の頭文字をとった新子が自分で付けたあだ名
由紀の祝勝に沸いて家に帰ると鍵がかかっていた。
この時間帯なら必ず家にいるポチの気配もない。
鍵を開けて家に入ると、キッチンには夕食の準備のために、野菜が切りかけのままのまな板、お母さんのエプロンが畳まれもせずにダイニングの椅子に無造作に掛けられていた。
そして、リビングの定位置にポチの姿も無かった……急いでお母さんに電話した。
「もしもし、お母さん。いったい何があったの?」
母の答えは衝撃的だった。
ポナは急いで自転車で、今朝まで居た大川病院とは違う病院に急いだ。
「お母さん!」
「声大きい。こっちに!」
母に促されて、ポナは診察室に入った。
ポチが、酸素吸入器を付けられて診察台に横たわっていた。
「ポチ……!」
ポチは、うっすらと目を開けて弱々しく尻尾を振った。
「抱っこしてやってください。この子は君を待っていたんだ」
獣医の先生が優しく言ってくれた。ポチは元気な子で、パイプカットに来て以来獣医さんのところには来たことがない。幼かったポナは、獣医の先生にほとんど記憶は無かった。
今も先生の顔は見えない。視野の端にぼんやり眼鏡の顔が見えるだけ。涙に溢れる目にはポチの姿しか見えなかった。
「急性肺炎です。歳なんで抵抗力が無い……しかり抱いてやって」
閉じかけた目をうっすらと開け、口の形だけで「ワン」と言った。
そして、そのままポチの体から力が抜けていった。
「ポチ……ポチ! ポチ!!」
いくら呼びかけても、ポチは返事しなかった。尻尾も振らなかった。
「……いま、逝きました。十八時一分」
自転車を片手運転し、もう片方の手で毛布にくるまれたポチを抱いて家に帰った。後悔がどす黒く胸にわだかまっている。
河川敷にボール遊びに行かなければ……あたしが溺れさえしなければ……。
お父さんとチイニイが帰ってきたころには、ポチはすっかり冷たくなって硬直が始まっていた。
「人間の十六は青春の始めだけど、犬は、もう八十ぐらいだもんな……」
「あたしが……あたしが、ポチを殺したんだ」
「バカ言うな、ポチは本望だったんだよ。最後まで新子と遊べて、最後の最後は溺れる新子を助けられて……」
助けてくれたのは、チイニイだけど、ポチは溺れながら精一杯助けを呼んでくれた。いま思えば、けして声の届く距離じゃなかった、ポチの気持ちがチイニイに届いたんだ。
「明日、ポチの葬式をやろう。もう犬の葬儀屋さんには電話しておいた。お父さんは年休とるよ。新子もくるか?」
「もちろん……」
チイニイは、採用されたばかりで学校を休めなかった。大ネエは、ポナが溺れたときに夜勤を代わってもらっていたので、やはり休めない。チイネエは大学休んできてくれた。
残念なのは、大ニイだ。ポナが生まれた日に子犬のポチを拾ってきてくれたのは大ニイだ。大ニイは任務行動中で、連絡をとることさえできなかった。
ポチがお骨になる間、みんなほとんど口を利かなかった。
ポナは赤ちゃんのころから、ポチを双子の姉弟のように思っていた。物心ついて人と犬の区別がついても気持ちは変わらなかった。ポチは犬語しか喋らないけど、ポナには全て分かった。ポチは、死ぬまで自分の事をポナと同様に十六歳の男の子と思っていたのだろうか……いや、やっぱり自分の歳は感じていたんだ。ボール遊びだって、若いころのようにポナが嫌になっても止めるようなことは無かった。二十回もやるとアゴが出ていた。ガンバってポナに付き合ってくれたんだ。
二時間後、ポチは牛乳パックぐらいの箱に収まってポナの手にもどってきた。
「こんなに小さくなっちゃった……」
「遺骨の一部はナンチャラ加工して、ペンダントにしてもらう。一週間ほどでできる。新子にやるから身につけてろ」
お父さんが車の中で言った。嬉しかったけど、ポチが戻ってくるわけじゃない。
車窓から見える小さな雲がポチに似ていた。ポナにはポチが雲になって付いて来ているような気がしていた……。
※ ポナの家族構成と主な知り合い
父 寺沢達孝(59歳) 定年間近の高校教師
母 寺沢豊子(49歳) 父の元教え子。五人の子どもを、しっかり育てた、しっかり母さん
長男 寺沢達幸(30歳) 海上自衛隊 一等海尉
次男 寺沢孝史(28歳) 元警察官、今は胡散臭い商社員だったが、乃木坂の講師になる。
長女 寺沢優奈(26歳) 横浜中央署の女性警官
次女 寺沢優里(19歳) 城南大学社会学部二年生。身長・3サイズがポナといっしょ
三女 寺沢新子(15歳) 世田谷女学院一年生。一人歳の離れたミソッカス。自称ポナ(Person Of No Account )
ポチ 寺沢家の飼い犬、ポナと同い年。
高畑みなみ ポナの小学校からの親友(乃木坂学院高校)
支倉奈菜 ポナが世田谷女学院に入ってからの友だち。良くも悪くも一人っ子
橋本由紀 ポナのクラスメート、元気な生徒会副会長
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