第13話

 和也がまだ16の頃。和也と同じ学校に通っていたのが、後の彼の妻であり、謙也の母親となる美咲だった。

 当時の美咲は、ポニーテールがよく似合う活発な少女だった。同じクラスではあるものの、和也は大して美咲と仲がいいという訳でもなく、ただのクラスメイトという存在でしかなかった。


 ある日、和也は不思議な出会いをした。地元にある湖畔にて、一人の少女と出会ったのである。見たことのない制服を着る彼女は、一人でただじっと、湖に視線を向けていた。その横顔に見惚れるような感覚を覚えた和也は、それが一目惚れなのだとすぐに気がついた。

 しかしその日は、話しかけることはしなかった。そうするだけの勇気がなかった。

 それからしばらくの間、和也は毎日のように湖畔にて少女の姿を見るようになった。


 一週間ほどが経過したある日のこと、和也はようやく勇気を出して少女に話しかけることができたのだ。

 人がほとんど通らない道には雑草が生い茂っていて、和也はそれを踏み分けながら少女の元へ歩いていく。

 幾らか近づいたところで、足音と人の気配に気が付いたのであろう少女は振り返った。


「——えっと、こんにちは」


 どう話しかけようか、一瞬悩んだのちに和也はそう言った。その言葉を聞いた少女もまた、微笑を浮かべながら「こんにちは」と返事をする。


「隣、座ってもいいかな?」

「どうぞ」


 透き通るような声に安堵して笑みを浮かべると、謙也は少女の隣に並ぶように腰を下ろした。


「俺は高崎和也。君は?」

「私は……雨宮ゆりね」

「ゆりね、いい名前だね」

「ありがとう」


 ずっと湖の方を眺めるゆりねは、嬉しそうに笑みをこぼした。


「いきなり話しかけて、驚かせてたらごめん」

「大丈夫よ。気にしないで」

「良かった。ここのところずっと君のことを見かけてて、気になってたんだ」

「そうなのね」


 その日から、和也は毎日のように湖畔に足を運ぶようになった。平日は学校帰りに、休みの日は暇があれば湖畔へと足を運ぶようになった。

 ゆりねは毎日湖畔にいたものの、いくつか気がかりなことがあった。それはゆりねが、休日でも制服を着ていることだった。和也はゆりねが制服以外の服を着ているのを見たことがなかったのだ。

 一度だけ触れたゆりねの手も、夏なのに真冬のように冷たくて、どこかに遊びに行こうと誘っても頑なに断る彼女のことが、和也は少しだけ気がかりだった。


 夏休みに入ってすぐのこと、地元で行われた祭りに友人から誘われた和也だが、彼はこっそりと祭りを抜け出し湖畔へと向かっていた。そんな和也の腕を掴む少女が一人。それは美咲だった。隣に立つ見慣れない少女を一瞥したのちに、和也は徐に尋ねる。


「どうしたの、こんなところで?」

「どうしたのって、友達と祭りにいくだけだけど……高崎くん、何か妙なことあった?」


 脈絡のない問いかけに、和也は首をかしげる。


「特に何もないけど……」

「そう。それならいいんだけど……これからどこに行くの?」

「帰るんだよ」


 適当に吐いた嘘を見透かすように、美咲は訝しげな視線を向ける。


「帰るって、まだ花火もあがってないのに?」

「そうだよ。残念だけど、急用ができたから」

「ふぅん」


 依然訝しげな表情を向ける美咲だったが、彼女は渋々和也の腕から手を話した。なぜだか、和也は本当のことを言いたくなかった。年頃に恥ずかしかったのか、はたまた何かを本能的に感じていたのか。とにかく和也は、逃げるように湖畔へと走っていった。


「やっぱり、今日もいた」


 湖畔に到着すると、ゆりねはやはりそこに居た。和也は声をかけながらゆりねの元へと歩み寄ると、いつも通り彼女の左隣に腰を下ろす。

 ほどなくして、一発目の花火が打ち上がった。打ち上げられた花火は、夜の闇を彩り、それと同時に水面に写り込む。遅れて聞こえる音は妙に心地の良いものだった。

 不意にゆりねに視線を写すと、彼女も花火を見上げていた。その横顔を見て、感じていた高揚感の勢いとともに、和也は自らの気持ちをゆりねに伝える。


「ゆりねさんのことが好きです。付き合ってください」


 思い切って伝えた言葉に、ゆりねはしばらく空を眺めていた。数秒ののちに、彼女はゆっくりと立ち上がる。そうして前に歩き出し、やがて彼女は湖に半身を沈めて振り返った。


「こっちへ来て。そうすれば、私はあなたと一緒になれるから」


 次々に打ち上がる花火が、その姿を照らし出し、数匹の蛍の光も相まって、とても幻想的な光景となった。和也はその姿に惹かれるように立ち上がると、ゆっくりと足を進め始める。

 ——腕を掴む人がいた。男とは思えない、華奢な手だった。

 ハッとして振り返った和也の視界に写ったのは、美咲と、先ほど彼女と歩いていた少女の姿だった。


「でかしたわ灯里。今回はお手柄ね」

「うん。ハクが教えてくれたから」


 褒められた灯里が嬉しそうに笑みをこぼす。和也はわけもわからないまま引き止められると、腕を引っ張られて勢いのままに尻もちをついた。

 呆然とする和也の前に、弓を構えた灯里が立ち、その少し前に立つ美咲は何かの名前を呼んだ。


「——シラフジ」


 唱えるように呟いた美咲の右手には、大鎌が握られていた。

 異様な光景に呆気にとられる和也を他所に、美咲と灯里の姿を見たゆりねは何かを悟ったように、ゆっくりと二人の元へ歩み寄った。


「来るよ、灯里」

「待って、美咲ちゃん」


 改めて武器を握り直す美咲だったが、何か様子がおかしいことに灯里は気が付いていた。すぐに美咲もそれに気がつくと、首を傾げながら武器を下ろした。ゆりねは泣いていたのである。


「あなたたちは、私を殺してくれるの……?」

「え、ええ。まあ、間違ってはいないけど……」


 その言葉に、ゆりねはどこか安堵したように笑みを溢す。そうして美咲の前まで来ると、ゆりねは静かに跪いた。


「お願い。私を——殺して」


 初めての出来事に思わず唾を飲む美咲だったが、やがて彼女は決心したように大鎌を構える。


「潔くていい子ね。すぐに楽にしてあげるから——」

「——待ってくれ! 殺すって、どういうことだよ?」


 咄嗟に、和也が美咲の腕を掴んだ。


「離して、少し眠ってなさい」

「どうして——」

「——眠ってて」


 その目を見た瞬間、強い眠気が和也を襲った。倒れる和也の体を灯里が支えて、静かに地面に横たわらせる。薄れゆく意識の中で、和也は二人の様子を眺めていた。


「ありがとう。灯里」

「うん」


 礼を言ってから、美咲は再びゆりねに向き直った。


「いいのね?」

「ええ、お願い。あの人、とてもいい人だった。巻き込みたくないもの」

「そうね。あまり話したことがないけど、とても優しい人だってことは今わかった」


 返事をすると、美咲は再度大鎌を振り上げる。しかし、振りかざした鎌の刃は、ゆりねの命を奪わなかった。ギリギリのところで止まった刃を見て、ゆりねは問いかける。


「どう、して……?」

「いや、やっぱり無理よ、こんなの。私にはできないわ」


 言いながら鎌を下ろすと、鎌は光に包まれ消えていく。何も持たないままの美咲は、ゆっくりとゆりねの前にしゃがみこむ。


「ねえあなた、——私とお友達にならない?」


 そこから和也は眠りについてしまった。美咲がどんな表情をしていたのか、ゆりねがどんな返事をしたのか。それは和也にはわからない。


「——ありがとう」


 ぼんやりと聞こえたその声で目が覚めたときには、ゆりねの姿はそこになかった。それ以降、彼がゆりねの姿を見ることはなかった。


 夢のような出来事だったが、翌日に美咲本人から口止めをされたため、現実であることがわかった。そしてそれ以降、運が悪いのか、もともとそういう体質だったのか、はたまた体質が変化したのか、和也は幾度か怪異に遭遇することがあった。

 毎回助けてくれるのは美咲で、そんな彼女に恋をした和也は彼女に告白し、付き合うようになった。

 思いの外長く続いた交際はやがて結婚という形で二人を結び、それから数ヶ月後には子どももできた。それをきっかけに美咲は祓魔師をやめて、今の土地に移り住むことになったのだった。


 ある日。それはなんの前触れもなく訪れた。まだ二歳になったばかりの謙也を連れて、家族でテーマパークへ行った帰りのこと。すっかり暗くなった帰り道を歩いていると、不意に美咲が何かを察したように声をあげた。


「——かずくん、逃げて! これを——」


 言い切ることもせずに、美咲は携帯だけを残して姿を消した。それが何を表しているのか、和也にはわかった。美咲が、怪異に遭遇したのだ。

 もう神霊と契約を交わしていない美咲が、太刀打ちできるはずがない。そう悟った和也は、彼女が残した携帯の意味もすぐに理解できた。

 和也は落ちた携帯を拾い上げると、急いで灯里へ電話をした。大学生になったばかりの灯里が、近くに住んでいることを知っていたから。


 事情を告げて、和也は謙也を第一優先にして急いで家へ帰った。底知れぬ不安が沸き上がる中で、ただ待つことしかできなかった。


 小一時間が経過して、家のチャイムが鳴った。伝えられたのはただ一つ。美咲の死、それだけだった。雨に濡れた灯里を心配する余裕もなく、和也はただ泣いた。

 救いはただ一つ。霊界について大体の知識を持っていた和也のもとで、美咲の遺物が失われなかったことである。それだけが彼の救いで、和也は美咲の分の愛情を一心に謙也に注ごうと、そう心に誓った。

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