第12話

 突如現れた少女に、指で摘むようにして受け止められた刀は、カタカタと小さな音を立てていた。

 少女の正体を確かめる謙也の声になど耳を貸さず、彼女は刀を離してリリーに顔を向ける。明らかに怒った様な表情を浮かべながら、少女はリリーの頭をペシペシと叩いた。その姿は普通の少女らしく、先程の刀を受け止めた怪力はとても感じられない。


「勝手なことはしないで。アネモネもしまって」

「わかった。わかったわよ、もう。だから叩くのはやめてちょうだい」


 リリーが片手で握っていた刀は、その言葉を合図にするかの様に、出て来たときと同様彼女の胸元に収まっていった。


「じゃあ、帰るよ。帰ったらオシオキ、ね?」


 その清々しい笑みには、しかしその瞳にはまるで光が宿っていなかった。リリー以外は視界に入っていないかの様にそのまま帰ろうとする少女の腕を、謙也は咄嗟に掴んでいた。


「待て! 質問に答えろ。お前は、誰なんだ?」

「——神崎伊織。今は、それだけ言っておきます」


 笑みを浮かべて答える少女の腕を、謙也は離さない。


「離してくれませんか?」

「お前はリリーと——」

「——離してください」


 一瞬、伊織の右目には藤の花の様な紋様が浮かんだ。その瞳を見た謙也は、気付いた時には腕を離していた。


「さあ、帰ろう。アザレア」


 リリーの本当の名を呼び、伊織はその場を去っていく。

 数秒の後に、謙也は気が抜けた様に座り込み、柊は人の姿へと戻った。


「大丈夫? 謙也」

「ああ、大丈夫だ。柊は結城の方を頼む」


 ゆっくりと立ち上がりながら答えると、謙也は灯里の元へと向かった。


「大丈夫ですか? 三峰先生」

「ええ、なんとか。高崎くんも気付いてると思うけど、契約すると全体的な能力は底上げされるから、大体は自然治癒でなんとかなるわ」

「やっぱり……妙に体が軽くなったのはそれでだったのか」


 体の感覚を確かめる様に、謙也は自らの手を見つめる。ハクは人の姿に戻ると彼女の大きな傷口に手を翳す。


「何してるんだ?」

「治してるんだよ。俺たち霊器は生命力みたいなもんも共有してるからな、それを主人に返して細胞を活性化させてる」

「そんな芸当ができるのか」

「ああ、お前もやってもらえ。完璧ってわけにはいかないが、多少は楽になるだろ」


 ハクの言葉を受けて、謙也は結城の元へと向かった。彼女もシトリとミトリから同じ様な治療を受けており、謙也に気が付いた柊も急いで彼の元に駆け寄った。


「謙也、私もやってみるね」

「ああ、頼む」


 座り込む謙也の傷口に、柊は両手をかざす。シトリやミトリに教えてもらったことを自分に言い聞かせる様に、ボソボソと呟きながら目を瞑ると、幾分痛みが和らいでいくのがわかった。


「なにも考えてなかったけど、これ、服はどうするんですか?」


 全員が遜色なく動ける様になってから、謙也はぼやく様に尋ねた。


「それは大丈夫。人体以外に出た影響は、向こうの世界に戻れば元どおりになるから。この間もそのはずだったけど……まあ、そんなこと気にする余裕もなかったわよね」


 言われてみれば確かにそうだったと、謙也は改めて気づかされる。


「色々原理が不明なことが多いんですけど……」


 呟く謙也に対し、ハクはめんどくさそうにざっくりと説明をした。

 まず身体能力の向上について。これは契約を結んだときに生じる霊力が関係しているらしく、それを鍛えれば能力も向上するとのこと。ただし現実世界での影響は微力で、目に見えて向上するのは霊界のみという話だった。

 次に人体以外への影響について。これに関しては原因ははっきりとわかっていないが、推測としては死の世界であるが故に生き物以外への影響は実際には出ていないとのことだった。向こうにあるものも、時間が経過することで元の世界と同じ状態になるという話だった。


 保健室に戻った一行は、リリーの本当の名前がアザレアだったということ、そして突如現れた伊織の存在を認識した上で、その日は夜も更けていたため帰ることとなった。


「柊……でいいんだよな?」


 帰り道。現実に引き戻された様な感覚を抱いた謙也は、確かめる様に彼女に尋ねた。


「うん。謙也がくれた、私の新しい名前。まだ全部を受け入れたっていうわけじゃないけど、他にどうしようもないからね」

「まあ、そうだよな。俺も半ば強引に受け入れた感じがする。でもまたこうして一緒に帰れるのが、少し嬉しいよ」

「私も。いつの間にか死んでたなんて、絶対に嫌だもん」


 どこか安堵した様な笑みを浮かべる柊に、謙也も僅かな笑みを返した。

 家が程近くなったとき、謙也は決心する様に息を吐いた。


「柊、家族に会いたいか?」


 その問いかけに、柊は少しの間考える素ぶりを見せる。覚えていないということが事実なのか。本当なら会ったところで意味はないのではないか。謙也が嘘を吐くとは思えない。それでも誰か、誰か一人だけでも覚えていないだろうか。

 色々な考えが交錯して、すがる様な思いがあって、しばらくしたのちに柊は笑みを浮かべた。


「今は、いいや」

「……そっか」


 それだけ答えると、謙也は真っ直ぐに家へ向けて歩き出す。柊もそれ以上は何も言わずに、彼の後を追った。ただ一つ、謙也は父親が抱える真実を聞くための決意を胸に抱いていた。


「おかえり、謙也。今日は遅かったな。もうすぐご飯できるからな」

「うん。ごめん、ありがとう」


 答えて謙也は部屋へと戻っていく。部屋着に着替えてから柊を入れると、彼は不意に尋ねる。


「そういえば柊は、ご飯食べなくても平気なのか?」

「どうなんだろう? まだお腹は全然空いてないし、大丈夫だと思う」

「そっか。わかった。……俺、父さんに母さんのこと聞こうと思ってて、一緒にいてくれるか?」


 真実を聞くのが少しだけ、怖かった。だから側にいて欲しくて、謙也は柊にそう尋ねた。彼女は迷いなく笑みを浮かべると、その問いに答える。


「うん、いいよ。私は謙也と一緒にいる」

「ありがとう」


 安堵した笑みで礼を言うと、謙也は柊を連れてリビングへと戻っていった。


「父さん、ちょっといい? 大事な話があるんだ」


 謙也の真剣な表情を見た和也は、何かを察した様に台所の火を止める。


「ここじゃ、なんだし和室に行こう」

「うん」


 頷いた謙也は先に仏壇のある和室へ足を運び、テーブルの前に座った。柊は謙也の後ろに背中合わせで座り、その体を密着させる。

 少しして和也が来ると、彼は向かいに腰を下ろして改めて尋ねた。


「それで、大事な話っていうのは?」

「うん。母さんのことなんだ。……父さんは、母さんのことで隠し事をしてない? 祓魔師について、何か知ってるでしょ?」


 真剣な表情で尋ねる謙也の瞳を、和也は少しの間見つめ返した。そうしてどこか諦めた様な笑みを浮かべた和也は、小さく声を漏らす。


「そうか。謙也は、そっち側になったんだな」


 独り言の様に呟くと、和也もまた真剣な表情を謙也に向けた。


「わかった。話をしよう。母さんが——美咲がどんな気持ちで謙也を授かったのか。どんな風に謙也を守ったのか。……少し長くなるけど、俺が知っている限りの全てを話すよ」


 そう言って一呼吸置くと、和也はつらつらと語り始めた。

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