第10話

「「——え?」」


 灯里に覚悟の是非を問われ、謙也と詩織がその意思を示そうとした瞬間——世界は変わった。

 場所は保健室のはずなのに、そこには謙也と詩織しかおらず、肌に感じるのはあの日と同じ居心地の悪くなるような悪寒と、気味の悪さ。唖然とした様子で言葉を溢した謙也と詩織は、顔を見合わせて現在の状況を確認する。


「謙くん、これって……」

「ああ、多分霊界」


 互いの認識が一致して、二人が息を飲んだとき、不意に声が聞こえた。


「——あれ? 謙也くんだけ連れてきたはずなんだけどなぁ」


 不意に聞こえる声に、謙也と詩織が視線を向けると、そこには黒を貴重とした制服に身を包み、白く長い髪を揺らす少女——リリーが立っていた。

 リリーの姿をその目で見た詩織は、瞬間的にあの日の記憶を取り戻し、それは死を伴う痛みと、それに付随する恐怖までもを呼び起こさせた。


「こんにちは謙也くん。それと……そうそう、この間殺した子だっけ? まさかこんな形で再開するとは思わなかったけど」


 震える詩織に目を向け、リリーは淡々と語りかける。震える体に合わせるように、ぶつかる歯が不規則に音を立てていた。

 謙也は恐怖に身を竦ませる詩織を一瞥すると、リリーに向き直り、怒った様子で口を開いた。


「他のみんなは?」

「少し遅れてくるんじゃない? だから、早めに決着をつけたいね」

「なんで……恨んでたのは母さんじゃないのか! どうしてわざわざ俺にまでちょっかいを出してくるんだよ!」


 謙也がリリーを睨みつけるも、彼女はまるで動じる素ぶりを見せないまま、謙也の言葉を訂正する。


「何を吹き込まれたのか知らないけれど、少し勘違いしてるんじゃない? 私は美咲を愛してる。ずっと、ずっと、これから先もずっとね。だから殺した。私が恨んでるのは、むしろ謙也くんの方だよ」


 とても冷たく言い放たれた言葉を受けて、それを理解することのできない謙也は、依然強張った表情のまま問いかける。


「俺が、母さんの息子だからか……?」

「うん」


 短く、狂気の混じった笑みで答えるリリーを見て、謙也は唖然としてしまう。そんなことで、命を狙われなきゃいけない意味がわからなかった。知りもしない相手に、どうしてここまでされなきゃいけないのか。立ち尽くす謙也に歩み寄るリリーは、そのまま彼の首を掴んだ。


「ねえ、苦しい? 痛い? ねえ、教えて?」


 悶える謙也に、リリーは恍惚とした表情で問いかける。まるで謙也が苦しむのを楽しむかのように、ただ苦しみを与え続けて、リリーは笑みを浮かべていた。

 苦しみながらも、謙也は右足でリリの脇腹に蹴りを入れようとしたが、それは容易く空いていた方の手で防がれてしまった。しかし、リリーの右手の力は僅かに緩み、謙也はその隙を突いて彼女の手から逃げ出した。

 咳き込みながらも詩織の元へ駆け寄り、謙也は彼女の腕を掴む。


「とりあえず逃げるぞ」

「……う、うん」


 ハッとした詩織は立ち上がり、謙也に手を引かれたまま保健室を出て行く。リリーは急いで追うこともせずに、小さく花の名前を口に出すと、笑みを浮かべて保健室を出て行った。


「……どこに行くの?」

「……わからない。けど、今の俺たちじゃ多分、何もできない」


 息を切らせながら、謙也は詩織の問いかけに答える。しばらく走っていくと、やがて詩織は思いついたように口を開いた。


「体育倉庫。……あそこなら竹刀が置いてあるから、何もないよりはましかも」

「……あいつに通用するのかわからないけど、わかった。とりあえず行こう」


 詩織の提案を受け入れると、謙也はそのまま体育倉庫へ足を向けた。


「ねえ、私たちだけで契約ってできないのかな?」

「わからない。そもそもやり方すらわからないし……変にやっても、何が起こるかわからない」


 体育倉庫に到着したのちに、謙也は詩織に返事をすると、隅の方に立てかけられた竹刀を手にとって深呼吸をする。


「結城たちが来てくれるはずだから、まずは時間稼ぎをしないと」

「——謙也くん、出て来て」


 体育館に、リリーの声が響く。倉庫にて息を潜めていた謙也と詩織は、声が聞こえると同時に、入り口の方へと視線を向けた。

 心を落ち着かせるように息を深く吐くと、謙也は倉庫入り口の扉に手をかける。


「謙くん、私も——」

「いや、俺だけでいい」

「でもそれじゃあ……」

「大丈夫だ。……大丈夫。自分で言うのもなんだけど、俺が強いのは知ってるだろ?」


 笑みを浮かべて放たれた言葉には、根拠のない安心感があった。過去にも一度、同じようなことがあった。それを思い返すと、詩織はそれ以上何を言うこともできなかった。

 口ごもる詩織を見て、謙也は改めて正面に向き直る。竹刀を握る手には力が入り、全身の筋肉が強張るのを感じて、謙也は倉庫の扉をゆっくりと開いた。


「あ、見つけた。竹刀なんか持って、戦うつもり?」

「……時間稼ぎくらいならできると思う」


 言いながら、謙也は全身の力を抜くように軽く跳ねる。最後に深く息をすると、謙也は竹刀を構えて内心で自分に言い聞かせた。

 リリーの手には刀が握られている。防ぐこともできなければ、一本を取られることですら許されない。それを念頭に置いて、謙也は全神経を集中させる。


「それじゃあ、尋常に」

「ああ、来い」


 不敵な笑みを浮かべたリリーが手に持った刀を構えると、謙也は引きつった笑みを浮かべて返事をした。

 一滴の汗が、謙也の頬を伝っていき、それが床に落ちたのを合図とするように、リリーが床を蹴って駆け出した。

 到底そこらの人とは思えない速さ。しかし謙也の目には、それがとてもゆっくりと写っていた。


 間合いに入ったリリーは、手に構えた刀を横に薙ぐように、大きく振り払う。迫る刃の切っ先を見極めて、謙也は冷静に、大きく飛び退いた。

 振り切られた刀。それを握るリリーの手元を、謙也は竹刀で強く叩く。しかしリリーは怯む様子も見せないまま、振り切った刀の刃を切り返して、再度謙也に斬りかかった。

 やはり防ぐこともできない謙也は、続く攻撃も躱したが、それは彼の腹部を掠めて確かな傷を負わせた。リリーは一度距離を取ると、腹部を抑える謙也を見て問いかける。


「経験者?」

「……一応は」


 返事を聞くと、リリーはまるで興味を示さないかのように再度謙也に襲いかかる。しかし、謙也も負けじとリリーの太刀筋を見極めて、竹刀を切られないようにうまくしのぎ続けた。

 時間にしてわずか数分。しかし傷を負いながらも、確実に時間を稼ぎ続ける謙也に対し、リリーは無傷でありながら僅かな苛立ちを覚え始めていた。

 しびれを切らしたように再度斬りかかると、リリーは刀に意識を向ける謙也の隙を突いて、彼に蹴りを入れた。


 「刀だけに意識を向けてたらだめだよ。これは剣道じゃないんだから」


 言いながら、リリーは蹴り飛ばされた謙也の元へ歩み寄っていく。しかし、その数歩先を、一本の矢が射止めた。


「良かった。今回は間に合ったわね」


 リリーの前に座り込む謙也と、倉庫から覗き込む詩織の姿を見ると、灯里は安堵したように言葉を呟く。一緒に来た結城はすぐに謙也のもとへ駆け寄ると、リリーの前で二本の短刀を構えた。


「謙也は西条さんと灯里の場所まで行って。私が時間を稼ぐから」

「わかった」


 結城の言葉に返事をすると、謙也は詩織を連れてその場を離れて行った。


「二人とも、契約するってことでいい?」


 合流して早々、灯里が改めて問いかけると、謙也と詩織は揃って首を縦に振った。


「そう。わかったわ。それじゃあ、説明だけ済ませちゃうから、あとは二人でやってくれる?」

「はい」

「別に大きな決まりごとはないから。互いの手を握って、契約を誓う口上を述べる。これも好きなようにしていい。ただ、高崎くんは西条さんに新しい名前を与えてちょうだい。その名前が、西条さんの霊器としての名前になる。わかった?」


 灯里の説明を受けて、謙也と詩織が深く頷いて見せる。それを見た灯里は、すぐに結城の加勢へと向かった。


「新しい名前って……」

「謙くんの思うままに。これからは、私の第二の人生だから」


 そう言って笑みを浮かべる詩織に、謙也も安堵した様子で笑みを浮かべる。どちらからともなく手を握ると、二人は口を開いた。


「——私、西条詩織は、謙くんの霊器となって、彼の全てを守る刀になります」

「——俺は、詩織の全てを受け入れると同時に、新しい名前を……柊という名前を与える」


 ぎこちない口上を述べた二人は、互いに顔を見合わせて笑みを浮かべた。淡く包み込むように光が湧き上がると、次第にそれは淡くなっていく。

 柊は自身の持つべき姿を、謙也は自身が使うべき形を互いに頭に思い浮かべ、やがて謙也は小さく彼女の名前を呼んだ。


「——柊」

「——うん」


 返事をした瞬間、柊は光に包まれて、握られていた謙也の左手に収まる。やがてそれは姿を変え、腰元には鞘の形を、手元には刀の形を成して、謙也の手に収まった。

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