第5話

「そんな……」


 教室前方。散乱する机や椅子に紛れて、血溜まりに突っ伏す詩織と、その側で座り込む謙也の姿を見た灯里は、唖然として呟いた。その声は謙也に届かないまま消えていき、隣に立つハクは険しい表情で腕を組む。灯里が謙也に歩み寄ろうとすると、その横を結城が抜けて行った。


「シトリとミトリは待ってて」


 小さく告げると、後を追っていたシトリとミトリの足が止まる。結城の体にあった傷は、だいたい消えていた。

 謙也の側まで来ると、結城は静かに腰を下ろす。震える体に触れようとして、一瞬躊躇を見せるも、やがて結城の手はゆっくりと謙也の体へ伸びて行った。


「……ごめん」

「なんで、詩織が……どうして……。どうしてだよ! 教えてくれ……」


 一瞬強くなった語気に、結城は小さな体をびくりと震わせる。灯里とハクは哀れむように謙也を見つめ、シトリとミトリは身を隠すようにハクと灯里の背後へ駆けていく。流れる沈黙の中で、結城は再び口を開いた。


「……ごめんなさい」

「謝られたって……どうしようも、ないだろ……」


 詰まる言葉とは裏腹に、とめどなく溢れる涙。そんな謙也の横顔が、結城の胸を強く締め付ける。怪異に巻き込まれるのは予測できた。ただ、相手がここまでとは思いもしなかった。なんとかなる。そう思っていた自分が確かにいて、それを自覚した結城は、静かに歯を食いしばった。

 教室の入り口にいた灯里とハクは、二人で静かに話し合ったのちに、謙也の元へ足を運ぶ。


「高崎くん、酷だけど、西条さんはもう戻らない」

「三峰先生……?」


 不意に聞こえた声に振り返ると、謙也はその顔を見て名前を呼ぶ。それに答えるようにして、灯里は言葉を続けた。


「あなたが長くここにいても仕方ないから、ハクと一緒に戻っててくれる? さっきも言ったけど、西条さんは戻らない。諦めて」


 あくまで冷静に、静かな声で灯里が伝えると、謙也は彼女を睨みつけるようにして怒鳴った。


「どうしてそんなことを軽々しく言えるんだよ! あんた教師じゃないのかよ!」


 憤りを感じる冷たい声は、灯里の心に深く突き刺さり、その動きを一瞬止める。しかしすぐに冷静さを取り戻すと、灯里はハクに指示を出した。


「ハク、高崎くんを連れて行って」

「はいよ。悪いな結城、少しどいてくれ」


 結城が謙也の側から離れると、ハクは後ろから羽交い締めをするようにして無理やり立たせる。当然謙也は抵抗した。腕を掴み、振り払おうとしても、なかなか動かなかった。


「なんだよ! っていうか、誰だよお前! 詩織は! 詩織はどうするんだ!」

「いいから来い。ガキみたいに騒ぐんじゃねぇよ。現実を受け入れろ」


 言いながら謙也を廊下へ引きずりだすと、その腕を掴みながらハクは片手で壁に触れる。ぽっかりとできた穴は、人が一人入れる程度となっており、鏡のように反対側の壁が映し出されていた。


「誰もいないか」


 確認するように独りごちて、ハクは謙也を連れて穴の中へと入っていく。出た先には、同じ学校の廊下が広がっているのみ。しかし、そこには先ほどまでとは違う穏やかな明るさがあった。

 慌てた様子で謙也が教室の扉を開けると、そこには先ほどまでとは違い、理路整然と並べられた机があるだけで、詩織の死体などは微塵も伺えない。時刻は四時三十分。時間もそれほど経過していなかった。

 次に謙也は、教室を出て窓の外を眺める。視界に入る校庭には、いつもと変わらぬ様子で部活に励む生徒が伺えた。


「状況は理解できたか?」


 唖然とする謙也に問いかけたのは、ハクだった。


「どういうことだよ」

「……ま、無理もねーか。灯里が戻ってきたら説明してもらえ。今はとりあえず保健室に行くぞ」

「お、おい! ちょっとま——」

「——話す気は無い。それと、人前で俺に話しかけるな。俺は普通の人には見えないから、変人扱いされるぞ」


 それだけ言い残すと、ハクはスタスタと歩いて行ってしまう。詩織の元へ戻ろうと思っても、来た道はすでに塞がれており、どうすることもできなかった。ハッと視線を落とすと、なぜか付着したはずの血は消えており、謙也はさらに混乱してしまう。帰ろうにも詩織のことが気になり、最終的に謙也はゆっくりと保健室へ向かい始めた。


 一方、結城は詩織の傍に腰を下ろしたまま、側にいる灯里に問いかけていた。


「灯里は、リリーのことを知ってるの?」

「……ええ、知ってるも何も、美咲さんを殺したのはあいつよ。前に話したことあったでしょ?」

「でも、それはもう倒したって……」

「どういうわけか、生き残ってたみたいね。リリーなんて名前まで名乗っちゃって。それに加えてあれが持ってたの、間違いなく霊器だわ。少し、厄介なことになりそうね」


 険しい表情で話すと、灯里は詩織に視線を向けた。


「はあ、美咲さん以来ね。助けられなかったのは。やっぱり慣れないわ」

「……私が、もっと早く来れれば」


 後悔する二人のそばに、シトリとミトリは静かに歩み寄って行った。


「ゆうきさま、この方はどうされますか?」

「払ってくれる?」

「わかりました」


 返事をすると、シトリとミトリは並んで詩織の側に立つ。手を繋ぎ、空いた手を詩織の体にかざした時、暖かな光がそれを包み込んだ。やがて詩織の体は灰になって散って行った。

 結城の指示通り詩織の死体を払ったシトリとミトリは、一連の動作を終えると首を傾げて顔を見合わせた。


「どうしたの?」

「なんていうか、何か違和感がありました」


 シトリが答えると、それに続くようにしてミトリが口を開いた。


「うまく言えないですけど、魂だけが綺麗に抜け落ちているような……」

「思念などは確かに残っていました。でも根幹となる部分だけがなくなっていて、穴が空いてるみたいな……」

「今まで感じたことの無いような違和感がありました」


 交互に説明を挟むシトリとミトリの話を聞いて、結城と灯里も不思議そうに顔を見合わせる。首をかしげるも、互いに原因などわからないまま、ひとまずは現界の保健室へと帰ることにした。


「お待たせハク、それと高崎くんも」


 灯里の声に反応するように、黙り込んでいた謙也とハクは振り返る。結城の後ろから顔を出すシトリとミトリの存在にようやく気がつき、謙也は改めて訝しげな表情を浮かべた。


「その二人は、誰だ?」

「シトリとミトリ。私の……家族みたいなもの?」


 結城はどう説明するべきかわからず、自分で言いながらも首を傾げた。狐のような耳と尻尾が気がかりになったものの、謙也はそれを一瞥してから灯里へと視線を移した。


「それで……詩織は?」

「見た通り、死んだわよ。それと同時に、この世界からはその存在すらも消えた。一部の人を除いて、彼女に関わっていた人の記憶からは、西条さんが関わっていた記憶だけが抜け落ちることになる。遺物も、何もかもが向こうの世界に消えることになる。現状を見る限り可能性は薄いけど、高崎くんの記憶からも消えるかもしれない」


 残酷ではあるものの、灯里はこれから起こるであろう事情を全て説明した。そこに同情の色はなく、ただ淡々とした口調だけが保健室には響いた。自身が同情したところで、それが謙也の悲しみを煽るだろう。灯里はそう判断していた。

 話を聞いた謙也はゆっくりと立ち上がり、扉の方へ歩いていく。


「謙也——」

「——帰る」


 記憶が消える。そんなことはやはり信じられなくて、馬鹿馬鹿しくも感じられた。しかし、それが謙也に余計喪失感を与えたのは確かだった。呼び止めようとする結城の声を遮り、彼女が持って来てくれた荷物を勢いよく取り上げると、謙也はその場から逃げ出すように教室から出て行こうとした。


「あの女のことや、向こうの世界のことは——」

「——関係ない。もう、どうでもいいです」


 言い切って、謙也は保健室の扉を強く閉める。響く音に怯えるようにして、シトリとミトリは結城の後ろに顔を隠した。結城は切なげに謙也が出て行った扉を見つめ、灯里とハクは呆れたようにため息を吐くと、互いの顔を見合わせた。


「いいのか?」

「いいも何も、私にはどうもできないわよ。どのみち知ることになると思うけど……どうかしらね」


 夕暮れの保健室。低くなった太陽がその身を隠そうとする中、僅かに残った光だけが、寂寥感を漂わせて保健室を照らしていた。

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