第4話

「もしかして、あなたが結城?」


 結城の奇襲を受けて体勢を崩す少女だったが、その表情にはすぐに余裕が戻る。不敵な笑みを浮かべる少女が問いかけると、結城は冷たい言葉で言い放った。


「あなたにその名前を呼ばれる筋合いはない。そんなことより、あなたこそ何者なの……? ミサンガに反応するまで、全く気がつけなかった」

「そうね……」


 少女は顎のあたりに人差し指を当て、考える素振りを見せる。


「リリー、なんていうのはどうかしら? うん、それが良いわね。リリー。それが私の名前」


 自問自答したのちに、少女は改めてその名前を名乗る。流れから見ても、それが本当の名でないことは見当がついた。しかし結城はそんなことなど気にもせず、次いで問いを投げかけた。


「……何が目的?」

「ずっと前から会いたかったのよ、あの子に」


 頬に手を当て、リリーは謙也の方へ視線を向ける。笑みを浮かべるリリーに見つめられた謙也は、蛇に睨まれたかのように体が強張るのを感じた。まるで挑発するようなリリーの対応に、結城はしびれを切らして口を開く。


「話す気がないなら、もう良い」


 あくまで冷静に、落ち着いた口調で告げる結城は、リリーに意識を向けたまま謙也に語りかけた。


「謙也、動けそうなら離れててくれる?」

「あ、ああ」


 目の前で起こる非日常的な光景に唖然としていた謙也は、混乱気味に返事をする。しかし結城の声に安堵するようにして、謙也はゆっくりと立ち上がり、その場を離れようとした。


「——そうだ、詩織が……」


 立ち上がって数秒。蚊の鳴くような声で思い出したように呟く。その足を教室へ向け、謙也は覚束ない足取りでゆっくりと足を踏み出した。

 その瞬間、無防備な謙也を狙うようにして、リリーは彼の方へ飛び込んでいった。しかしそれを守るようにして、結城がリリーの目の前に飛び込んだ。


「言ったはず。謙也は絶対に死なせない」


 割り込んでくる結城の姿は、リリーを苛立たせた。鳴り響く金属音は数回に及び、やがて二人は距離を取るようにして後方へ飛び退く。


「私、嫌いだわ。あなたみたいな子」

「それは奇遇。私もあなたのことは嫌い」


 にらみ合い、二人はすぐに足を強く踏み込んだ。薙ぐように振るわれるリリーの刀を、結城は左手に構える短刀で防ぐ。そのまま受け流すように体を捻らせ、リリーの懐に入り込むように接近すると、今度は右手に持つ短刀を彼女の腹部めがけて振りかざした。

 しかしリリーは咄嗟に後方へ飛び退き、間一髪で結城の攻撃を躱したが、追い打ちをかけるように再度彼女の元へ駆け込むと、結城はそのまま右足で蹴りを入れた。

 ガラスの割れる音とともに、リリーの体が外へ放り出されると、それを追うようにして結城も窓から飛び降りる。

 着地したリリーは、落下してくる結城を見上げると、不敵な笑みを浮かべて口を開いた。


「思ったよりやるのね、あなた」


 リリーめがけて落下する結城は、その勢いのまま右手の短刀を振り下ろし、それを刀で受け止められると同時に、今度は左手の短刀で横から切りつける。しかし、リリーもあらかたの動きは予想していた。初撃を刀で防ぐと同時に腰に携えてある鞘を抜き取り、リリーはそれを用いて結城の攻撃を難なく防ぎきった。


 甲高い金属音が響く中、謙也は詩織の姿を改めて直視することで唖然としていた。突っ伏したままの詩織の元へ歩み寄り、血溜まりを踏んでその場に座り込む。震える手で詩織の体に触れると、そのまま仰向けになるように体を動かした。

 切られた喉元からは血がコポコポと音を立ててこぼれ出し、顔の側面は血に濡れ、床に面していた部分はほとんどが血に染まっていた。

 むせ返るほどの血の匂い。詩織の体に触れた自身の手には、血液がべっとりと付着している。目は開いたままで、しかしそこには光などない。その光景の全てが、謙也の脳裏に刻まれていく。

 呼吸は荒くなり、汗が垂れる。意識が遠のくような感覚と共に、目の前の光景が乱反射した。耐えきれずに吐き出したものは血溜まりと混ざり合い、それが余計に気持ち悪く見えた。


「詩織……! 詩織……!」


 起きることはない。そうわかっていても、謙也はその体を揺さぶった。

 繰り返し。繰り返しそうしているうちに、謙也の中で諦めが生まれた。膨らんでいく喪失感と、気持ちを伝えられなかった後悔。その全てが、涙となって溢れでた。

 結城たちが起こす音など、まるで耳に入らなかった。目の前の光景があまりにも現実離れしていて、それでも謙也は、夢かもしれないなどという甘い期待を抱けなかった。全てに絶望するかのように、生気すら感じられない呆然とした表情で、声も出さず、謙也はただ涙を流した。静かに、泣き続けた。


 同じ頃、結城は未だリリーとの攻防を続けていた。


「あはっ! そろそろ慣れてきたかも」


 楽しそうに、まるで子どものように笑い声をあげるリリーの動きは、少しずつ洗練されていく。速く、鋭く、重く。確実に増していくそれは、徐々に結城を押し始めていた。

 外に出た分、多少動きに余裕は出るものの、それはリリーも同じである。むしろリーチの長いリリーの方が、その恩恵は大きかった。

 乱暴に、しかし的確に、リリーは容赦無く結城の隙を狙っていく。互いに傷は負っているものの、その数は確実に結城の方が上となっていた。

 続く攻防の最中、遂に結城は力強い一撃を入れられてしまう。蹴りではあるものの、吹き飛ばされた結城の体は勢いよく校舎に打ち付けられた。


「ありがとう。おかげでリハビリができたわ」

「……うるさい」


 言いながら歩み寄るリリーに対し、結城は腹部を抑えて立ち上がった。その表情を見たリリーは、尚も挑発するように笑みを浮かべる。


「そう怒らないで。怖いじゃない」


 返事をしないまま、結城はフラつきながらも武器を構える。強く頭を打ったせいで、視界が少しだけ霞んでいるのがわかった。


「じゃあね、バイバイ」


 ゆっくりと刀を振り上げると、リリーは最後にそう呟いた。短刀をあげて、形だけは防ごうとするも、容易く切られることは想像がつく。謙也を守ることができない悔しさを噛みしめるようにして、結城は強く歯を食いしばった。


「お待たせ、ゆうちゃん」


 穏やかで、しかし怒りのこもった声が聞こえる。強い殺気にリリーが咄嗟に刀を構えるも、飛んできた矢はしっかりと彼女の右肩のあたりを射止めた。


「奇遇ね。今日は引いてもらえるかしら?」


 声を漏らしながら矢を引き抜くリリーに対し、すでに二本目の矢を構えた女性はそう尋ねた。

 リリーは数秒間女性の姿を見つめ、やがてその場を去るように離れていく。その後ろ姿を見つめて安堵したように息を吐くと、急いで結城の元へ駆け寄った。


「大丈夫? ゆうちゃん」

「うん。ありがとう、灯里」

「ええ。肩貸すから、立てる?」


 そう言って結城の横に立った灯里は、手に持っていた弓を手放して口を開く。


「ハク。戻っていいわよ」


 灯里の言葉に応えるようにして、弓は光に包まれる。やがてそれは人の形を成した。現れたのは、和装を身に纏い、長い髪を後ろで縛った男性だった。


「いいのか? 逃がしちまって」

「いいのよ。今はこっちが優先。私が一対一でやりあっても、せいぜい同士討ちになる程度だし。ほら、ハクも手伝って」

「はいよ」


 太々しく呟くと、ハクは結城の左側に移動する。挟み込むようにして灯里とハクが体を支えると、結城は立ち上がって短刀を手放した。


「ありがとう。シトリとミトリも戻って」


 ハクの時と同様、名前を呼ばれた二本の短刀も光に包まれて姿を変える。結城よりも幾らか背の低い二人の少女。互いに赤を基調とした和服を身に纏い、おかっぱ頭をしている。シトリは白い髪に加えて、同色の耳と尻尾が生えており、ミトリの場合は黒だった。二人はこてこてと短い足で結城の元に駆け寄ると、声を重ねて心配そうに問いかけた。


「「ゆうきさま、ゆうきさま。大丈夫ですか?」」

「お怪我はありませんか?」と続けてシトリが言う。

「痛いところはありませんか?」とミトリが言った。


 怪我をしていることなど一目瞭然ではあるが、結城は優しく微笑を浮かべる。


「大丈夫、ありがとう」


 ミトリとシトリに返事をして、今度はその視線を灯里に向ける。


「灯里、二年四組の教室に行って欲しい。私はいいから」

「もしかして高崎くんが?」

「……あと、もう一人」


 結城が顔を伏せて答えると、灯里はシトリとミトリに声をかけた。


「シトリちゃん、ミトリちゃん。悪いけど、代わってもらえる? 私とハクは教室に行くから」

「承知しました!」

「了解しました!」


 シトリ、ミトリが順に答えると、灯里は微笑を返してハクに視線を向ける。


「行きましょう、ハク」

「はいよ」


 依然無愛想な返事を受けたのちに、灯里はハクとともに謙也たちの元へ駆け出した。

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