第3話

「なあなあタカやん。お前、神谷さんとどこで何してたんだ?」


 三限目の終わりを告げるチャイムが鳴ると同時に、晋助は謙也の肩を叩いて問いかけた。遅れて教室に入ってきた時から、クラスメイトからの視線も嫌に感じてしまう。別段やましいことがあったわけではないものの、話が話なだけに信じてもらえる気がしない。そう思いながら、謙也は素知らぬ顔で返事をする。


「まあ、ちょっと色々あって」


 言葉を濁した謙也だが、当然晋助はそれを訝しんだ。それを表情に出しながら、彼は言葉を返す。


「そっか、色々ね……えっちなことか?」

「なんでそうなるんだよ……」


 デリカシーのかけらもない言葉に対し、謙也は呆れたように頭を抱える。当の晋助は悪びれることもなく、淡々と自身の見解を語り始めた。


「そりゃお前、高校生の男女が二人で授業をサボるなんて、それぐらいしかなかろうに。盛んな年頃の男女が、人目を憚るように誰もいない空間へ逃げ込んで、ひっそりと互いの欲を満たし合う。こんなの定番だろ。……しかし西条さんという人がいながら、タカやんも悪だなぁ」

「詩織は関係ないだろ。それに、結城がそんなことに興味あると思うか? あったとしても、流石に学校ではありえないだろ」


 断言するように返事をする謙也だったが、晋助は尚も言葉を続ける。


「そんなのわからないだろ。ちゃっかり下の名前で呼んでるし……。普段は表情変えない、一見無愛想な子だけど、好きな人の前では乙女の姿を見せるかもしれないだろ? そんな子が勇気を出して意中の相手を呼び出し、普段は見せない表情を見せる。果てには耳をくすぐるような甘い声でせがんできて……あー! 考えてたら興奮してきた!」


 徐々に気が高まり、最終的に叫びながら立ち上がると、周囲の視線が彼の元に集まった。少しだけ荒くなる呼吸と、語られた晋助の妄想にドン引きした様子を見せると、謙也は視線を横へ流す。視線の先に座る結城と目が合った謙也は、不覚にも晋助の妄想を想像してしまう。慌てて視線を戻した先には、やはり訝しげな表情をした晋助がこちらを見ていた。


「なんだよ、今の?」

「別に……なんでもないけど」

「本当か?」

「本当だ。いい加減しつこいし、そもそもその発想はどこから出てくるんだよ」


 呆れ果てた謙也を前にしても、晋助は変わらぬ様子で答えた。


「最近兄貴から借りたアダルトゲームで、似たようなシーンがあってさ。聞いたら結構あるらしくてな」

「そういうのがなければモテそうなのにな」


 どこか自慢げな晋助に返事をすると、謙也は前に向き直って話を断ち切った。


 嫌な疑いを持たれてしまったものの、それ以降妙なフラッシュバックはなくなり、謙也は安堵し始めていた。

 そのまま放課後を迎え、結城との約束通り謙也はまっすぐ家に帰ることにすた。校舎を出ると、沈みかけた日差しが激しく照りつける。鮮明な空と、澄んだ空気。部活に励み始める生徒の活気に加えて、謙也と同じく学校から出て行く生徒たちの姿。昨晩見た夢とはかけ離れた光景に、謙也は思わず笑みを浮かべてしまった。


 いつもは気にすることのない喧騒に安堵しながら歩いていると、謙也は手首に締め付けられるような感覚を抱いた。気になって右手首に視線を向けた時、そこを締め付けていたのは、結城にもらったミサンガだった。


 ——一瞬。本当に一瞬だった。瞬きをしたコンマ数秒のうちに、目の前の世界は変わっていた。


 不気味に感じるほどの赤い空。走っていた車は消え失せ、通行人の一人ですら見受けられない。暑くもなく、寒くもない。それなのに、嫌な汗が溢れるように出てきて、シャツに染み込んで行くのがわかった。喧騒などとうに消え去り、そこには棘のある静けさだけが残っていた。

 嫌な予感がした。底知れない焦燥感があった。それに駆られるようにして、謙也は学校へと走り出す。意味を為さない信号を無視し、後ろから迫る不気味な空気から逃げるように、謙也はひたすらに足を動かした。


 学校に着いても、やはりそこに人の気配はない。夢の痕を辿るように校舎へ入り、靴も脱がずに廊下を走る。階段を登り、三階にある二年生の教室を目指した。

 夢と同じ二年四組の教室を前扉から覗き込むと、理路整然と並べられているはずの机は散乱していた。黒板の目の前には、どこのものかもわからない制服を着た白髪の少女がいる。もちろんその右手には一本の刀が握られており、その刀身には血液が付着しているのが見えた。滴り落ちる血液に誘われるように視線を落とすと、そこにはやはり、血を流して突っ伏す詩織の姿があった。


「……詩織?」


 唖然として呟く声に振り向くのは、やはり白髪の少女。彼女は恍惚な笑みを向けたまま謙也をみると、その口を開く。


「やっと会えたね」


 次は自分だろう。直感でそう思ってしまった。謙也は息を飲み、目を見開いてその姿をじっと見つめていた。

 一歩、また一歩と、少女は白い髪を揺らし、静かな音を立てて謙也に近づく。逃げようと思っても、膝が笑って言うことを聞かなかった。声も出せず、腰が抜けて座り込んでしまいそうになるのを、必死で堪える。膝を叩き、動け、動けと内心で命じても、言うことを聞くことはなかった。

 やがて少女は目の前までくると、笑みを浮かべたまま謙也の頬に口付けをした。


「——は?」


 音にもならないような掠れた声を漏らすと、それをおかしいと思ったのか、少女はクスリと小さな笑いをこぼす。そして唖然とする謙也の顔を一瞥すると、少女は手に持った刀を振り上げた。

 意識せずに腕は上がり、やがて振り落とされた刀は謙也を切ることはなかった。二人の間には軽い衝撃波のようなものが生じて、互いに吹き飛ばされたのである。少女は体勢を一瞬崩すものの、倒れることはない。しかし謙也はそのまま廊下の壁にぶつかって座り込んでしまった。


「誰にたぶらかされたの?」


 その表情には、僅かな苛立ちが伺える。謙也には少女の意図も、今目の前で起きたこともわからないまま、ただ呆然と座り込んでいた。


「ねえ、教えて。そのミサンガ、誰にもらったの?」


 謙也の横にしゃがみこんだ少女は、再度問いかける。


「……結城」

「いけない子ね。外しちゃいましょう?」


 言いながら少女は、謙也の頬をゆっくりと撫で上げる。冷たい手が異様に気持ち悪くて、謙也は恐怖に抗うこともできないまま、ミサンガに手を伸ばす。少女もそれを手伝うように謙也の手に触れて、促すように再び囁いた。


「そう。いい子ね。そのまま結び目を解くの。いい?」


 謙也は頷くこともできないまま、操られるようにしてミサンガの結び目を解こうとした。


「——だめ!」


 突然の声にハッとして顔をあげた瞬間、目の前で甲高い金属音が響く。見たこともない結城の表情が、そこにはあった。咄嗟に刀を構えて防ぐ少女を、結城は両手に持つ短刀で勢いよく弾き返す。倒れはせずとも後方に吹き飛ばされた少女は、結城の姿を見て下唇を噛んだ。

 守るように謙也の前で再度短刀を構えた結城は、怒ったような表情で声をあげた。


「謙也は絶対に死なせない!」


 それまで見たこともない結城の姿は、慄然としていた謙也の心を支え、同時に呆然としていた彼の目を奪うものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます