第2話

「それじゃあ、放課後は私部活があるから、先に帰って適当に家で待ってて。お母さんいると思うし」

「ああ、わかった」


 学校に到着したのちに、謙也は詩織と約束をしてそれぞれの教室へと足を運ぶ。

 前方の扉から教室に入り、謙也が不意に視線を向けたのは、廊下側後方の席。特に意味もなく視線を向けた先には、クラスメイトの神谷結城が座っていた。髪は肩のあたりで切りそろえられ、体格は小さい。一見して可愛らしい容姿だが、どこか無愛想な彼女と目が合い、謙也はつい視線を逸らした。結城も同様に、読んでいたのであろう単行本に視線を落とす。

 話したことは愚か、誰かと話している姿でさえほとんど見かけない結城の存在は、謙也にとってはただのクラスメイトに過ぎない。別段気にすることもなく、謙也は仲の良い生徒と挨拶を交わしながら席についた。


「なあなあタカやん、今日も西条さんと登校してきたのか?」


 後ろから声をかけられ、謙也は振り返る。そこには謙也の友人——鹿島晋助がいつもと変わらない様子で座っていた。彼は男ながらも甲高い声をしており、どこかおちゃらけた雰囲気を感じさせるサッカー部員である。

 羨望の眼差しを向けながら身を乗り出す彼に対し、謙也は呆れた様子で「そうだけど」と返事をした。


「良いなあ。才色兼備、高嶺の花って感じだし、あんな幼馴染がいるなんて羨ましいわ。しかも家が近いとか……神様は不平等だな」

「詩織は別にそんなことないだろ。普通の、女子高生だと思うけど」


 大げさな晋助の物言いに、謙也は諭すように呟いた。実際詩織は、料理があまり得意ではない。もっと言えば謙也の方が料理は得意だし、母親に似る詩織は、どこか間の抜けている部分も垣間見せる。環境の差もあるだろうが、しっかりせざるおえなかった謙也にとっては、詩織の方こそ妹のようである。良いところがある分、それなりに欠点もある普通の女子高生なのだ。


「それはそうかもしれないけどよ……って、どうしたタカやん? 顔色悪いけど」


 依然羨ましがる晋助を前にして、謙也の脳裏にはまたしても夢での光景がフラッシュバックしていた。顔色の悪くなる謙也を心配する晋助に対し、彼はハッとして笑みを取り繕う。


「い、いや。なんでもないよ」

「そうか?」


 どこか納得のいかない様子で頷く晋助に、謙也は「大丈夫だよ」ともう一度呟いて前を向いた。

 忘れかけた頃、走馬灯のような光景と重なる出来事が、あの夢を思い出させる。忘れるな。そう強く言いつけるようなフラッシュバックの仕方に、謙也は僅かな不安を抱き始めていた。


 ——正夢、じゃないよな?


 心中で自問するも、刀を持った少女が人を殺すなんて、それこそ何かの創作物みたいで信じられなかった。あまりにも現実離れした夢ではあるが、それでも妙な不安感が立ち込めていくのも確かだった。何か別の形でそれに近しい悲劇が起こるのか、それとも……。

 そこまで考えて、謙也は深くため息を吐く。ありえない。心中で自分に言い聞かせると、それと同時に教室には担任の教師がやってきた。


 二限目の授業が終わった直後、隣のクラスから謙也を訪ねる人物が一人来る。扉を開けて入って来るその姿を見て、やはり謙也は内心で驚いていた。

 扉を開け、謙也の名前を呼んで入って来る友人の進藤荒田。歩み寄って来る彼は、申し訳なさそうな笑みを浮かべて教科書を借してくれと声をかけてくる。これもやはり、夢で見たものと一致していた。

 謙也は荒田の頼みを受け入れ、カバンから国語の教科書を取り出し、それを彼に手渡した。「サンキュー」と短い礼を言って荒田が教室を出ていくと、謙也は思わず立ち上がって教室を出た。トイレへ駆け込み、誰もいないことを確認して鏡に目を向ける。首元にある痕は、まだくっきりと残っていた。それをなぞるように自身の首元に触れると、謙也は小さく呟く。


「やっぱり、まだ残ってる」


 しかし、それが見えているところでどうするべきなのか、謙也にはわからなかった。ただ漠然とした不安を抱えたまま、謙也は諦めるように息を吐くとトイレを出ることにした。


「うわっ!」


 トイレを出てすぐ、目の前に立つ結城の姿を見て謙也は思わず声をあげる。そんな姿を見ながらも、結城は驚くことも笑うこともせずただ怪訝な表情を浮かべて謙也の首元を指し示した。


「それ、誰につけられたの?」

「それって、なんだ?」


 心当たりはあったものの、まさか見えているはずはないだろう。そう決めつけて謙也は聞き返した。結城は指し示した手を下げると、淡々と声にだす。


「首の痕。誰につけられたの?」

「神谷さんにはこれが見えるのか!?」


 思いもよらない言葉だった。驚きの中に、希望の光が差し込むような嬉しさがこみ上げる。思わず結城の両肩に手をおくと、謙也は勢いのままに顔を近づけた。結城は顔を赤らめながら視線を逸らすと、小さな声で謙也に伝える。


「みんな見てる、から……」


 小さく感情をだす結城の姿を見て、ハッとした謙也は周囲に視線を向ける。幾人かの生徒に見られていることに気づき、慌てて手を離すと咳払いをした。


「えっと、ごめん。……それで、神谷さんはこの痕について何か知ってるのか?」


 再度尋ねる謙也を一瞥して振り返ると、結城はそのまま歩き出した。


「付いてきて。とりあえず、場所を変えたいから」

「あ、ああ。わかった」


 短く返事をして、謙也は結城の後を追った。

 連れられてきたのは、C棟屋上前の踊り場だった。


「それで、神谷さんはこの首の痕について何か知ってるのか?」

「まずは私の質問に答えて。その痕は誰につけられたの? それと、私のことは結城でいい」


 問いに付け加えて伝えると、謙也は「わかった」と一言返事をする。続けて謙也は首の痕について話し始めた。


「誰につけられたのかはわからない。朝起きたらついてたんだ。でも、変な夢を見た。関係があるかはわからないけど」

「どんな夢だった?」


 謙也の答えに対し結城が続けて問いかけると、彼はつらつらと昨晩見た夢について語り始める。鮮明に残る記憶を頼りに、そこにいた人物までも、全てを語った。途中、チャイムがなったものの、二人はそれを無視して話を続けることにした。

 謙也が全てを伝えたのちに、結城は頭を抱えて独り言ちる。


「——これも運命なの……?」

「どういうことだ?」


 不思議に思った謙也が首を傾げて尋ねると、結城は「なんでもない」と溢して言葉を続けた。


「申し訳ないけど、確信がないから詳しいことはまだ言えない。ただ、今日はこれをつけて過ごして欲しい。それから、放課後は寄り道せずに帰ること。学校にいる間は私が見える範囲にいると思うけど、あまり目立たないようにするから気にしないで」


 淡々と、しかしその顔には真剣な表情を浮かべて、結城は謙也にそう伝えた。何もわからない謙也だったが、今はすがる他がないと、強く頷いて見せる。結城の手首に巻かれていたミサンガを受け取ると、謙也はそれを自身の手首に巻きつけた。



「とりあえずはこれで大丈夫なはずだから、教室に戻ろう」


 そう告げると、結城は振り返って階段を下りていく。その背中を数秒見つめてから、謙也は結城を呼び止めた。


「今は、結城のことを信じる。っていうか、それしかできない。でも、詩織は大丈夫なのか?」

「……ごめん、今はなんとも言えない」


 少しだけ不安そうな表情を見せて、結城はそう答えた。その表情を見て、謙也は詩織の身にも何か起こりうる可能性を考える。もしも夢と同じことが起きたなら。それはありえないだろうとわかっていても、謙也の心には拭いきれない不安があった。

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