魂を喰らう。

神楽伊織

第1話

 むせ返る血の匂いがした。散乱する教室の中で、床に突っ伏す幼馴染の姿が鮮明に目に映る。それをどこか恍惚に眺める少女は、口元に飛んだ血液を淫靡に舐めとった。

 手に持った刀には、べっとりと付着する血液。滴るそれは、音を立てて血溜まりへと落ちて行く。それが一体誰のものなのか、謙也にはすぐにわかった。


「……詩織?」


 掠れた声に反応したのは、当然そこに倒れる幼馴染ではない。それを殺したであろう白髪の少女、彼女はその長い髪とセーラー服のスカートを淑やかに揺らし、謙也の方を振り向いた。


 ——やっと会えたね。


 不気味に感じるその笑みを最後にして、目の前には走馬灯のように様々な光景が浮かび上がり、謙也はハッとして目を覚ました。


「なんなんだ、あの夢……」


 やけにリアルに感じる夢を見た謙也は、頭を抱えて呟く。体中にかいた汗が、ベトベトしていて気持ち悪かった。枕元のスマホを開くと、時刻は午前6時。いつもより一時間も早く目を覚ましたものの、流石にもう一度眠る気にもなれない。

 諦めたように息を吐くと、謙也はベッドから起き上がった。目を擦り、部屋を出て階段を下りて行く。すぐそこにあるリビングからは、何かを焼くような匂いが漂って来た。そこにいる主は、謙也の足音を聞き、リビングから出てくる。


「お、謙也おはよう。今日は早いな」

「うん、おはよう。ちょっと変な夢見てさ……汗かいちゃったし、風呂入ろうと思って」

「そうか。もうすぐご飯できるから、出たら食べろ」

「ありがとう、父さん」


 笑みを浮かべてそう言うと、謙也の父——高崎和也はそれに答えるように笑みを返した。浴室へ歩く謙也の背中を数秒の間見送ると、和也はリビングへと戻っていった。


「なんだよ、これ」


 独りごちたのは、浴室に入ってすぐ、鏡に映る自身の姿に異様さを感じたからだった。謙也の首元には、何か赤いペンで書かれた様な線がくっきりと残っていた。

 寝ぼけているのかと目を擦っても、それは確かに彼の首元に残っている。手で擦っても、洗剤をつけても、どうやったて落ちることはなく、むしろ強く擦ったせいで首元は赤らんでいくばかりだった。

 どうしようも無いと諦めかけたとき、謙也は和也と顔を合わせた時のことを思い出す。彼は何も言わず、不審がる素ぶりも見せなかった。それさえも妙に感じ、謙也は風呂を出て直接聞いてみようと考えた。


 リビングでは、一足早く和也が朝食を食べていた。テレビではニュースが垂れ流しになっており、謙也はそれを見ながら和也の向かいに腰を下ろす。


「ねえ、父さん」

「どうした?」


 呼びかけると、和也は食事をする手を止めて謙也の方へと向き直る。謙也は自身の首元を見せる様にして、和也に問いかけた。


「俺の首、なんか変な痕付いてない?」

「いや……痒いのか? 多少赤くはなってるけど……」

「いや、もっとはっきりした……赤い線みたいなやつ」


 謙也がさらに詳細に伝えると、和也は目を細めて謙也の首元をじっと見つめた。数秒間見つめたのちに、和也は首を傾げて答える。


「特に何も見えないけど」

「そっか。なら見間違いかもしれない」

「……そうか」


 それ以上は詮索することもなく、和也は料理を再び食べ始める。謙也もそれに習い、気がかりではあったものの「いただきます」と呟いて朝ごはんを食べ始めた。

 先に朝食を食べ終えた和也は、出勤の準備をしてリビングに戻ると、謙也に声をかけた。


「そういえば謙也。父さん、今日は帰れなそうだから」

「そうなんだ、わかった。朝ごはんは? 食べるなら明日は作っとくけど」


 問いかける謙也に、和也は少し考えたのちに答える。


「いや、どうせすぐ寝ると思うし、腹減ってたら作るから大丈夫だ」

「了解。あんま無理しないでくれよ」


 気遣う謙也に対し、和也は少しだけふざけた様子で口を開いた。


「わかってるよ。任せとけ。息子一人残して死ぬわけにはいかないからな」

「その冗談は全く笑えないんだけど」


 呆れた様に呟く謙也の顔には、確かに笑みが浮かんでいた。自信過剰な和也の笑みは、いつだって謙也を安堵させるものだった。昔から、ずっと一人で育ててくれた和也に対し、謙也は憧れにも近しい感謝の気持ちを抱いている。


「それじゃ、行ってくるな」

「行ってらっしゃい」


 午前7時半。和也はそう言って席を立った。向かう先は玄関、ではなく仏壇である。その前にしゃがみこむと、和也は妻である美咲の遺影に声をかけた。


「美咲も、行ってきます」


 笑みを浮かべているものの、どこか切なげな和也の横顔を、謙也はもう何年も見てきた。彼は美咲のことを、覚えていない。謙也が二歳になった頃、美咲は事故に遭って死んだ。そう聞いている。

 美咲に語りかけて立ち上がった和也は、改めて謙也に声をかけると、家を出ていった。その後ろ姿を見送って、謙也は片付けを始める。その後準備をすると、謙也も学校へ向かうため家を出た。


「おはよう、謙くん」

「ああ、おはよう。今日も待ってたのか?」

「うん」


 謙也の問いかけに、向かいに住む西条詩織は元気よく返事をする。詩織の家族には、昔からかなり世話になっており、それこそ毎日の様に夕飯をご馳走してもらう時期もあるほどだった。


「流石に、もうこういうのはいいよ。好きな人だっているんだろ? そのリボンだって、もう変えてもいいと思うけど……」

「ダメだよ。謙くんは弟みたいなものだし。それに、リボンに関しては普通に気に入ってるからこのままでいい」

「それなら、いいんだけど……」


 どう言っても聞かないだろう。そう思って謙也は返事をする。腰ほどまで伸びた髪を高い位置で結ぶリボン、それは確かに謙也がプレゼントしたものだった。正直なところ、高校生になってもこの関係を続けられているのは、謙也にとっても嬉しいことだった。

 それは一重に、詩織のことが好きだから。ただそれが叶わぬものだとわかっている謙也は、未だその気持ちを伝えることができていない。さらに先の関係に憧れを抱きつつも、それは夢のまた夢だと諦めている。


「そういえば、昨日謙くんの話が出てね、よかったらうちでご飯食べていかない? お父さんもお母さんも、充だって久しぶりにゆっくり話したいって」

「まあ、確かに。詩織のお母さんにはちょくちょく会うけど、それ以外はもう随分会ってないな」

「どうする?」


 再度問いかける詩織に対し、謙也は少し考える素振りを見せる。


「今日父さん帰ってこないし、久しぶりに行こうかな」

「ほんと? やった!」


 照れ臭そうに頬を掻く謙也の横で、詩織は嬉しそうに笑みを浮かべた。その満面の笑みは美しく、謙也も思わず笑みをこぼしてしまう。

 忘れかけた夢がフラッシュバックし、不意に首の痕のことを思い出して手で触れた。


「どうしたの?」

「いや、なんでもないよ」


 詩織には、これが見えているんだろうか。

 浮かんだ疑問を口に出すことはせず、謙也は笑みを取り繕う。内心では、妙な焦燥感が謙也を襲っていた。夢から覚める直前、走馬灯のように遡る光景の中に、今と同じものがあったから。


 一抹の不安を抱えながらも、謙也は詩織とともに学校へ向かうのだった。

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