第90話 体育祭の練習が始まったけどキツいです

『全体止まれ!』


 メガホンを手に号令をかける体育祭実行委員、それを聞いて行進を止める全校生徒たち。

 全校生徒約1000人が行列をなして動く姿は壮観の一言に尽きるだろう。

 もっとも、午前中すべて行進の練習をさせられているから早く終わってくれとしか思わないのだが。


 体育祭の練習がハードとは聞いていたが、まさかここまでとは……。

 普通、入場行進だけで丸一日練習するか?


 なんでもうちの高校は、全校生徒の行進で校章を描いたり、今年の体育祭のスローガンを人文字で表現するのが恒例らしい。

 そのため膝の角度が低いだの、腕のフリが遅れてるだので、かれこれ数十回はやり直しさせられている。

 まるで軍隊や体育大学のようだぜ。そういやうちの部活ってそこそこ有名だし、結構体育会系の高校なのかもな。


「あっちぃ~! こんなのやってるより、つまんねー授業聞いてたほうが百倍マシだぜ~」


「確かに……。いくら9月だからって、四時間ぶっ続けでグラウンドを歩いてたら熱中症で倒れそうだわ」


「だからって高校生にもなって体育で帽子被らされるのもダセェ~よなぁ。時代錯誤ってゆーの?」


「一時間に一回は水分補給させてくれるし、暑さ対策はしてるんだろうけど……。行進なんかを数十回もやらされたら、精神的に参っちゃうよ」


 横にいる金髪に愚痴をこぼしながら、怒られないように腕と足を機敏に動かす。

 体育祭なんてどうせ大したことないだろうと高を括っていたのが仇になった。

 まさかここまでガチガチのことをさせられるとは、思いもしなかったぜ。


 生徒全員参加の種目は他にもあるが、まさかこれ以上に大変なやつとか無いだろうな。

 個人的に一番不安なのが、男子全員による組体操だ。噂では上半身裸になって、二人もしくは三人で組体操をしなければならないとか。

 こんな炎天下の中、裸の男同士で組体操とかどんな罰ゲームだ。絶対やりたくねぇ……。


 数年前までは組体操の項目に十段ピラミッドもあったらしいが、昨今の情勢もあり禁止になったのがせめてもの救いか。


「あーやばい……頭のぼせてきた……」


「大丈夫かよ進藤ぉ~。お前鍛えてねぇから、そんなことになるんだぜぇ~?」


「うるさい……俺は夜行性なんだよ。丸一日運動なんてしてられっか……」


「それ夜行性じゃなくて引きこもりなだけじゃね?」


 金髪のくせにまっとうなツッコミを入れるな。


 駄目だ……マジできつくなってきた。体調が悪い人は手を上げてくださいとは言われているが、かと言ってここで抜けたら周りからどう思われるか。

 いいや、そんなこと言ってる場合じゃねぇ。周りの目を気にして倒れたりしたら元も子もないだろう。

 限界だ、列から抜け出そう。そうだ、元々俺には無理なんだ。むしろよく頑張ったと褒めてもらいたい。


「わりぃ氷川、俺ちょっと休むわ……」


「おいマジで具合わりいのかよ。早めに休んだほうがいいぞ」


「そーする……」


 俺は行進の列から抜け出し、教師たちがいるテントまで行き、体調が悪いと伝えた。

 どうやら俺の顔色が悪いのを察して、教師は保健室に行くよう勧めてくれた。


 クラスのみんなに若干の罪悪感を感じながら、安堵を覚える。

 こんな練習があと二週間近く続くのか……先が思いやられるよ。




 ◆◆◆◆◆




「すみませーん……一年一組の進藤ですけど……体調が悪くて休ませてください……」


 弱々な声で助けを求めながら保健室の扉を開けた。すると保健室の先生が話を聞いてくれて、軽い熱中症だろうと診断してくれた。

 水分を取ってベッドで休み、体調が戻ったら練習に戻るもよし。無理そうならこのまま休むもよしと言われた。


 俺は保健室に置いてあったスポーツドリンクを飲み、ベッドを借りることにした。

 仕切りを開いてみると、ベッドが二つあった。片方のベッドには誰かが寝ていた。


 先客がいたか。まぁこんな暑さだもんな。俺以外にも体調が悪くなるやつもいるか。


「お互い大変だなぁ……」


 名前も知らない同士に小さく呼びかけて、空いているベッドに潜り込む。


「ああ……生き返る……。エアコンって最高だぜ……」


 人類が生み出した文明の利器の恩恵を存分に感じながら、疲れたからだを癒やす。

 他の生徒は真面目に練習をしている中、自分は天国で昼寝。なんだか悪いことをしているみたいで、申し訳無さと優越感が交互に押し寄せてくる。


「ふぁ~ぁ……寝るか。起きたら放課後になってますように……」


 エアコンの涼しい風と、ひんやりとしたベッドの心地よさであっという間に睡魔がやってくる。

 どうせ休むんならとことん眠ってやるか。そんなことを考えているうちに、俺の意識は薄れていったのだった。





「ん……んん……」


 目覚めたのは一つの寝息が原因だった。俺の声じゃない。これは女子の声だ。

 ぼんやりとした意識の中で、隣のベッドから聞こえてきたのだろうかと考える。

 しかしそれにしては近すぎやしないか? 俺のすぐ近くから聞こえてきた気がしたのだが……。


「んふゅ……りょう君……」


 りょう君って俺……? この学校で俺をそんなふうに呼ぶ女子なんて、二人しかいないはずだ。

 もしかして、いやまさか……。嫌な予感が脳裏に浮かんだ。


「あふぅ……」


「んぐっ……! な、なんだ……!? や、やわらかい物が顔に当たって……!」


 息が止まりそうになって、思わず布団から顔を出すと、俺の横には朝倉ミカの寝顔があった。

 何が起きたのか、理解できなかった。


 どうしてミカがここに? というか何故俺のベッドにいる?


 俺が疑問符を浮かべていると、寝ぼけ眼のミカと目があった。


「あ……りょう君おはよう……。今何時……? 朝ごはん……は?」


「お、おはよう……じゃなくて! ミカ、どうしてお前が俺のベッドに入ってるんだよ!」


「え……あ、そっか……ここ学校の保健室……。んんと……ミカ、行進の練習中に疲れて……保健室に来たんだけど……。ベッドが二つ埋まってて……でも片方はりょう君がいたから……その……」


「まさか……」


「にゅふふ……一緒に寝ちゃった……」


 照れ笑いしながら告白するミカの姿は、俺の心に大ダメージを与えた。やはりこいつ、男心をくすぐる技術は天下一だぜ。


「だ、駄目だぞミカ。いくら俺たちが友達だからって、学校でその……同じベッドで寝るとか、変だろ」


「ご、ごめんね……! でもミカは……りょう君とならいいかなって……思って……」


「そ、それは喜んでいいのか難しいところだけど、他の人に見られたら困るのはミカの方じゃないか。変な噂が立ったら大変だろ」


「う、うん……ごめんなさい。これからは……気をつける……ね」


 しゅんと落ち込んでしまう姿を見て、俺も言い過ぎたかなと反省しそうになる。

 だがここで甘やかしたら、また変なことをしてしまわないか心配になる。

 ここは心を鬼にしてでもミカに釘を刺すべきだろう。


「ま、ミカがベッドに潜り込んで来ても気付かないくらい熟睡してたってことだな。おかげで疲れも吹っ飛んだし。時計は……四時前か。練習も終わったようだし、教室に戻るか?」


「う、うん……! んふふ……りょう君とお昼寝……気持ちよかった……」


「またお前はそういうこと言う……。他のやつが聞いたら絶対誤解されるぞ?」


「誤解って……どんな?」


「そ、それはほら……なんつーの。お、俺とミカがその……つ、付き合ってるとか……さ」


 言ってて恥ずかしくなってくる。自意識過剰な陰キャの妄想って笑ってくれ。

 周りの目ばかり気にして、そのくせ周りと馴染もうとしないダブルスタンダードっぷりよ。


 しかしミカは決して笑い飛ばすことなどせず、しかしドン引きする様子も見せなかった。

 ただ、俺には聞こえないくらい小さな声で。そっと呟いた。


「ミカは……りょう君となら……別に……」


「えっ? なんか言ったか」


「う、ううん……! 何でも無い……よ。教室……戻ろ……?」


「そうだな。でも体操服のまま教室に戻るって、ちょっと恥ずかしいよなー。あれ、前にもこんなことあったっけ」


 ベッドから降りて靴を履き、保健室から出ようとした時。ふと俺たちの隣のベッドから声が聞こえた。


「んん……」


 それは俺の知っている声だった。だがあいつがこんなところにいるとは、思えなかった。

 だってあいつはリア充でギャルで、見るからに活発そうな女子で。

 俺よりずっと前に保健室に来るような、運動音痴には思えないから。


 頭の隅にちょっとした疑問が生まれたが、それよりも今は教室に戻るほうが先だろう。

 俺はベッドで眠る松山楓に声をかけず、その場を後にした。


 今思えば、俺はこの時から松山の本質に気付き始めていたのかもしれない。

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