他人の身体はいろんな意味で、使いづらい(2)
しかし、忍の脳内は絶えず思考を続けている。
「そうか、一緒に入って相手の身体を洗えばいいんだ」
「……」
「……よくないだろ! どこらへんがどういいのか説明してみろ!」
司さん、奇抜すぎる解決方法に閉口。
「もちろん、目隠しはしてもらう。自分の身体を洗うだけだ、問題は何もない」
「忍」
その一言で、オレと忍は黙って司さんの方を見た。
「そうすると俺は自分の身体でなく、秋葉の身体を洗うことになるんだぞ? 微妙過ぎないか。しかもお前自身の身体は、秋葉が洗うことになるんだからな。構図的には」
「それはダメだ、ない。棄却する」
「そうだろう」
「ちょっと待って、それオレに失礼じゃないか!?」
いや、それぞれがお互いの身体でない時点で案としては却下したほうがよかったわけだが。
「…………」
「いや、司さん、そこはフォローの言葉を無理にみつけようとしなくていいです……」
割と真面目に答えていたので、こうなる。
「そもそも私はサ―ビス残業は嫌いなんだ。サビ残するくらいなら、なんとしてでも時間内に終わらせて帰る」
こいつ、午前中に仕事をあらかた片付ける典型的なタイプだな。
それで帰宅後は趣味にまい進するのか。
……こいつの興味は多すぎる。
「じゃあそれでいいだろう。アンプルの確保を最優先でなんとか動いてくれ」
「じゃあ、また捕り物劇でも再開しようか」
忍が言った。
「?」
指だけで先を示す。
街角のひなたで猫は毛繕いをしていた。
「なんで気づいてたなら言わないんだよ……」
「息がまだ整ってなかったし、むやみに追いかけても捕まえられると思えなくて」
正論だ。
こいつの言うことには時々ものすごい正論や真実が含まれる。
同意したのか、司さんもすぐには動かなかった。
「俺の身体なら普通に追いかけてもいつかは捕まると思うんだが……」
「無理です」
目を逸らす。
わかっているのか司さんの口元にもまぁそうだろうなという諦めにも似た薄い笑みが浮かんでいた。
誠実な人柄ではあるが、わかることはわかっている。堅物ではない。
そして、強硬命令など下されないだけマシだ。
「モンブチでも買ってきましょうか」
「使いっぱみたいな司くんは見るに堪えない。正攻法の方がマシだな」
「算段はあるのか?」
ある意味、餌で釣るという正攻法はスルーされた。
「餌で釣るのはまぁいいよ。でも猫も好みがあるからメーカーによって逆効果なこともある。カリカリ派もいるし」
お前、猫博士なの?
「チューレとか大抵の猫は食感で好きみたいだけど、そもそもあれが普通の猫なのかもわからない」
確かに。
「飼い主がモンスターをペットにしている神魔の方なので、あの子も魔界産の可能性は多分にある」
すごい説得力だ。
ちなみにお魚をくわえる如くアンプルが猫の意思で攫われたわけではない。
そんなものなら追いかけている途中で落として今頃、事なきを得ているだろう。
あのモンスターの咆哮やら地響で驚いて逃げた際に、首輪の装飾にひっかかってしまったのだ。今も小さな小瓶のようなアンプルが、その首元にアクセサリーのように揺れている。
「とりあえず、向こうも落ちいついたようだし近づいてみるか」
道行く人には大して反応もしていないので、全く近づけないわけではなさそうだ。
しかし。
こちらの顔を見るや否や、逃げ出した。
「なんで!? 他の奴らはもっと近づいてたよな!!?」
「さっきさんざん追い回したから……まずったね」
結局、激走。
猫は裏路地に逃げ込む。
「秋葉。直線コースだ、ここならチャレンジくらいはできるだろう!?」
「オレはどんだけ意気地なしなんですか……」
言いながら、頑張ってみる。
一歩が早い。これなら捕まえ……
「どうした!」
直線の向こうは断崖になっていた。
……正しくは、道奥の小さな駐車場の終わりと下の道の段差だが。
猫は人間とは比べ物にならない跳躍力で下の段に逃げ去っていった。
「追え!」
「ちょっと待っ……!!!」
手が届くと思われた瞬間、その先にある危機を察して急ブレーキをかけた隣に駆け付ける二人。
『秋葉』の手が、躊躇なく飛び降りた『忍』の襟首を辛くもつかんだ。
「秋葉!」
ガッ
『司さん』の手が、体勢を崩して落ちかける『オレ』の腕をつかむ。
「…………」
結果、忍の身体は落差3mほどの壁につるされることになった。
「大丈夫ですか、司さん」
二人で引き上げるそばから忍に短い説教を食らう。
「司くん……それは私の身体なんだ。強化とかされてないから。習慣だけで飛び降りるのやめてくれる?」
「すまない」
こういう時なので、ついうっかり、はまぁわかるが普通に勢いで飛び降りたら脚の一本折ってもおかしくない勢いだった。
すごく、反省しているのがわかる。
絶対忍本人では見られない表情がそこにある。
「とにかく、秋葉。見失わない内に追うだけでも追ってくれ」
「それってここ飛び降りろってことですよね」
「大丈夫だ。感覚的に、階段を2,3段飛び降りるような要領で……」
「無茶言わないでください」
すごくわかりやすいが、実際目に見えているのはその十倍以上の高さなわけで。
「さすがに私もここは飛び降りられないかな……下コンクリートだし」
柔らかい何かだったら飛び降りるのかお前は。
「忍、恐怖をあおることは言うな。秋葉、その身体なら多少着地に失敗しても怪我はしないはずだから」
「はず、って司さんそれ、これくらいの高さで着地に失敗したことないってことですよね!? 実体験が伴ってないですよね!?」
「「……」」
いっそ、突き落とした方が早そうという空気が一瞬流れた。
「そんなところばかり鋭いんだから。何ですか? あなたは逃げの秋葉さんですか?」
「人生逃げたほうがいいこともあるんだからな」
「一理あるがその姿で言わないでくれないか」
諦めたのか最初に動いたのは忍だった。
ちょっと見まわして、隣接する建物から下へ伸びている配管をみつけると手を伸ばす。
忍はオレの身体で、あまり躊躇せず、だが慎重にそこを降りていく。
すぐに司さんも続いた。
なんで二人ともそんなに身軽なの?
オレも配管を止める横の金具を足場にしろと教わって降りる。思ったより問題なく降りられた。
「左の方だったな」
探索再開。
すぐにみつかった。
は、いいけれど。
「……2階ですね」
「2階だな」
日当たりのいいマンションのベランダで前足をなめている。
こちらには気づいているのかいないのか。
いずれ、そこまで来られまいという確信はあるのだろう。
「安全距離を取られてるなぁ……秋葉」
「お前に何が分かるんだ?」
自分の声で呼ばれて先に牽制する。
確かに、この追いかけっこも司さんの中身が司さんであればとっくに決着はついていたであろうが。
「いや、さすがに助走もなしにあの高さは無理だな」
見上げ、道を振り返る司さん。
ちなみにオレたちは隣に並んでいる。
「目測しても無理ですよ」
無理なものは無理である。精神的に。
こんな時、人間の限界になるのは常識と無理と思う心そのものだ。
うん、知ってる。だから無理。
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