8.不知火

「あれは……」


いきなり現れた巨狼は一度、見渡すようにそこからこちらを眺めていたが次の瞬間には、正面の階段を一気に駆け超えて戦場と化しているここへ降りてきた。

そのままそこにいたデーモンを文字通り蹴散らし、駆けながら立ち塞がるものはその牙で絶命させる。

そして、司さんが今まさに斬り捨てようとしたそのデーモンを後ろから仕留めて、初めてその足を止めた。


「なんだ…? この犬ころは…」


ダンタリオンが呟く。


「神魔のにおいがしない。なんだ、こいつは」

不知火しらぬい……」


普通の犬に悪霊なんて噛み殺せるわけがない。

司さんはそれが何かわかるようだった。


「あれ、この間みたやつ、か……?」


オレは思わず、呟いてしまう。

歌舞伎町で見た、あの「犬」じゃないだろうか。

更に一回り大きく見える気がするが。

顔を上げて周りを見ても、他に人の姿はない。


「この間って?」


珍しく独り言に忍が反応してきた。


「歌舞伎町で見たんだよ。でも女の人が連れてた」

「それって、長い真っすぐな髪の、身長私と同じくらいの人じゃなかった?」

「なんでわかるの?」


やっぱり。

と、こちらもわかっている様子。


「それ、もりちゃんだよ。司くんの妹の。あの犬は不知火しらぬい。見ての通り、ちょっと変わった犬です」

「ちょっと変わったどころじゃないだろ。どういうことだよ!」

「見てれば分かる」


説明するより早いのか、しかし聞いているより見る方が確かに確実だ。

その時には、不知火と呼ばれたその犬は唸りとともに、あたりのデーモンをその強靭な爪と牙で仕留め始めていた。


「おい、司。お前の知り合いか?」

「……」


答えずに、ダンタリオンと司さん、そして不知火というその犬はあっという間にそこにスペースを作り出した。

オレたちへの攻撃は諦めたのか、テリトリーに入ろうと固まっていた悪霊たちが、間を置かずそちらへ大挙する。


「グルルルル」


身体を低くして改めて臨戦態勢を取るそれは。


「ウオォォォォォーーーー!」


狼の怒号のような声を発する。ビリビリと空気さえ震わすその声に、肉体を持たないゴーストたちは次々と消えていった。


……触れもしない間に。


「おいおい、しかも神聖系かよ。どうりでデーモンにもてきめんなわけだ」


ダンタリオンの方はそうして、構えを解いても十分なくらい、周りから敵の数は減っている。


「公爵、俺と不知火が下を止めます。上の人間を確保してくれませんか」

「いいのか? 立場的に逆じゃないか?」


余裕が戻ったのか、にやにやしているダンダリオン。

それは形勢が逆転したことを意味していた。


「不知火は、あなたの言うことを聞きませんよ」


お返しのように司さんはふっと息をついて言った。


「んだと!? わんころ相手にそんなことは……」

「人間三人。術士の類には間違いないでしょう。陣より先に抑えられれば何の問題ない。参考人として使いたいので、できれば思念術でそこの二人のことは忘れてもらってください」


あーそうだよな。

結局、関わっている人間が他にいるってめちゃくちゃバレてるもんな。

かといって、オレたちは


「皆殺しにすれば口封じになるじゃんか」


そういう目的で来ているわけではない。


「……俺は人間なんで。それで、今回の件は全部チャラにしてあげますよ」


今は軽く刀を振るいながら司さん。

ぬぅ。

とダンタリオンは唸っていたが、条件を飲んだらしい。

去りざま、言った。


「お前、頭固いどころか、オレたち寄りに見えて来たわ」


どこら辺がだ。


思いっきり問題発言を残し、あっという間に階段の上の安全圏にいた術士たちを気絶させていく。


それが終われば陣は増えない。

不知火の強力な援護もあって、すべてが片付くまでそう時間はかからなかった。


「はぁ~終わった」


ダンタリオンの結界を示す光が消えたので、そう悟る。

緊張感が途端になくなり、どっと気が抜けた感覚がすさまじい。


「秋葉にしては今回は逃げないでよく頑張ったね」

「諦めるのは性格として、ここで逃げるとオレの人間性がなくなるだろ」

「そうか」

「……ちょっと否定とかフォローとかしてくれないかな」


なんて言ってると、司さんたちもすぐに来た。


「おつかれさま。……怪我、大丈夫?」

「あぁ、かすり傷程度だ」


確認した方がいいですよ。

血が止まっていないのか、司さんは自分でわき腹を強めに押さえている。


「それよりも」


ぎくり。


めずらしく、有無を言わせない口調の一言で、なぜか忍は顔を逸らした。

何だかはわからないが、容赦なく司さんはその先を続ける。


しんに教えたのか」

「……」


答えに悩んでいるようで、そうこうしている内にどこで見ていたのか本人が現れることとなった。


「司、忍ちゃん無事だった?」


やっぱりこの間見た人だ。


「何? この子が噂のツカサの妹か? …………」

「ダンタリオン公爵、秋葉さんはじめまして。白上 森です」

「あ、はじめまして」


礼儀正しくあいさつをされた。

公爵の視線と口上は完全に無視しているところがなんというか、うん、わかる(何が)。


「どうして来たんだ。こんな危険なところに」

「忍ちゃんに危ないところに行くって聞いて」


危険と言われて危険なところに来るって、いったいどういう。


意味が分からないオレはさておき、司さんの視線が、忍に向いた。

珍しく、少し非難めいて見える。

忍が先に口を開くより、司さんの妹……森さんが続ける。


「忍ちゃんは悪くないよ。それが私の、忍ちゃんとの約束だから」

「約束?」


あ、この間ダンタリオンのところで言っていたのはこれのことなのかな。

約束もあるから、司さんのバックアップを全力でしている、みたいな話だったはず。


「それは教えません。とにかく、私はともかく不知火は必ず力になると思って……」

「そうだ、そのワンコ。なんなんだ。悪霊を消したってことは神聖系なんだろうが」


今度は司さんと森さんが顔を見合わせた。


「神聖系というか、まぁそちら方面ではあると思いますが……」


曖昧。


「だから、どこにも属さない不知火の力を借りるのは誰にとっても制約にないから、声をかけたんだよ」


忍が司さんに言ったのはさっきの問いの答えだろう。

会話的に続いてはいないが、これ以上、言っても無駄だと思ったのか、司さんは深いため息をついた。


「確かに、あの状況では助かった」


おとがめはないらし……


「だが、二度と森に首を突っ込まれせるような真似はしないでくれ」


くもなく。


「先約があるので、その希望にはお応えできません」


先約=森さんとの約束、というやつか。


「…………」


司さん、閉口。


「私も好きで首を突っ込んだので、需要と供給は成立しています」

「……………………」


……凄ぇ! 今の一瞬で、森さんが忍と仲いいってすごいわかった!!!


司さんは、大きなため息をもう一度つきたいような顔をしていた。

それ、多分、諦め的なやつですよね。


「いいじゃねーか。みんな無事だったんだし」

「……」


今の沈黙は明らかに、二人に向けたものと違った。

視線に殺気すらこもっている……ようにみえる。

気安く肩に手をかけてきたダンタリオン、突き刺すような視線で見られてるぞお前。


「……全部チャラじゃなかったのか?」

「気が変わりそうです」


きっぱり。


「それより司さん、先に怪我を何とかした方がいいんじゃ……」


依然として、自分で抑えたままだ。


「あぁ、先に本部に連絡を入れるから」


いや、先に怪我何とかした方がいいと思います。

器用に、片手で無線を操作すると、特殊部隊と思われる人につなげた。

すべては話さないまでも、事後処理があるのでその辺りは事前につなげやすくしておいたらしい。


内容は、すぐに現場に来ること。


要約すればこれだけだ。

ひとつ外のホールに出て、ソファに腰かける。

いずれ同僚の到着を待って引き継ぎは必要なんだろう。


「えっと……結構、血がすごいですけど、大丈夫ですか」

「出血が大げさなだけで軽傷だろう」

「そんなので済ませられるんですか」

「いや、実際そういうものなんだ」


血を見慣れていないオレはそれだけで、くらくらしそうだ。

こういう時はなぜか女の方が強い。

自分で抑えているその上からハンカチを提供する忍。


「殺菌はしてないけど、ないよりマシかと」


冷静な感想はいらないから。

そこへはい、と荷物をここへ置いておいたらしい森さんが大判のガーゼを差し出した。



オレたちは全員が幻術を既に解いていた。

森さんが入った時点で当初の「ダンタリオンが一人で来ていることにする」には無理があるし、一方で、ダンタリオンがオレたちを連れてきたことにしてもどうにでもなるからだ。

幻術は逆に、言い訳になるだろう。


当然に森さんに情報が洩れていたのは追求されるかもしれない。

が、そこは忍が初めから想定しているはずと考えると、「一人で来ていることにすればいい」というのは一番最初の例え話で、はじめからそれは成り立たないことが前提だったのかもしれない。


計画の全容が、そもそも語られてなかったことをオレはようやく思い出した。


……いずれ、事件は特殊部隊の管轄になるだろう。

これ以上は深入りできる場所ではないし、するところでもない。


オレにわかるのはそれだけだった。

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