第64話 矢の向かう先

「僕と彼女をつけてたのも虻川さん?」


 秋守の問いに虻川の顔がこわばった。


「つけてたわけじゃ・・・・・・。秋守くんのケガが心配で」

「ケガは治ったから、気にしないで」


 ぐっと抑えた秋守の声が虻川をそっと押しやる。


「気にしないでって、お前」


 は? と小さく声を吐いた黒川がイライラと横やりを入れた。


「人を突き落とすやつだぞ。また何するかわからないのに、よくもまぁ」

「少し驚かせたかっただけでッ、あんなことになるとは思わなかったの! 怪我させるつもりじゃなかった!」


 黒川の言葉に虻川の必死な声がかぶさった。


「謝りたかったのッ。だけど声をかけられなくてッ、きっかけが見つからなくて。本当よ、ほんとに本当」


 秋守だけを見つめて虻川が訴える。その声は震えていた。


「ストーカーだと思われるんじゃないかって不安になって、追いかけるのを止めて。でも、許して欲しいから・・・・・・」


 言い訳を続ける虻川に「自分のことばっかりッ」と、姫花の鋭い声が放たれた。

 姫花の声に虻川の体がびくりと跳ねた。雷に打たれたように。そして、虻川の足元にしょっぱい雨粒が落ちた。


「姫花ッ」


 姫花の腕に亜結が手を掛ける。止める亜結を姫花は腕組みしたまま睨んだ。


「ごめんなさい、謝りたかったの。秋守くんに謝りたかっただけなの」


 うつむいた虻川が両手を胸に当てている。涙声が痛かった。


「僕にじゃなく彼女に謝って」


 秋守の声は平坦で冷たく感じられた。おずおずと虻川の目が亜結に向かう。


「ご、ごめんなさい」


 黒川と姫花の強い眼差しが虻川を刺す。近くのテーブル席の人や周囲の人たちがこちらを見ていた。


(こんなに大勢の人の前で謝るなんて・・・・・・)


 視線が痛い。直接自分に向かっているわけじゃないのに亜結も痛かった。おとなしげな虻川。彼女が声をかけるタイミングを失って秋守の背を追う姿が浮かぶ。


(秋守先輩とふたりきりの場所で謝りたかったんだよね)


「ごめんなさい」


 繰り返す虻川に亜結は首を振った。


「ううん、私は大丈夫。足をひねっただけだから」


 亜結はいたたまれなかった。


「私こそ、ごめんなさい」

「亜結、なに謝ってるのよッ」


 呆れた眼差しを向ける姫花には目もくれず、亜結は虻川を見つめて言った。


「謝る機会を邪魔してごめんなさい」


 頭を下げる亜結を虻川は驚いて見つめていた。

 責めることも怒ることもしない亜結が秋守の隣で頭を下げている。虻川の瞳から涙がひとすじ流れた。それは砕かれた心のようだった。


「なんで亜結が謝るの?」

「そうだよ。姫花も危なかったし謝る必要はない」


 黒川に睨まれて、消え入りそうな声で虻川が繰り返した。


「ごめんなさい・・・・・・すみません」


 謝る虻川の手が白くなるほど握りしめられていた。


「秋守は大怪我だった。謝って済む問題じゃない」

「やめろよ」

「秋守ッ」

「やめてくれッ!」


 叫ぶような秋守の声に皆の時が、一瞬、止まった。虻川よりも彼のほうがダメージを受けているように見える。


(先輩の手が・・・・・・!)


 こわばった秋守の顔。亜結の手をにぎる彼の手が冷たい。


「亜結に何もしないって約束してくれる?」


 うつむいていた秋守がそっと顔を上げて、虻川が激しくうなづいた。


「本当だよね、約束だよ」

「しませんッ。絶対に、本当にッ」


 秋守の横顔が青白く見える。亜結は彼の手を包んで見つめていた。


「だったらいい。これ以上言うことはない。僕は怒ってないから、もう行って」


 もう一度頭を下げた虻川は建物へ駆け込んで行った。


「秋守、お前お人好しが過ぎる」

「親も一緒に菓子折り持参で先輩の両親にも謝るべきだと思う」


 文句を言う黒川と姫花を秋守は見ていなかった。秋守は亜結の手をにぎったまま、空いた手で顔を覆ってうつむいていた。


「頼むから、彼女を追い込まないでくれ」


 黒川と姫花がさらに呆れる。


「加害者をかばうなんて」

「気がしれない」


 ふたりはそう言ったけれど、亜結には秋守が彼女をかばったようには見えなかった。


(先輩・・・・・・、苦しそう)


 心配する亜結に笑顔を見せて、秋守はその後なんともないふりを続けた。






 4人一緒にサークルの集まりに参加して、その後の飲み会にも足を運んだ。秋守は普段通りに振る舞っていた。

 帰りが遅くなって秋守は亜結を送り、朝宣言した通り彼女の部屋に泊まっていた。


(もう心配しなくてもいいのに)


 秋守は亜結の横で寝ている。昨夜と同じように片手をにぎったまま。


(ひとりで眠れない子供みたい)


 くすりと笑って秋守の寝顔を眺める。そして、亜結は真顔になった。


(先輩、疲れたんだね)


 飲み会は歓迎会をしたジャズバーで、その化粧室で居合わせた小早川栞吏こばやかわしおりと話をした。その時の会話を思い起こして、亜結の眉が悲しそうな形を作る。


和晴はる君、何かあった?」


 初参加の定例会と飲み会の感想を聞いたあと小早川は亜結にそう聞いた。


「なんだか無理に明るくしてるみたいだから」


 鋭いなと亜結は思った。


「彼は物怖じしないし、もともと誰とでも話す明るいタイプだけど・・・・・・」


 そう言う小早川の目が少し不安げだった。


「大学に入りたての頃に戻ったみたいだったから」


 小早川は鏡の中の自分を避けるように鏡を背にした。重そうな肩は、まるで十字架を背負っているように見える。


「大学に入った頃ですか?」

「うん。高校の時に・・・・・・、ちょっとあってね」


 少し彼女が迷う。その表情に暗い影が射した。


「静かに高校を卒業した和晴くんが、大学に入ると皆に気を使って均等に友達付き合いしてたの」


 小早川は話しながら迷っているようだった。どこまで話していいのか、どこまで話すべきか。

 彼女の見ていた虐めは秋守と同じだっただろうか。秋守が話していない部分があるなら知りたい、別の視点からの情報があるなら埋めたい。


「ちょっとって、いじめの件・・・・・・ですか?」


 亜結の質問に小早川は驚いた顔をした。でも、すぐに「ああ、そっか」と小さくうなずいた。


「話してくれたんだ。和晴はるくん」


 彼女はうなずく亜結を見て息を吐いた。彼女の肩から力が抜けたのがわかった。


「あの、実は」


 亜結は今日の出来事を彼女に話した。その間、彼女は黙って聞いていた。


「追い込まないでくれ・・・・・・か。彼らしい」

「彼女をなぜかばったのか気になって」


 小早川の瞳がなにかを見ている。そう感じる目をしていた。


「高1のあの頃、和晴くんは彼女を虐めた人達と首謀者を探してた。言い出した人間を皆がかばってるって思ってて、彼に責められて不登校になった子もいて」


 少しの間だけね、と小早川は付け足した。


「彼よりも親衛隊みたいなグループがやり過ぎたんだけど、和晴くんは責任を感じたみたい」


 暗い面持ちで聞く亜結の肩に彼女が手を添える。


「人気のあった和晴くんをよく思ってなかった男子とかが、ここぞとばかりに責めて、事あるごとにいじって」


 恋人が虐められた責任。

 透明人間になったふたり。

 虐めた人を虐める側に立ってしまった事実。


 秋守は辛かっただろう。どれをとっても亜結の胸は痛んだ。


「和晴くんを援護するとかえって彼が攻撃されて。親衛隊も腫れ物に触るみたいになって・・・・・・学校で浮いてた」


 眠る秋守の頭をそっとなでる。


(言葉の矢を受けてたんだね)


 秋守にアリューシュトの姿が重なる。


(反撃はしなかった)


 はねのけようと思えば出来ただろう。


「和晴くんに注目が集まって、彼女は普通に学校生活を送れてた気がする」


 小早川の言葉がふたりの姿を思い浮かばせた。彼女を透明人間にしたまま、矛先を全て自分に向ける秋守の姿が見える。まるでアリューシュトの様だ。


(形を変えて前世と同じことが起こっているみたい)


 そう思いながら亜結は夢に落ちていった。




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