第60話 つじつま合わせ

「私・・・標じゃなくて亜結って言うんですよ」


 彼女の言葉を聞いて秋守は顔をあげた。


くうちょうやくほう


 亜結が呪文を唱え終わると同時。


「あっ!」


 テレビ画面がブラックアウトして秋守は息を飲んだ。

 一瞬の、静止した秋守が慌てて画面を覗きこむ。

 深淵しんえんを覗くように真っ暗なテレビ画面に自分の顔が写っていた。


 永遠に暗いままかと思えた画面が唐突に光り、


 ザーーーッ!!


 音をたてた。


「うわっ!」


 驚き仰け反った秋守が後ろに手を付く。

 砂粒を叩きつけるような音と、ざらついた細かなドットがテレビ画面を覆いつくしていた。


「・・・・・・どうなってるんだ? これ。亜結はどうなった?」


 腰を抜かしたような格好でテレビを凝視したまま、秋守は回らない頭で考える。


「魔法? 本当に?」


 テレビはまだ映像を写さない。


「嘘だろ? 亜結、冗談・・・・・・。え? 何なんだよこれ」


 テレビに飛び付いてぺちぺちと画面を叩いてみる。そんな事をしてみても何かが変わるわけがない。

 砂粒が当たる雨音に似た音だけをたてて、テレビは点いたままだった。


「戻って来るって? こっちに?」


 画面に写る粒が金色の光を発し始めて、秋守はじりっと後ずさった。


「な、何?」


 座り込んだまま尻をずらして後退する。画面からふわりとあふれでた光の粒が、秋守を追うようにテレビから離れた。

 秋守はそれをただ見上げていた。


 ふすまを背にしてテレビとの間で光が集まるのを、秋守はただ呆然と見つめているしかなかった。


「・・・・・・亜結」


 人の形に集まった光が消えると、その場所に亜結が立っていた。

 数秒立っていた彼女の体が沈みこむ。


「亜結!」


 糸を切られた操り人形のように亜結が膝から崩れ落ちた。それを見て秋守はとっさに手を差し出していた。


「亜結ッ! ・・・・・・あっ」


 受け止めた彼女の体の冷たさにゾッとする。

 まるで死体のようにぐったりと重い体。二の腕を掴むと肘から先が力なくぐにゃりと動いた。


「あぁ・・・・・・亜結。大丈夫か? おい」


 体を揺すって頬を軽く叩いてみる。自分の心臓の音がうるさく聞こえていた。


「救急車・・・・・・」


 ふと秋守は動きを止めた。


(え? なんて説明すればいい? テレビから出てきてぐったりしてるって?)


「信じてもらえるわけない・・・でも・・・・・・」


 ポケットに手を突っ込んでスマホをににぎる。その時、亜結の手が秋守の頬に触れた。


「秋守・・・・・・先輩」

「亜結」


 力なく開いた亜結の目が秋守を見上げていた。

 彼女をぎゅっと抱きしめて言った秋守の声が、


「良かった」


 泣いていた。


「大丈夫だよ」


 柔らかな秋守の髪をなでた手を首の後ろへ回し、亜結はそのまま彼に抱きついた。


「そんなに心配しないで」

「良かった」

「心配かけちゃった・・・?」


 秋守が首を振る。


「でも、なんで先輩が私の部屋に?」

「僕の事より・・・亜結に聞きたいことが沢山あるよ」


 暖かい秋守の体に包まれて、優しい声を聞いて、自然と微笑んでしまう。


(アリューシュトより細身だけど、安心する)


 秋守の胸元に顔を埋めて亜結は目を閉じた。


「亜結、テレビの中に行ってた?」


 否定しようかと迷った。でも、ここに秋守がいる。

 テレビから出てきた亜結を受け止めて、こうして抱きしめてくれている。嘘は通用しない、そう思った。


「・・・・・・うん」

「本当に?」

「正確には、異世界だけど・・・」


 話しているうちに亜結の体に温かさが戻ってきて、秋守はほっとしていた。


「別の世界を写す鏡ってテレビのこと?」


 亜結は目を開けて秋守を見上げた。


「・・・・・・うん」

「ドラマじゃなく本物?」


 亜結は気まずそうに目をそらして頷いた。


「そう、王子もシュナウトさんも異世界に実在する人」


 秋守の焦点が定まる。


「鏡をくぐり抜けて王子が来たって?」


 秋守の声にほんの少し鋭さが加わった。


「この部屋にあいつが来たってこと?」

「あぁ・・・・・・うん、そう」


 ファミリーレストランで話した自分の体験談。

 その話のどこをどう言い換えたか、亜結は頭の中を引っ掻き回した。


「真夜中に来たのもあいつ?」

「うん」

「ケガして現れたってのも?」

「・・・・・・そう」

喘息ぜんそくの発作を起こしてここに・・・来た・・・・・・って?」


 亜結から聞いた話の先を思い起こしながら質問する。秋守の口調がゆるやかに遅くなっていった。


「その時に主人公の彼氏が、部屋に・・・・・・来た」


 秋守の瞳がぴたりと亜結を見つめる。

 記憶の糸が結び付いた。そう感じる表情だった。


「あの時、言い争っていた人はいた。それが、あいつ・・・か」


 亜結は目を閉じた。


(ああ、怒られる。ユリキュースをかばって隠したことも、嘘ついてたことも。どうしよう・・・・・・)


 体を固くする亜結の両肩を秋守が強くつかんで声をあげた。


「僕より先にあいつが? あいつがこの部屋に!?」


「え?」


 問い詰められると思ったことと矛先が違った。

 テレビに指を突きつけて秋守が続ける。


「ベッドの上だけじゃなく、ここで? 布団の上で・・・・・・あいつと?」


 亜結は慌てた。


「中じゃなくて布団の上に・・・・・・」

「同じだろ!」


 一喝されて亜結はぎゅっと目をつぶる。


「何かされた? さっきみたいに優しくされて・・・・・・ああッ!」


 がばっと立ち上がった秋守が台所へと向かい冷蔵庫に手をかけた。


「ごめん、飲み物もらうよ」

「う、うん」


 乱暴にペットボトルを取り出して、秋守はあおるように飲んだ。


「あいつのこと・・・・・・、好きなの?」

「違う!」


 亜結は小刻みに首を振って手をばたつかせて否定する。


「それは違うから」


「あいつは君のこと好きみたいに見えたけど?」

「・・・・・・えっ?」

「君もまんざらでもなさそうに見えた」

「そんな、そんなんじゃないよ」


 秋守がそっぽを向く。


(怒ってる)


「テレビで見てたから確かに肩入れしてるけど・・・、好きとかそんなんじゃ・・・・・・」


 そっぽを向いたままの秋守が言った。


「お祖父さんのため?」

「え? どうしてそれを知ってるの?」

「亜結も魔法使えるから? 君も彼の魔法使いなの? お祖父さんから受け継いだとか?」


 睨むように見つめる秋守に亜結は戸惑った。


「その話・・・・・・しましたっけ?」

「さっき王子に話してただろ」

「そうだけど、さっきって。 ーーーテレビ、見てたの!?」


 亜結は慌てた。


(そうか、見てたんだ・・・・・・!)


 秋守がここに来たときテレビは点いていたに違いない。だとしたら見ていたのだろう。


「ど、どこから? 話のどこから見てたの?」


 慌てて走り寄る亜結から秋守が顔を背ける。


「会いたかったとか、守る約束がどうのとか」


 亜結の顔が青ざめた。


(それってベッドで横になってたところだよね。その後、ちょっと危ない雰囲気になって・・・・・・)


 そこまで思い起こして亜結の顔が真っ赤になった。その顔をチラ見した秋守が指を突きつける。


「そんな風に赤い顔してた」

「す、好きじゃなくてもあの状況じゃ恥ずかしくて赤くなったり・・・・・・するじゃないですかッ」


 目を泳がす亜結に秋守の指が震える。


「信用されてないってむきになってた」

「・・・・・・それは」

「亜結はただテレビを見てただけ? そうかな。そんな風には見えなかった」


 秋守の声がとげとげしい。


「本当はいつから見てたの? 僕と出会うずっと前から?」


「違うッ」


 亜結は首を振った。


「ずっと昔からの知り合いに見えた」


 怒りを押さえた声がぐっと低くなる。


(どこから話せばいいんだろう。前世とか運命とか言い出したら、秋守先輩はもっと心配しそう)


「秋守先輩・・・」


 亜結が秋守の腕に手をかける。でも、彼は目を合わせてくれない。

 亜結は力なく秋守の胸に頭をつけて、彼の服をきゅっとにぎりめた。


「遺品としてテレビをもらった後からよ。歓迎会の日に届いて、少し見ただけ・・・。あの時は、ドラマだと思ってたの」


 秋守は亜結の話を聞いていた。握りしめた手を亜結の背に回すことなく、ただ黙っていた。


「ユリキュースと縁があるのは事実だけど・・・・・・、私たちだって縁があるの。ずっと前から」


 亜結がぱっと顔をあげると秋守の顔が逃げた。


「私たちが生まれる前から」


 そっぽを向いた秋守がぽつりと言った。


「母さんたちが出会ってた」

「それよりももっと、ずっと前よ」


 秋守が怪訝そうに顔を向ける。


「それよりも前? ーーー話をそらしたってダメだぞ。今日は泊まるッ。あっちには行かせない!」


 秋守の瞳が亜結を見据える。


 アリューシュトの目に似ていた。あの時と同じ、強い意思を感じる瞳。その目に見つめられて亜結の胸が痛んだ。


「今日はもう行かないから」

「今日は!?」


 秋守の服を握りしめる亜結の手を彼が乱暴に引き剥がす。

 手首を強くにぎられて驚いた亜結が、身を守るように胸元に腕を引き寄せた。


「あっ」


 寄せた腕ごと秋守に引き寄せられて亜結の胸がどきりと跳ねる。

 彼の目が間近にあって、彼の瞳に飲まれて目が離せない。


 秋守の瞳に引き寄せられて、亜結は彼の目に写る自分を見ていた。


 唇に熱いものが触れた時、彼にキスされたのだと亜結は気づいた。



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