第35話 穏やかな朝
アラームの音で目を覚ました亜結が、スマホの次に手を伸ばしたのはペンダントの入っている小箱だった。
寝転がったまま蓋に手をかけてみる。
「開かない」
昨夜、何度か開けようとしたけれど箱は1ミリたりとも開かなかった。まるで口を閉じた貝みたいに。
「はぁ・・・」
小さく息を吐いて箱を元の場所へ置く。すると手に触れた白い円筒形の物が転がった。それは手紙だった物。
読むと消える不思議な文字が書かれていたはずの白い紙。
「ここに文字が書かれていたなんて、私でも信じられない」
なんの痕跡もない白い巻物は手を離すとくるりと巻き戻った。
(2日間ってことは明日の夜まで箱は開かないんだよね)
そう思う亜結の頭のなかにユリキュースの姿が浮かぶ。
(どうしてるかな・・・、体は大丈夫だよね? 薬とかあるのかなぁ、あるよね)
自問自答する。
持病がある人ならきっと薬を常備しているに違いない。そう思うことで心を落ち着かせてみる。
「リュース・・・・・・」
ただ、召し使いの娘のことが気にかかった。
秘薬についてユリキュースに伝え忘れたことは残念だった。でも、彼女が叱られない言い方をとっさに出来たかと考えるとあやしい。
(リュースは悪くない。知らないだけだもの)
何事もないように、何かあったとしても大事にならないようにと祈るしか今はできない。
亜結が王子の事を考えている頃、あちらの世界ではユリキュースとシュナウトがそれぞれに
「
静かに座るふたりにフィリスが声をかける。
「ありがとう」
ちらりと彼女へ目を向けたユリキュースが少し迷って、言葉を継ぐ。
「昨夜、1度飲んだだけだが・・・もう何の障りもない」
そう言って彼は口元だけで笑って見せた。
「良くなっても安心なさらずにお飲みくださいませ」
「・・・・・・そうしよう」
無表情に近い微笑みを返す王子にシュナウトは小さくため息をもらす。
「
フィリスの姿が見えなくなるのを待ってシュナウトが口を開いた。しかし、王子は黙ったまま目すら合わせない。
(また心を閉じかけている)
薬湯の入ったカップを見つめる王子の心はここにないようだった。
(最近になってやっと会話が楽に出来るようになったと思っていたのに・・・・・・)
シュナウトは能面の様な顔のまま、心でため息を吐いた。
「シュナウト」
「・・・・・・はい?」
王子の声があまりに小さくてシュナウトは体を少し近づけて返事をした。
「契りの儀とは・・・・・・。男女ふたりだけで行っても成立するものか?」
カップに目を落としたままの王子がおぼろげな声でそう聞いた。
とうとつな質問にシュナウトが固まる。
「・・・と言いますと?」
「何でもない、忘れろ」
そっぽを向いたユリキュースは苦い顔をして薬湯をくいっと飲む。
知りたいが聞きたくない。そんな気配が感じられて、シュナウトはそろりそろりと言葉を選んだ。
「ふたりの約束としては成立しているでしょうが、改めて互いの両親のそろった席で・・・。行う必要が・・・あるかと・・・・・・思います」
王子の顔色をうかがう。
それほど気にしていないという表情を作っていても、王子の全身が耳をそばだてている。シュナウトにはそう思えた。
「標が・・・誰かと・・・・・・。まさか、王子と!?」
声をひそめるシュナウトの質問にユリキュースの声が高くなる。
「違う! 私ではないッ」
やっとこちらを向いたユリキュースが再びぷいっと顔をそらした。
(王子ではないということは、標が他の誰かと? 元気がないのは体調のせいではなく心か、困ったものだ)
シュナウトは困ったと思いながらも口の端でそっと笑った。
「あの・・・・・・、王子様にこれを・・・」
目の端に立っている召し使いを見たシュナウトがリュースへと目を向ける。
彼女はおずおずと小さな盆を差し出した。
「お菓子が用意されていることは知っているのですが・・・。あの、飴もお持ちしました」
小皿の上に艶やかな飴が数個のっていた。
なんの疑いもなくユリキュースが飴を口に含む。そっと微笑む王子を見てリュースは嬉しくて目を輝かせた。
飴にかけた秘薬の真実を知らない無垢な笑顔で。
ユリキュース達が穏やかに時を過ごしている頃、亜結は駅へ向かう坂道の途中で秋守を見つけて小走りに駆け降りていた。
「亜結、危ないって」
秋守に飛びつくように彼の腕をとって、勢いにまかせて彼の回りを一周して止まる。
「受け止めきれなかったらどうするんだよ」
「大丈夫、秋守先輩を信じてるもん」
そう言って笑う亜結の手を引いて秋守は歩き始める。
「僕はスーパーマンじゃないし、ふかかふかのマットレスでもないんだぞ」
少し怒ってみせる秋守の顔を覗き込んで亜結は明るい笑顔を向けた。
「よせよ、怒れなくなるだろ」
言葉と裏腹に秋守の顔から笑顔がこぼれる。
「傘持ってきましたか?」
「傘?」
「午後から雨の予報ですよ」
お天気お姉さんみたいな口調の亜結に秋守が苦笑する。
「亜結が持ってるなら一緒に帰ろう。それなら一本で足りる。だろ?」
秋守の提案にそうかと亜結はうなずいた。
(これは、俗に言う相合い傘ってやつ?)
小学生の頃の可愛い思い出以来のシチュエーション。想像した亜結は少し恥ずかしくてうつむいた。
「でも、折り畳み傘は小さいから濡れちゃうかな。取りに戻りましょうか」
戻りかける亜結の肩に秋守が手を回す。
「こうしてくっついて入ればいい」
頭の上から降る秋守の声が心地よくて気恥ずかしい。それでも亜結は顔を上げて秋守に笑顔を向けた。
(大丈夫と言われても信じられないなら、楽しい顔を先輩に見てもらおう。私に不安なことはありません。幸せだから心配しないで)
秋守の腕からぱっと抜け出して亜結は坂を走り出す。
「先に駅に着いた方が勝ち! コーヒーおごってもらおうっと」
呆気にとられた秋守も走り出す。
「くっそ、先月まで高校生だったやつは朝から元気かよ」
午後の天気を想像させる雲の多い空から朝日がまだらに道を照らす。
走る亜結の足元を、散った桜の花びらが舞い上がって風に飛ばされて行った。
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