第35話 レインの夢を覗きますか?▼
【レイン 転生前】
僕は山の中で暖かい日差しを身体に受けていた。
まだ傷が痛む。ノエルは僕に包帯を巻いてくれていたけれど、僕の鋭い鱗で包帯はすぐにボロボロになってしまっていた。
塗り薬が身体に沁みてズキズキするのを僕は独りで山の中、穴の中で堪えていた。
――痛くて眠れない……独りは心細い……
そんな中、僕は魔女の気配を感じて気配のする方を向いた。その気配は魔女と魔族の混血、ノエルの気配に間違いない。
期待しながら近づいてくるのを待っていると、案の定、真っ赤な髪、真っ赤な瞳の混血の魔女――――ノエルが僕を見つけて近づいてきた。
僕はノエルの姿を見て嬉しくなり、痛む身体も気にせずに羽ばたいてノエルに飛びついた。
「ノエルー!」
「うわっ……びっくりした。もう、レイン。まだ羽ばたいたら駄目だって言ってるでしょ?」
「ノエル、遊んで遊んで!」
バタバタとノエルにしがみつくと、僕が落ちないように腕を回してくれて抱き留めてくれた。
僕はそれが大好きだった。ノエルに抱きしめてもらえると安心する。
僕の身体の鋭い鱗でノエルの腕に傷がついてしまうのは分かっていても、まだ幼かった僕はノエルに抱き留めてもらうことの方が優先していた。
「まだ安静にしてないと駄目なのに……包帯換えるから、ちょっと動かないで」
「はーい」
手慣れた手つきでノエルは僕の身体の包帯を取っていく。傷の状態を確認しながら新たに僕に塗り薬を塗った。
その傷薬が沁みるので痛くて僕は身体を
「痛いよノエル」
「ごめんね、でも早く直さないとレインを異界に送ってあげられないから。もう少し良くなれば空間移動の負荷に耐えられるようになるから」
僕は元々ノエルと別の世界に住んでいた。でも、魔女にもう一つの世界――――異界から召喚されてノエルのいる世界に来た。
魔女に召喚されて囚われ、実験されていたところを命からがら逃げて、そしてこの場所でノエルと出会った。
そこは山の中で、少し下っていくと町があり、そこにノエルは住んでいた。
僕は人間に見つかるわけにはいかなかったので、山の中で人間に見つからないように身を隠しながら傷を癒していた。
「ぼくはまだ帰りたくない。ノエルともっと一緒にいたいよ」
「でも、こっちにずっといることはできないし。どんどん弱って行っちゃうと思うよ。そうしたら本当に異界に帰れなくなっちゃう」
ノエルは新しい包帯を僕の身体に巻いてくれた。
「異界に帰ったら、もうノエルと会えなくなっちゃうの?」
「うーん……そうかもね」
「それはやだ!」
僕が駄々をこねると、ノエルは困った顔をして僕の方を見た。
「でも、僕はレインに死んでほしくないな」
「ぼく、死なないよ?」
「前にも言ったでしょ? 異界の魔族がこっちにいると、身体がボロボロになっちゃうって。だからこっちに長くはいられないんだよって」
「龍族は高位魔族だから平気だよ」
「レイン……家族に会いたいでしょう?」
「会いたいよ。でも……ノエルと離れたくない」
最初は、ノエルも僕に酷いことをした魔女と同じだと思っていた。
魔女なんてみんな同じ、みんな僕に酷いことをする。そう思っていたけど、ノエルは違った。
僕の命を救ってくれたし、僕の折れた翼を治療してくれた。人間からも守ってくれている。
ずっとこっちに来てから独りで心細かったけど、ノエルに出会って僕は縋るようにノエルに依存するようになった。周りは敵だらけだと思っていたから、心を許せる相手に出会えたことが嬉しかったんだ。
「いつかは離れないといけないよ。いいね?」
「…………ねぇ、何して遊ぶ?」
その話をしたくなかった僕は、話を逸らした。ノエルも僕がその話をしたくないのだと察してくれて、僕の話に合わせてくれた。やっぱりノエルは優しい。
「あんまり遊びは詳しくないんだけど、龍族って何をして遊ぶの?」
「虫を滅ぼしたりとか、辺り一帯を焼き尽くしたりとか?」
「あー……そういうのは駄目だね」
「えー、面白いのに」
「魔術は使ったら駄目。激しい運動もまだ駄目。じゃあ、そうだな……ちょっと山の中を一緒に話しながら散歩しようか。遊びじゃなくて申し訳ないけど」
「うん。それでもいいよ!」
「見つかったらマズイから、僕の持ってる籠の中に入っててね」
僕はノエルの持っていた籠の中に入った。ノエルは僕の入っている籠を背負ってゆっくりと歩き出す。
籠から少し顔を出すと、ノエルの真っ赤な長い髪だけが見える。
「ねぇ、ぼくの身体が治ったらもっと遊んでくれる?」
「異界に帰る前に少しだけなら」
「少しじゃなくていっぱい遊びたい!」
「でも、この辺りで目立つような遊びはできないよ。僕も魔女だってことは隠して生活してるから、町の人に魔女だってバレるわけにはいかないし」
「じゃあ別のところへ行こう?」
そう言うと、ノエルは少し沈黙した後に重々しい口調で返事をした。
「…………僕は、この町から離れられないから。魔女に追われてる身だから、魔女除けの張ってあるこの町から出られないし。レインも魔女に見つかりたくないでしょ? それに大切な人がいるって前話したよね。身体が悪くてさ。すごく心配だから、あまり家を空けたくないんだ」
「もう。ノエルはダメダメばっかり」
僕が拗ねたように言うと、ノエルは苦笑いをする。
「ははは、ごめん。でも、僕はレインに初めて会ったときは魔族だったしびっくりしたけど、会えて良かったなって思うよ」
「どうして?」
「僕は、生まれてからずっと身を隠しながら、自分を偽りながら生きてるから、こうやって素直な気持ちで嘘をつかずに話せる相手ってレイン以外にいないんだよね。だからこうやって話が出来て嬉しいよ」
「本当? ぼくと話せて嬉しい?」
「うん」
ノエルにそう言ってもらえて、僕は嬉しかった。
ずっとこうしていたかった。こうしていられるなら、僕は身体が良くならなくても良いとすら思っていた。
「ノエルは半分魔族なんだし、ぼくと一緒に異界に行こうよ。向こうなら派手に遊んでも良いでしょ?」
「半分は魔族だけど、向こうって過酷な世界なんでしょ? 僕は……大丈夫なのかな?」
「大丈夫だよ! 駄目だったらすぐ帰ってくればいいし」
「でも、それ以前に魔族と魔女にはかなりの遺恨があるから、僕が異界に行ったらすぐに殺されることになりそうだけど……」
「ぼくがノエルを守ってあげる!」
「そう? 頼もしいなレインは」
そんな話をしながら、僕らは山の中を歩いた。長い間は一緒にいてくれなかったけど、それでも僕は楽しかった。
真っ赤な髪と、時折僕の方を振り返ったときに見える赤い瞳を鮮明に覚えている。
◆◆◆
【レイン 現在】
僕はハッと身体を起こした。
周りは暗い森で、近くにたき火が見える。探すように辺りを見渡すと、魔王と、その家来たちがウールという魔族の上に横たわって眠っていた。
僕の下にもウールがいて眠っている。
――夢か……
首にかかっている白い羽を僕は見つめた。
――ノエルはいないんだ……
最後に見たノエルの悲しそうな顔を今でも覚えている。
あのとき、どうして僕は引き留めなかったんだろう。
あのとき、どうして僕は何も知らなかったんだろう。
それを何十回も、何百回も考えた。何度後悔しても、それがいつになっても昇華されることはない。ずっとずっと後悔している。
ノエルに全て背負わせてしまったこと。
――この世界にいるのかな。僕のこと、憶えているかな? 憶えてなくても、幸せになってくれてたらいいな……でも、今は魔族と人間が争ってるから、もしいるとしたら心配だな……ノエルは強いから、大丈夫なのかな……?
いや、そんなことない。
ノエルは確かに魔術の才はずば抜けてたけど、心は普通の女の子だった。
凄く悩んで、苦しんで、一生懸命生きようとしていた。
強い力があったからノエルは幸せになれなかった。
強い力があったからみんながノエルを利用しようとした。
――許せない……
僕はそれを思い出すと、どうしようもなく殺気立ってしまう。
誰も、もう誰にもノエルを利用させない。
――僕がノエルを守るんだ
僕の下にいたウールは僕の殺気を察知したのか、目を覚まして僕を振り落として逃げて行ってしまった。
その逃げていく音で魔王が目を覚まし、まだ殺気を放っている僕に気づいてこっちを向く。
「……どうした?」
「別に。ちょっと昔のことを思い出してムカついてるだけ」
「悪い夢でも見たのか?」
「……違う。すごくいい夢だったよ」
「なら、なぜそう殺気立っているのだ」
この憤りや憎しみを、一言では説明できない。
文字通り、住んでいる世界が違うんだ。僕の価値観が、この世界の魔王に通じるとも思っていない。それでも、僕はまとまらない考えのまま魔王に話し出した。
「ノエルを犠牲にした上に立ってる幸せなんて全部滅びればいいと思うんだ。ノエルはそんなふうに利用されていい存在じゃなかった。優しくて、温かくて、綺麗だったのに…………」
とりとめのない言葉で、ぽつりぽつりと話をする。
「そうか。余程大切だったのだな」
「うん……会いたいよ……」
会えば、また僕はノエルに抱き着くだろう。僕の身体の鋭い鱗や爪でノエルが少し怪我をしてしまうだろうけど、それでも僕は堪え切れないと思う。
「会ってどうするつもりだ。お前のことを憶えているとも限らないぞ。この世界にいるかどうかも分からないしな」
「……ずっと我慢してたけど“お前”って言うな。僕はレインだ」
「名前は知っている」
「そうじゃなくて。元いた世界では、下位の魔族には名前がなかったの。だから名前で呼ばれない魔族は下位の魔族だって風習があったんだ。だから“お前”とか言われるとムカつくんだよね」
「ほう。そうなのか。それは知らなかった。気を付けよう」
僕は転生前の「名前で呼ばれないのは下級魔族」という感覚が強かったので、魔王が僕のことを「お前」という言い方をしたことが癇に障った。というよりも、ずっと「お前」と言われるたびに小さな苛立ちを抱えていたが、僕は別世界の常識は僕のいた世界の常識とは違うと分かっていたからずっと黙っていた。
だが、やはり我慢できない。
認めていない相手の名前を呼ばない。その風習が僕は抜けきれなかった。
「……ノエルが僕のことを憶えてなくてもいいんだ。でも、ノエルをまたいじめる奴がいたら、僕がそいつを滅ぼす。ノエルをいじめる奴がいなくなるまで滅ぼしつくすんだ」
「それをノエルとやらは望むのか?」
「優しい者が搾取され続けるのは変だと思う。ノエルが望んでいなくても、僕はノエルをいじめるやつは許さない。世界を滅ぼしてでもノエルを守る」
どれだけノエルが人間や魔族を大切に思っていても、ノエルを大切に思っていない者なんてなくなってしまえばいい。
僕がノエルを守ると言った。だから僕はその約束を実行する。
「そう考えているなら、最後まで迷うな」
魔王は、てっきり僕のことを諭してくると思ったけれど、僕の背中を押した。
「どういうこと?」
「中途半端にすると後悔することになる。自分がそう決めた信念を貫くのなら、相応の覚悟が必要だということだ。信念をもってそれをするというのなら、私や他の者と対立しても貫き通せ」
「言われなくてもそうするよ。僕は魔王の味方なんじゃなくて、ノエルの味方だってことは覚えておいてよね」
僕らがそう話をしていると、ウールの上ではなく枯れ葉の上に眠っている男が苦しそうに寝言を言った。
「うーん……メギド……もう……水……かけないで……うぅ……」
苦しそうにもがきながら、男は悪夢から逃れようと首を何度か左右に振った。
どうやら魔王にいつも通り水をかけられている夢を見ているらしい。解りやすい寝言だ。
「夢の中まで虐げられてるみたいだね」
「ウールに嫌われているのだろう。悪夢を見ているようだな」
魔王は男を呆れたような表情で見つめている。魔法を発動させて手頃な水の球を作り、男に向かって投げようかどうか考えてるようだ。
「ねぇ、なんでこの人間だけ虐げるの?」
「やかましくて、無礼で、無鉄砲で、髪飾りを作る以外は役に立たない奴だからな」
「ふーん。たまに寝る前に髪飾り作ってるの見かけるけど、ほとんど進んでないよ?」
しかし、こんな状況でも少しずつ作っていることに僕は驚いていた。長旅で疲れているはずなのに、極力寝る前に作業をしている様だった。
気の遠くなりそうな細かい作業をしていたのを憶えている。
「まったく、いつになったら家来としての仕事を果たすやら……」
「でもさ、なんだかんだ言うけど、魔王はこの人間のこと嫌いじゃないっていうのは分かるよ」
「ほう。興味深い推測だな」
「別に、僕にとってはどうでもいいけど。もう一回寝るよ。おやすみ」
「あぁ」
僕はウールが逃げてしまったので、適当な枯れ葉の寝床を見つけてその上に横たわった。
もう一度眠るのが怖かった。
またノエルの夢を見たらどうしようと思うと落ち着かない気持ちになる。
――せめて、夢の中で会うノエルには笑っていてほしい
もう二度と悲しい思いはさせない。
羽を握りしめ、再び僕は目を閉じた。
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