第16話 貴族の天秤と、仕返し要求


 たとえモンテガーノ侯爵家との交友が無くとも、オルトガン伯爵家の社交に大きな問題は無い。

 しかし両家を敵に回せばそれ以降の社交がやり難くなるのも、また事実である。


 そうなれば、面倒を被るのは何も家族だけではない。

 下手をすると領地や領民に対してマイナスになる可能性さえある。

 そう考えると。


(少し気に食わないし、腹も立つ。でも……此処は穏便に済ませた方が無難よね)


 己の私情を廃し、それぞれのメリットとデメリットを即座に天秤に掛けて、そんな判断を下した。


 そしてセシリアは、視線を落とし小さく息を吐く。


 勿論未だにきちんと社交の仮面を被ったままではあったが、おそらくクレアリンゼとレレナにはその心情が読み取れたのだろう。


 レレナの表情には確かな満足感が感じ取れる。


 

 モンテガーノ侯爵の『提案』は、実際にソレを実行するセシリアとクラウンの演技力に掛かっている。


 例え侯爵のプラン通りに言葉選びをしたとしても、計画をぶち壊す事は態度や言い方一つでいくらでも簡単に出来る。

 それが分からないレレナではない。


 つまり、今回の『和解』にはセシリアの納得と協力が必要不可欠なのだ。



 セシリアは「口だけ上手く言って今を乗り切り、本番で全てを台無しにしてやろう」等というタイプの子では決して無い。

 この短いやり取りの中で得たその直感に、レレナは接待に信用を持っていた。


 だから彼女は「どんな形であれ彼女を納得させられて良かった」と、レレナは内心でほくそ笑んだのである。




 対してクレアリンゼは、綺麗な社交の笑みで顔を彩っていた。


 その笑みに込められたのは、『ただ静かに見守ろう』という思いだ。



 ヴォルド公爵といい、モンテガーノ侯爵といい、言動の端々にとても腹立たしい感情が見え隠れしているけれど。


 そして今の事態の解決には、この誘いに乗らない方法が、存在するけれど。


(でも)


 出したくなる口を、クレアリンゼはすんでの所で引っ込める。



 当事者の意志に任せる。

 そう言ったのは、クレアリンゼ自身である。


 その言葉を違えるという事は、娘の能力を信じていない事と同義だ。

 そしてセシリアならば、その事実に気づいてしまうだろう。

 それほどまでに、彼女は頭がいい。



 しかし、だからこそ思うのだ。


(おそらくセシリアは、その選択肢の存在に気付いている。それでも、彼女が「これで良い」と納得したのなら)


 そこを敢えて遮る必要な無いのである。

 そう、クレアリンゼにとってこれは、セシリアに施す教育の一環なのだ。



 だから。


(この先、どう振る舞うのか。今後の経過を観察しましょう)


 余裕を持ってそう思えていた。


 

 しかし。


 (今回の事について、確かに私は「セシリアに全て任せる」と言ったけど、それはあくまでも『判断を』ですものね)


 この状況の全てに納得できる程、クレアリンゼは寛容では無いのである。


「なに、そんなに難しく考える必要は無い。君はただ――」

「モンテガーノ侯爵」

「……なんだね?」


 話を遮られたモンテガーノ侯爵は、声のトーンを一段階落としながらクレアリンゼに目をやった。


 不機嫌だ。

 そう言いたげな視線に、しかしクレアリンゼは対照的な微笑みを浮かべる。


「先日のドレスを汚された件について、セシリアはまだ一度も直接の謝罪を受けておりません」


 セシリアの「和解を受け入れる」という言葉に甘えて謝罪をなぁなぁにしようとしているが、そうはいかない。

 こちらに脅し混じりの譲歩を求めるのなら、その前にする事があるだろう。


 クレアリンゼは、暗にそう彼を言葉で刺す。



 クレアリンゼにとって、現状の中で最も癇に障っていたのがこの事だったのだ。



 ドレスを汚した事が故意か過失か。

 それについては、この際触れないでおこう。


 しかし事実として、あちらはドレスを汚したのだ。

 『和解』をするのなら、一言面と向かっての謝罪があって然るべきである。




 クレアリンゼの言葉に、侯爵の顔が嫌そうに歪んだ。


 プライドの高い彼の事だ。

 おそらく謝罪の言葉を言葉にするのが嫌なのだろう。

 それが、自分よりも下の爵位の者に対してならば、尚更。


 


 彼は数秒間、苦渋の表情を浮かべていた。

 しかし、ついに重い口を開く。


「……ほら、クラウン。きちんと謝罪しなさい」


 数秒の沈黙間に、彼は「親の自分が先だって謝罪する」という選択肢を捨てた。


 家長として、息子の失態を代わりに謝る。

 当主という彼の立場ならば、そういう選択だって出来たにも関わらず、だ。



 それは、親としてならば未だしも、貴族としては、取ったところで大した問題のない手段ではあった。


 これがもし次期当主となる長子だったら、また話は別だっただろう。

 しかし第二子息であるクラウンの粗相に関しては、その縛りは発生し得ない。

 

 個人が個人に謝罪する、それだけで事足りる。



 しかし侯爵にはこの時、残念ながら見えていなかったのだ。

 自分の息子の様子が。




 父の言葉を受けたクラウンは――酷く嫌そうな表情を浮かべた。


 まるで「自分に非なんて一ミリも存在しないのに、何故」とでも思っている様な表情だ。

 それどころか、セシリアを鋭く睨み付けさえいた。


 しかし、歯噛みはしても父の言葉には逆らえないのか。

 数秒の沈黙後、彼は不服が渦巻く表情のままで口を開く。


「悪かっ――」


 その時だった。


「謝罪は不要です」


 微笑を湛えた柔らかい拒絶の言葉が、クラウンの謝罪を途中で遮った。

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