第19話 貴方ならば、どうするか ★

 


「マルクさん」


 マルクの仕事の合間を縫って、ゼルゼンは彼の元を訪れていた。

 彼の声に振り返ったマルクはゼルゼンを視界に収めると「おや珍しい」という表情を浮かべる。


「どうしましたか?ゼルゼン」

「少しお伺いしたい事がありまして、今お時間宜しいでしょうか」


 そう問いかけてくる彼の目を、マルクは数秒間観察する。


(ふむ、どうやら敢えて私の手が空きやすい時間帯を狙って来様ですね。それほどまでに重要な事、ですか)


 真剣なその瞳からそんな風に察して、マルクはニコリと微笑む。


「良いですよ」


 そう言って、一旦仕事の手を一旦止めて彼と向き合った。




 マルクにとってのゼルゼンは、所謂『教え子』にあたる。


 オルトガン伯爵家の筆頭執事として得た知識やスキル、そして心構え。

 それらをゼルゼンに叩き込んだのが、彼だ。



 彼が今までに教鞭を振るったのは、キリル付きの執事・ロマナを入れたたったの2人だけである。


 そもそも筆頭執事という仕事が多忙なのだ。

 その合間に教えるのだから、多くの者に指導する時間はない。

 そしてそれ以上に、「その手前を割いてでも」と彼に思わせる事ができる若者は早々居ない。



 そのハードルを超えたのが、今までに2人だけだった。


 そういう事である。




 マルクがゼルゼンに教鞭を振るっていたのは、この秋までである。


 セシリアの社交界デビューに追従すると決まって以降は、ゼルゼンに対して指導と呼べる事は何もしていない。

 ゼルゼンの実力は既に合格ラインに届いていたし、彼自身、主人に追従するという事で通常業務以外にも色々と忙しくしていた。


 そしてそれに比例して、二人が会う頻度は減っていった。

 最近ではもう、仕事途中にたまたま姿を見る程度のものだったのだが。


(それがわざわざ足を運んだという事は、何か教えを乞いたい事でもあったのか)


 そんな風に予想を立てる。

 すると案の定、彼はこんな話を切り出した。


「先日の、セシリア様の社交界デビュー時の事についてなのですが」

「――あぁ、なるほど。聞きたいのは『どう対処すれば正解だったのか』という事でしょうか」


 話のさわりを聞いた。

 たったそれだけで、彼が何を気にしているのかが手にとる様に分かった。


 というのは、もしも自分が彼の立場だったなら、その部分が気になっただろうからである。



 そしてそれは図星だったようだ。

 「思わず」といった感じの苦笑が、マルクへと返される。


「……セシリア様のドレスが汚された、あの時。私はあの場所に、セシリア様のすぐ傍に居ました」


 それは報告を受けて、マルクも知っている。

 無言のまま目だけで頷くと、彼は少し悔しそうに顔を歪めた。


「しかし、セシリア様のドレスが汚されるのを回避する事が出来ませんでした」


 彼はそこまで言うと、ゆっくりと目を伏せる。



 その件については、勿論ゼルゼンからも報告があったが、ポーラからも報告を受けていた。


 だから知っている。

 その子息が汚した側は、使用人の控え位置からは丁度死角になっていた事を。


 

 しかしそれでも、ゼルゼンは後悔を吐く。


「……私は、事前にクラウン様が『おかしな行動』をする可能性に触れていました。にも関わらず、彼の行動を予測出来ず、セシリア様のへの『粗相』を許してしまった」


 これは、一種の懺悔だった。


 しかしただの懺悔では無い。

 自分の停滞を許さない、更なる高みを目指す者の懺悔だった。


 そしてそんな高い向上心を持つ人間を、マルクが好まない筈がない。


「貴方の言う『おかしな行動』というのは、以前の報告にあった『クラウン様とエドガー様の会話について』の事でしょうか」


 まずは彼の言葉を紐解くべく、確認の言葉を発する。


「そうです。私はその不穏な会話を聞いていました。それなのに、クラウン様が近付いてきたあの時。……私は警戒を怠りました」


 状況を回避する為の情報は、確かに自分の手のひらの上に乗っていた。

 それなのに、それを上手く活かす事ができなかった。


 その結果、主人が被った不利益を彼は後悔しているのだ。


「もしも私があの時きちんと警戒出来ていれば、ドレスが汚れるような結果にはならなかったかもしれません」


 そこに居るだけならば、ただの木偶の坊と同じだ。

 付き人の意味がない。


 彼はそう、先日の自分を吐き捨てる。

 そして、こんな不安も口にした。


「……もしもあの方が手に持っていたのが、ジュースでは無く刃物の類だったら……取り返しが付きません」


 そう言って、自責の念に堪える様にギュッと拳を握り込む。



 そんな彼を、マルクはまず冷静に、且つ客観的に考える。



 もしもクラウンが持っていたのが凶器だったなら。

 それはある意味、的外れな危惧だろう。


 何故なら、それはあの場を警備していた王城所属の騎士達の領分なのだから。


 しかし。


(付き人である以上に、主人を様々なモノから守りたい。そう思う気持ちは、執事として間違っていはいない)


 だからこそ『執事としての闘い方』を少し教えてやる必要があるだろう。


「明日。セシリア様がデビュー以降、初の社交に参加されます。その際に同じ轍を踏むわけにはいきません」


 彼はそう言うと、強い目を向けてきた。

 そして「だから」と芯のある声で言葉を紡ぐ。


「……私はあの時どう行動すれば正しかったのか、マルクさんならあの場でどのように動いたのか。教えてください、マルクさん」


 その声は、ただひたすらに真摯だった。


 そんな彼に育ってくれた事を、マルクは内心で喜んだ。

 しかしそれは心の内だけだ。


 何故なら、今彼が求めているのは賞賛や慰めの言葉なんかじゃない。

 先に進む為の力なのだから。


「良いでしょう」


 教師の目で、マルクが答えた。


 すると、彼も途端に教えを乞う生徒の目になる。

 そんな彼に、「とは言っても」とマルクが柔らかい口調で言った。


「殊対人に於いて、その対処方法に明確な正解は存在しません。常に『臨機応変である事』が大切です。

その上で、『もしも私が当時の状況に置かれたら』をお教えしましょう」


 そう一旦前置いてから、口を開く。


「まず、彼が近付いてきた時点で手近のトレイを持ち、セシリア様をガードする様にさりげなく移動します」


 言いながら、手近にあった銀のトレイを手に取った。

 そして「セシリア様がここにいらっしゃるとして」という過程を立てて身のこなしをゼルゼンに見せる。


「そして、彼を常に視界の端に留めます。ほんの些細な行動も見逃さない様に注意しましょう。そして彼が行動に出た瞬間に……」


 そう言って、素早く仮想敵と仮想主人の間へと、トレイを挟み込む。


「この様に、持っていたトレイを素早く滑り込ませて壁にするのです」


 たったそれだけです。


 にこりと微笑みながらそう言うと、マルクはトレイを元の場所へと戻した。



 一方、ゼルゼンは顎に手を当てて少し考え込む。

 そして咀嚼するようにゆっくりと言葉を紡いだ。


「そうして壁を作れは、少なくとも大きなシミがドレスに付いてしまう事は無い。もしもそれで全ての飛沫をカバーしきれなかったとしても、小さなシミなら染み抜きは比較的容易だ。パーティーを途中で切り上げる必要はなくなる……」

「えぇ、上出来です」


 ゼルゼンの分析に、マルクは一度合格点をやる。

 そしてその上で「しかし」と言葉を続けた。


「幾ら最初から怪しいとはいっても、前科が無い相手に対して必要以上に警戒する事は失礼に当たります。だから、全ては『そうと悟られない様に振る舞う事』。分かりましたね?」


 マルクのその言葉に、ゼルゼンは真面目顔で頷いた。



 そんな彼を数秒間、マルクは筆頭執事の顔で眺めた。

 そしてその後、マルクはフッと表情を崩す。


「最初の公の場にしては、貴方は終始上手く振る舞えていましたよ。合格点には十分です。貴方に足りないのは経験です。しかしそれは今のまま重ねていけば大丈夫です」


 今回の様に、きちんと自分の行動を振り返り、反省する事が出来るのなら。

 そう言って、彼は優しく微笑む。


 そしてゼルゼンの頭をポンポンと撫でてやった。


 それは、一使用人としての範囲を超えた『一対の師弟の姿』だった。




 ゼルゼンがセシリア付きを目指すと公言してから、約6年。


 それだけの時間、マルクはゼルゼンに教鞭を振るった。

 その間、ずっと彼の成長を見守ってきたのだ。

 情が移っていないなんて事、ある筈がない。



 マルクにしては珍しい、職務時間中に垣間見せた素笑顔。

 それを普段は滅多に言わない賛辞と共に送られて、ゼルゼンは……分かりやすく照れた。


「いや、あの……そんなグリグリしないで下さいよっ」


 恥ずかしさに耳を赤くして、上目遣いで言ったその声に、マルクは「大きくなったとはいえ、まだまだ子供だな」なんて思ったのだった。

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