第2話 社交界、最初の挨拶は

 


 会場へと足を踏み入れたセシリアは、まず会場内の人の多さに驚いた。


 会場も大きいのだが、それ以上に貴族達を始めとして、他にも王城勤務の使用人が食事や飲み物を用意していたり、貴族が連れてきた使用人たちが主人の世話をしていたり。

 そんな姿が随所に見られる。



 中でも目立ったのが、使用人が何やら主人に耳打ちをする姿だ。


(何だろう?)


 一瞬だけそう思い、しかしすぐにその原因に気付く。


 耳打ちされた貴族たちのほどんとの目が、こちらに視線を向けたのだ。

 おそらくあれは、有力貴族の入場を主人に教えていたのだろう。


 しかし、それにしても注目されすぎな気がするのは気のせいか。

 現に少し間を開けて、他家が入場してきてているのに、ほとんどの視線がこちらに突き刺さっている。


 その原因が分からなくて疑問を抱いていると、その雰囲気を察したマリーシアがこっそりと耳打ちしてくれた。


「オルトガン伯爵家が3大伯爵家と言われている話は、先程馬車でしたでしょう?」


 その、たった一言。

 それだけでのセシリアの中の疑問が氷解する。


「つまり今視線を向けてきている方達は、みんな我が家に対して何らかの渡りを付けたい者達という事なのですね?」


 確認する様な声色でそう聞き返せば、マリーシアが「その通りです」と優しく頷いてくれた。


 するとセシリアの言を裏付けるかの様に、丁度こんな声が漏れ聞こえてくる。


「さて、いつ挨拶に行くか。出来ればあちらが全員揃っている時にしたいものだが……」

「少しでも会話が弾めば、今年の社交が幾分かやりやすくなる。勝負所だぞ」


 それは周りから我が家が如何に高く見られているかの証明だ。

 しかし同時に面倒そうな香りがする。


(最初だし、なるべく多くの方と顔つなぎをすべきなんだろうけど……。正直『面倒』ね)


 そう思わずにはいられない。



 しかし聞こえてきた声は、それだけではなかった。


「ほぉ、あれがオルトガン伯爵の――」

「あぁ、キリル様やマリーシア様の時も思ったが、オルトガン伯爵夫人に似て――」


 ヒソヒソと囁かれるそれらの声は、語尾がよく聞こえないものの、どうやらセシリアの事について話している様である。


 それと同時に、セシリアには値踏みの視線が向けられた。


 それは少し不快で。

 しかしそれを外面に出すようなヘマは、オルトガン伯爵家の名にかけて絶対にしない。


 その為、心中で顰めた顔とは裏腹に社交の仮面を一層深く被りなおす。


 すると今度はキリルが耳打ちしてきた。


「鬱陶しいよね、ホント。ウチはどうやら目立つみたいで、僕の時もマリーの時も、何かと注目された」


 向けられた視線には、労りの情が見て取れる。


 しかしそんなに心配しないでほしい。

 兄姉が我慢したのだ。

 セシリアだって頑張って我慢する。


「……まぁうちは他家とは違って社交界デビューまでは、顔を知る機会さえ無いからね。皆きっと珍しがってるんだよ」


 そう言った彼の声は、紛れもなく辟易していた。


 しかし流石はクレアリンゼの血を引いているだけはある。

 そんな感情はお首にも出さない表情でセシリアの前を歩いていた。


(きっと周りは、まさかこんな声で話をしてるだなんておもっていなんだろうな)


 ふとそんな事を思えば、少し可笑しくなってきた。

 まるで悪戯の成功を自分たちが知っているかの様な、そんな心持ちだ。


「セシリー、何で笑ってるの?」


 キリルにそんな疑問を投げかけられたのでその理由を素直に答えると、彼はすんなりと納得した後で「確かに、そう考えると気分は良いね」なんて言いながらクスクスと笑った。




 そうこうしている内に、オルトガン伯爵家一行は最初の目的地へと到着する。


「お久しぶりです、グーメルン伯爵」


 ワルターがそう声を掛けると、一人の男が振り返った。

 そしてこちらの正体に気が付くと、すぐに破顔する。


「おぉ! オルトガン伯爵、元気かね?」


 喜色を孕んだその声に、つい今までグーメルン伯爵の話し相手は無言のままに身を引いた。

 そうやって、ワルターに話し相手を譲る。



 貴族同士の社交場では、どんなに爵位の差があれども総じてタブーとされる事と、互いの爵位差によってその解釈が変わるものが存在する。


 話し相手に関しては『より爵位の低い者がその座を譲る』というのが常識だ。

 そして実際に、よく見る光景でもある。


 勿論例外もあるが、その条件は「割り込んできた相手が同席を許容すれば」という物だ。


 しかしワルターは、先に居た彼を視界にさえ入れていなかった。

 身を引いたのは英断だろう。


「はい、おかげさまで。グーメルン伯爵もご健勝なようで何よりです」


 ワルターは笑顔で言いながら、グーメルン伯爵と硬く握手を交わす。


 そんな二人の様子を眺めながら、セシリアは目の前の男の基本情報を脳内から洗い出していた。




 ――グーメルン伯爵。

 国の西に位置する、リンゴが名産の領地を下賜された貴族。


 今日の午前に聞いたばかりの、父の『やらかし』でも出てきた名であり、祖父のたった一人の友人。 

 そしてつい先程先行していた馬車も、彼の物だった筈である。



 祖父の友人というだけあって、彼は確かにワルターたちよりも1世代高齢に見える。


 そんな彼が次に視線を向けたのは、クレアリンゼだ。


「夫人もお元気そうだな。相変わらずお美しい」

「あら伯爵ったら、今日もお上手ですこと」


 賞賛を向けたその声に、クレアリンゼがコロコロと笑いながら応じる。

 すると今度はキリルとマリーシアが、それぞれ口を開いた。


「グーメルン伯爵、お久しぶりです」

「こんにちは、グーメルン伯爵」

「おぉ、キリル殿にマリーシア嬢。2人共、この1年でまた一回り大きくなったのではないか?」


 彼は2人の肩をポンポンと叩きながらそう言った。

 向けられた視線は、まるで自分でも孫を見るかのように柔らかく優しげだ。


 そんな視線を向けられて、兄姉の方も何だかとっても嬉しそうである。



 そうやってひとしきりの挨拶を済ませたところで、やっとグーメルン伯爵の意識がセシリアへと向いた。


「おや、もしかしてこの子は――」

「初めまして、グーメルン伯爵。オルトガン伯爵が第三子、セシリアと申します」


 彼の声に、セシリアは正式な貴族の礼を取った。

 

 先程までの両家の気安さを見る限りでは少し畏まりすぎている様な気がしないでもないが、最初は肝心だ。

 一度くらいはこういう堅苦しい儀式もきちんとしておくべきだろう。

 


 セシリアの正式な振る舞いに、彼はすぐに乗ってくれた。

 姿勢を正して綺麗にお辞儀をし、礼儀正しい挨拶を返してくれる。


「初めまして、セシリア嬢。私はグーメルン伯爵家当主、ノスタージ・グーメルンと申します」


 彼はそう告げてゆっくり3秒間ほど礼を維持すると、姿勢を元に戻してセシリアに向けて爽やかに笑いかけてきてくれる。


「セシリア嬢、会えて光栄だ。君の話はワルターから予々(かねがね)。しかしもう社交界デビューの年になったのか、早いものだなぁ」


 そう言うと、彼はやはりキリルやマリーシアにしたのと同じように、セシリアの肩をポンポンと叩く。


「君のお爺様と私は学生時代からの旧友でね、その縁で君のご両親の事は我が子同然に、その子供達は孫同然に仲良くさせてもらっている。君に対してもそうありたいと思っているよ」


 その物言いは、実に紳士だった。


 何が良いって、相手に強制する気が無い所である。

 きっとこの人は、「人付き合いとは何たるか」を正しく理解している人なのだろう。


 それはとても好感の持てる振る舞いだ。

 お陰でセシリアも、兄姉同様に嬉しそうに笑う。



(みんなの反応を見ても、彼を警戒する様子は無いし、彼自身、「子供だから」と侮らずに、きちんと礼を返してくれた)


 きっと彼は差別をしない。


 相手を不快にさせない距離を保つ事に長けた人物。

 セシリアは彼を、そう評価した。



 そしてそんな相手ならば「是非とも仲良くしたい」とも思う。

 

 セシリアは、今日が社交界進出の初日である。

 そんな中、社交に関して家族以外に熟練した経験を持つ『味方』が出来るという事は、セシリアにとってとても心強い事でもある。

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