社交界デビューする。

第1話 大丈夫

 


 王城の前。

 夕闇の中、最初に王城へと降りたったのはキリルだった。


 つい先程まで浮かべていたほのほのとした笑みは、既にそこには無い。

 しかしその柔らかい印象は失わずその一方で凛とした雰囲気を醸し出した彼は、既に次期当主としての貫禄が出始めたといっても過言ではないだろう。


 彼は颯爽と降りると、先に降車していた専属執事・ロマナと何やら2人で会話しながら慣れた様子で王城内に向かって歩いていく。



 その次に降りたのはマリーシアだ。


 別の馬車に乗っていた執事が、彼女の降車に伴い手を差し出した。


 すると彼女は車内に残る妹に一度軽く目配せをしてからそこに手を重ね、馬車から降りていく。


 おそらく「先にやるからちゃんと見てるのよ」という事なのだろう。


 セシリアは、知識としては降車の手順を知っていた。

 練習だって、何度かしている。

 しかし公の場で、本番用のドレスを身に纏って降車するのは、今日が初めてだった。


(マリーお姉様、きっとそれを気にしてくださっているのね)


 そうと気付いて、その好意に素直に甘える事にする。

 


 手の指先から背筋、足運びに至るまで。

 マリーシアのそれは完璧だった。

 そのお陰か、彼女の周りにはさながら一国の姫の様な気品が漂っている。



 そうこうしている内に、姉の降車が終わった。

 ついにセシリアの番である。



 一般的に、公の場での女性の馬車への乗り降りは、男性に手を貸してもらうのが通例だ。


 連れてきている男性使用人が居ればその者に、居なければ貴族の男性同行者に、それも居なければ御者に、手を借りる事になっている。


 そして勿論、セシリア降車を手伝うのは、彼女の専属執事・ゼルゼンだ。



 降車口へと足を進めると、彼は既に定位置に控えていた。

 すこし緊張をしているのだろうか、硬くなった表情のまま口を開く。


「セシリア様、足元お気を付けください」


 TPOを弁えて、今の彼は敬語モードだ。

 しかし声も硬い。

 

 最初は馬の雰囲気に当てられたのかと思っていた。

 しかしその声を聞いて、すぐさま考えを修正する。


(心配してくれてるのね)


 おそらく、私が降車中に転んだりしないかを気にしているのだろう。


 そんなヘマをする筈ないじゃない。

 そう言ってやりたいのは山々だが、つい30分ほど前に『粗相』をしたばかりである。

 あまり強く出られない。


 心中で、セシリアは「むぅ」と唸った。

 しかし一方で、安堵する自分を見つける。


(ゼルゼンが隣に居てくれるなら、大丈夫)


 それは根拠のない自信。

 しかしセシリアにとっては心強い昔からの御守りだ。


 彼の世話焼き加減とフォローの絶妙さは、誰でもないセシリアが1番よく知っているのだ。

 いざとなったらどうにかしてくれるだろう。


 そう思えば、急に足取りも軽くなる。


(無意識の内に緊張していたみたいね)


 力みが取れた体で、そんな事を思う。


(まったく、出発前にゼルゼンの緊張を揶揄ったけど、これでは人の事を笑えないじゃない)


 心中で苦笑して、それから自分に喝を入れた。

 そして、今日の最大難関へと取り掛かる。



 彼が差し出した手に手を重ね、馬車のステップへと足を踏み出す。


 視線は足元ではなく、上に。

 胸を張って、姿勢良く。


 途中、ほんのわずかにヨロついた。

 しかし支えにしていた手は、きちんと彼女を支えてくれる。

 流石はゼルゼンだ。



 そうして最後のステップから足を下ろし、地面に立つ。

 

 どうやら『必殺階段踏み外し』を発動せずに済んだらしい。

 そんな自分に内心でホッと安堵の息を吐いていると、隣から似た気配を感じた。


 チラリと彼を見遣ると、執事然とした彼の瞳の奥に安堵とも苦笑とも取れる感情が揺れている。


(確かに『初めての社交パーティー、その入り口でステップを踏み外して転げ落ちる令嬢』なんて、ちょっと外聞がよろしくないものね)


 などと考えながら、セシリアが思わずクスリと笑う。

 するとゼルゼンはそんな彼女の思考を読んだのか「本当にそんな事があったら笑い事じゃ済まないぞ」と言いたげな目を向けてきた。


 他の人間には見えない位置取りをしてからセシリアにだけこっそりと投げかける辺り、「流石はマルクの英才教育を受けた人間だ」と思わなくもない。



 彼の手は、まだ握ったままだった。

 しかしもう不要だ、離さなければならない。


 彼の気遣いと温度に安堵したからこそ、ほんの少し離しがたい。

 だから最後に一度だけ、彼の手をキュッと握った。


 そして。


(……うん、大丈夫)

 

 そんな心と共に、その温もりをゆっくりと手放す。



 そんな彼女の小さな甘えに、ゼルゼンはほんの一瞬だけ驚いた顔を見せた。


 珍しい。

 目でそんな事を呟いた執事は、心配性を発動してセシリアの表情を伺い見る。


 そしてすぐに安堵の表情を浮かべた。

 そんな彼の表情が、セシリアの『大丈夫』を確信に変える。


 幼いある日。

 初めての『大仕事』に、前日特有の不安を抱いたセシリア。

 そんな1人の少女に「助けてやるから大丈夫」と言葉を掛けたのが彼だった。



 今日は、言葉は無い。

 しかし彼が変わらずそう思ってくれていることを、セシリアは既に知っている。

 それどころか使用人として成長した彼は、あの頃よりもずっとセシリアの実質的な助けになってくれるだろう。




 セシリアは一度目を伏せ、深く息を吐いた。

 そうして自分の中のスイッチをしっかりと切り替える。



 ゆっくりと瞼を上げたセシリアは、もう『伯爵令嬢』だった。


 背筋を伸ばし、貴族然とした態度でただ前だけを見据える。



 そうして足を向けるのは、既に他の同行者が向かっている大きな扉の先、城の中だ。

 彼らは既に入口付近でセシリアが来るのを待っている。



 一方、伯爵家の馬車が背中越しに走り出す。

 その馬車の一つには、護衛騎士達が乗ったままだ。


 というのも、王城内は王城の騎士たちが守っているため、外からの騎士は不要なのだ。

 彼らの仕事は、あくまでも道中の安全確保である。


 そのため、彼らとは一旦ここでお別れだ。

 彼らには別に待機所が用意されており、帰宅時まではそこで待機となるだろう。



 そんな馬車音を聞きながら、セシリアは悠然と歩く。

 そして、みんなと合流するまでの僅かな時間。

 追従するゼルゼンとポーラに小声で告げた。


「先程、馬車の中でキリルお兄様とマリーお姉様から2人の『やらかし』エピソードを聞いたんだけど、どうやら我が家名を利として寄って来る方も居れば絡んでくる方も居るみたい」


 主人からのそんな言葉に、ゼルゼンが少し身を固くする。

 ポーラはというと、まるで気にしていない様なそぶりだ。

 流石はベテラン、という事だろう。


「とりあえずお父様とお母様から直接紹介される方以外には、その全てに警戒しておいた方が良いと思う」


 まるで予見するかの様なその言葉は、2人への配慮であり、同時に自分の為でもある。

 何故なら心の準備をさせる事は、いざとなったらフォローを受ける側のセシリアとしても必須なのだから。




 そんなやり取りの後、セシリアが合流した一行は城の中を進んだ。


 自分の屋敷とは比べ物にならないくらい広い廊下を進んでいくと、大きな扉が一つあった。


 扉は、玄関と同じ様に開放されている。

 しかし今度はその手前に3人、人が立っていた。



 内1人はゼルゼン達と同じような執事服。

 残りの2人は、それぞれ1本ずつ長槍を持って、扉の両脇に立っている。

 鎧を着ている事から見ても、おそらく会場警護の騎士達だろう。



 執事は、どうやらパーティー招待客の出欠確認役のようだった。

 ワルターが招待状差し出すと、それを受け取りその内容を手早く確認する。

 そして手元の用紙に何かをサッとメモしてから「どうぞ」と掌で扉の向こうを示した。


 それを合図に、先頭のワルターとクレアリンゼが優雅に足を踏み出した。

 それに兄姉も続いたので、セシリアも最後尾に付く。



 扉を潜る瞬間、セシリアは2人の騎士達をこっそりと盗み見た。


 目算で2メートル程の、長い長槍。

 そして屈強な佇まい。 

 なるほどよく訓練しているらしい。

 とても強そうだ。


 一瞬のすれ違いの様にそんな事を思いながら、セシリアは会場へと入っていった。

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