第18話 マリーシアの『やらかし』 ー親子の密談編ー



 確かにマリーシアには、母の面影が多くある。

 だから母のことを知っている人ならば、この容姿から母を連想し出自に辿り着く事も、可能性としてはあるだろう。


 ステラに引かれていた手を失礼にならない様にやんわりと避けてから、マリーシアはスッと姿勢を正し、彼に貴族の礼を取った。


「お初にお目にかかります、デーラ伯爵。オルトガン伯爵が第二子、マリーシアと申します」


 マリーシアのその所作は、完璧と言っても差し支えないほどに洗練されたものだった。


 それこそ先程のステラの『小走りで追いかけてきた上に貴族の手首を引っ張る』という行動が対比になり、周りに『あれは実に野蛮なものだった』と思わせるくらい、2人の所作の完成度は対極にある。



 そんな令嬢の挨拶に、男は少し嬉しそうに答える。


「始めましてマリーシア嬢、私はガルガンゼント・デーラ伯爵だ。まさか私の事を知ってくれていたなんて、少し驚いた」

「デーラ伯爵のことを知らない筈などありません」


 マリーシアがにこやかにそう即答したことで、彼はまた機嫌が良くなる。


 その時だった。

 また別の声が掛かる。


「マリーシア、先程貴方の悲鳴のような声が聞こえたような気がしたのだけれど」


 嫋やかな声が、マリーシアの背中を包む。

 母・クレアリンゼの声だ。


 マリーシアが探していた内の片方は、どうやら彼女が思っていたよりもずっと近くに居た様である。

 


 クレアリンゼが心配を顔に貼り付けて、「どうしたの?」と娘に尋ねた。

 なのでマリーシアは少し困ったような顔を『作って』こう答える。


「いえ。ただ急に手を強く引かれたので、少し手首が……」

「な、なによっ! 何度も呼んでるのに止まらない貴方がいけないんでしょ?!」


 マリーシアの言葉と引かれた手首をさする動作に、ステラは思い出したかのようにそんな声を上げた。


 そこには初対面のクレアリンゼに対する礼儀も敬意、全く見られない。

 ……否、怒りが先行してそれらを気にする余裕が無いのか。


(まぁどちらにしても、貴族の令嬢としては「お粗末」と言わざるを得ない態度であるわね)


 なんて心中で呟きながら、マリーシアはきょとんした表情を作る。


「もしかして先ほどの、私に向かって言っていたのですか?」

「当たり前でしょう? 他に誰が居るっていうの?!」


 そう言って噛み付いてくる彼女に、マリーシアはまた困った顔をした。


「ステラ様は終始『貴方』と言って、呼びかけていました。名前を呼ばれた訳ではなかったので、まさか私に言っているとは露ほども思わず……」


 そう言ってやると、案の定、彼女の感情が逆撫でされる。


「だって貴方、私に名前なんて教えなかったじゃない!」

「それはステラ様が自ら自己紹介をする事なく、私とクレア様の話に加わられたからでしょう? あの時にはもう、私とクレア様の間の自己紹介は終わっていましたから」


 ステラが自ら自己紹介をしていれば、マリーシアもクレアも、再度自己紹介しただろう。

 そういう意図を込めて、親の前で彼女の行った『非常識』を指摘してやる。


 そして。


「――私はてっきり、私がステラ様の事を最初から知っていたように、ステラ様も私の名前を知っているからこそ自己紹介をしなかったのだと――」


 そう言って、少しヒステリック気味になっている彼女に冷や水を浴びせる。


 するとその攻撃が効いたのか、ステラは一度、グッと押し黙った。



 そして言い合う両者の様子を静観していたガルガンゼントは、「どうやらこちらの分が悪い」と分かったのだろう。

 自分の娘を背中に隠すようにして、二人の間に割って入る。


「どうやらうちの娘が失礼を働いたようで、申し訳ありません」


 そう謝罪する傍ら、彼は背中に隠したステラの肩をポンポンと優しく叩いて震えるその肩をなだめる。

 するとマリーシアの隣にスッとクレアリンゼが並び立ち、彼に答えた。


「まだ社交界デビューしたばかりですもの、そのようなこともあるでしょう。――それでマリーシア、手首の具合は?」

「はい、引かれた時は痛みもありましたが、その痛みも大分引きましたし、問題なさそうです」


 マリーシアが母を見上げてそう言うと、クレアリンゼが「それは良かった」と柔らかく微笑んだ。


 そしてガルガンゼントに視線を戻す。


「それで、伯爵。私の娘に何か御用でしたか? 何やら探しておられたようですが」

「おぉ、そうだった!!」


 クレアリンゼの質問に、ガルガンゼントが思い出したように声をあげる。


「先程娘がマリーシア嬢が『王族の方が我が領地のお菓子を召し上がったらしい』という話を聞いたと言っているのだが、それは本当かね?」


 そう問われ、マリーシアは素直に肯首する。


「はい、偶々王城に勤めている方がそのように仰っていたのを聞きました」

「そうか、そうか……。いやはや王族の方がうちの領地の物を召し上がるとは、実にめでたい!」


 スラスラと淀みなくそう答えて見せると、ガルガンゼントはその言を信じたようだった。

 そして彼は嬉々とした笑みを浮かべ、更にこう訪ねてくる。

 

「それで、何を召し上がったのかは聞いているかね?」

「『デーラ領内で流行っている梨のお菓子』とだけ」


 それ以上は知らない。

 そう答えると「それだけでその品物を探す手かがりとしては十分だ」と言わんばかりに彼は喜ぶ。


「そうか、領内で流行りの!教えてくれたこと、礼を言う」


 彼はそう言い置くと、娘の手を引いて機嫌良く去っていった。




 一方、『デーラ伯爵家』という名の嵐が過ぎ去った後。

 その場に残された2人の親子は、周りに聞こえない程度の小声でこんな会話をする。


「お母様、あの方が自領が関わる王族の情報を全く手に入れていなかったのは、やはり……」

「えぇ」


 マリーシアの声を、クレアリンゼはすかさず肯定する。


「自領でコソコソと行っている『計画』に気を取られていたせいで情報収集に手が回っていなかったんじゃないかしら」


 自宅の書庫にある内容は、もうほぼすべて網羅している。

 そんなマリーシアだからこそ、彼が自領で行っている『計画』の内容も知っている。


 しかし。


(あれだけの『計画』を遂行するのなら、普通は周りの情勢に気を配って然るべきだと思うのだけど……その辺に手が回っていない辺り、結局は「まだ時期尚早だ」という事なんでしょうね)


 なんて思えば、こんな呟きだって漏れてしまう。


「その計画、もしかしたら今回の件で全て頓挫するかもしれませんね」


 別にマリーシアは、そこまでを望んで事を起こした訳ではなかった。

 ただステラに灸を据えられればそれで良かったのだ。

 

 しかし先ほどのデーラ伯爵の様子を見るに、もしかしたら事はもっと大きな転がり方をするかもしれない。

 そんな風に思っていると、クレアリンゼが「ねぇ」と尋ねてくる。


「マリーシアはこの後、どうなると予想するのかしら?」

「そうですね……」


 母にそう問われて、マリーシアは少しの間思考に時間を費やした後でこう答えた。


「今の話の裏をきちんと取らずにアレを使った結果自滅する、などという事があるかもしれません」


 もしも彼が慎重さを忘れなければ事はうまく運ぶかもしれないが、先ほどの彼の様子を見る限り、それは無理そうである。


「そう」


 娘のそんな言葉を聞いて、クレアリンゼは含み笑いをした。


 それは娘の言葉を肯定しているようにも、彼女の示した先行きを楽しげに見守っているようにも見えるものだった。




 因みにこの2人のやり取りに、この時のマリーシアはどこか既視感を覚えていた。


 その答えが分かるのは、数日後である。


(どこかで聞いたことがある言葉だとは思っていたけれど、お父様の昔の『やらかし』について聞かせてくれた時の言葉と似てるわ)


 父と祖父の間で交わされたというやりとりの中に、祖父が父に「これからどうするつもりだ?」と尋ねる場面があった。


 

 「どうするつもり」と「どうなると予想する」。

 前者は能動的、後者は受動的な言葉ではあるが、どちらも先の事について尋ねている言葉だ。


 『仕掛けた』後というタイミングも含めれば、酷似していると言っても差し支えないだろう。



 父と祖父の昔話を喜々として語っていた母の事である。

 もしかしたら、あの時の話と似たような状況に期せずして置かれて「あの時の再現を自らでしてみたい」なんて事を思ったのかもしれない。


 そんな風に思うと、意外とお茶目な母の一面に触れられた気がして。


「もう、お母様ったら」


 そんな声と共に、マリーシアは思わずフフフッと声に出して笑ってしまった。

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