第9話 不覚にも見惚れて

 


 貴族が正式に社交界デビューを果たす場所は、皆一様に決まっている。

 王城で行われる社交パーティーだ。


 王城での社交パーティーは年に2度、開催される。

 1度目が社交開始の合図として冬の始まりに、そして2度目が終了の合図として冬の終わりに、それぞれ夕刻から夜までの時間帯で行われるのだ。


 そして余程の理由が無い限り、社交界デビューは子が10歳になる年の社交開始のパーティーで行う習わしとなっている。

 それが、今日の夜なのだ。



 社交パーティーの正式な開始時間は午後7時。

 しかしそれは王族が入場する時間である。

 爵位の低い順に早く会場に着いておく必要があり、貴族達は爵位によってそれぞれ決められた時間内に会場入りしなければならない。



 オルトガンは『伯爵』の家である。


 我がプレスリリア王国には現在、王族の下に計120の貴族家が存在している。


 上から順番に1公爵家、3侯爵家、12伯爵家。

 その下にまだ子爵家と男爵家、騎士爵家に平貴族と、貴族たちが名を連ねる。


 つまり『伯爵』というのは、国内の貴族の中でも上位16位までの地位を保持する者という事だ。


 因みに伯爵家の中でも、特に周りへの発言力や影響力が強い3家を時折『3大伯爵』と呼称する事がある。

 その中の1家にオルトガン伯爵家もあるのだが、しかしそれは非公式な呼び名だ。

 扱い自体は他の9家と全く変わらない為、こういう時にも特別扱いされる事は無い。



 『伯爵』の入場時間は午後6時半まで。

 移動など諸々を考慮して逆算すると、ワルター一行が伯爵邸を出る時間は午後6時頃になる。




 現在時刻は、午後5時半。


 セシリアはつい先程、身支度を終えている。

 その為、彼女の「外出前に少しでもゆっくりとする時間が欲しい」という要望は30分という時間的余裕を以って叶えられた。


(本当に、時間があってよかった)


 セシリアは心底そう思う。



 きちんと腹7分目を守った昼食後に、セシリアは外出の準備を始めた。


 念入りに肌の手入れをされ、マッサージで手足のむくみをとり。

 コルセットで容赦なくウエストを締められ、人生で一番豪奢なドレスに着替えさせられて。

 人生初めての化粧をし、髪の毛を綺麗にセットされて。


 今のセシリアはもうクタクタだ。


 まぁ幾らクタクタだと言っても、時間があるからと言って実際にベッドに横になったりできるわけでは無いのだが、それでも大事の前に精神的に落ち着ける時間を取る事が出来たのはセシリアにとって僥倖だ。



 ふぅと息を吐き、窓へと目を遣る。


 窓から見える景色は、すでにもう暗い。

 冬の夜空に、一つ二つと星が瞬き始めている。


 外が暗い為、室内には既に電気がついている。

 そのせいで、窓越しにセシリアの後ろに控えている御付きのメイド・ポーラの様子が映っていた。


 窓に映る彼女は、酷く御機嫌だ。

 セシリアを限界まで飾り付ける事が出来たお陰だろうか。


(まぁここまでやってまだ不満だなんて言ったら逆にビックリだけど)


 なんて、午後いっぱいのポーラの喜々とした様子を思い出しながら考える。


 手間を全く意に介さず主人を磨く事に喜びを見い出す彼女は、メイドとしては正しく鏡なのだろう。

 しかし今後毎度あの様子なのだとしたら、ほんの少し気が滅入る。



 そう思って思わず苦笑した時、丁度外から扉がノックされた。


「セシリア様、お茶をお持ちしました」

「入りなさい」


 聞こえてきた少年の声にセシリアが答えると、ゆっくりと扉が開いた。

 入って来たのは、ティーセットが乗ったワゴンを引くゼルゼンだ。



「出発前に紅茶を飲みたい」というセシリアの要望を見事に叶えた彼は、いつもと同じ様に周りに注力しながら部屋に入り、そして定位置にワゴンを止めた所でやっと顔を上げた。


 そして、固まる。



 そこに居たのは、見慣れた彼女では無い。


 日焼けを知らない白い肌に、山吹寄りの明るい黄色が良く映えていた。

 その黄色のドレスにアクセントとして付けられた純白の花飾りは、セシリアの儚さを十二分に演出できている。


 綺麗に施された化粧も相まって、何だかよく知る彼女とは別人の様に見えた。


(……綺麗だ)


 ゼルゼンは、ただ素直にそんな感想を抱いた。



 ゼルゼンの停止に、彼女が不思議そうに首を傾げた。

 ハーフアップにされたオレンジガーネットの髪に付けられたガラス造りの髪飾りが動きに合わせてシャラリと揺れた。

 その音は聞き慣れないけれど、仕草は自分が良く知る彼女のままだ。


 その事に何故か淡い安堵を覚える。

 するとクスクスという控え目な笑い声が彼の耳朶を叩いた。


 振り返ると、そこに居るのはポーラだ。


 おそらく一部始終を見て、その心情を察したのだろう。

 そう気付けば、途端に恥ずかしさが募る。



 セシリアとゼルゼンがもう6年の付き合いになるのと同様に、当時からセシリア付きのメイドであり続けている彼女とも同様の時間を共にしている。

 そして自身の現状をイマイチ的確に把握できていないセシリアとは違い、ポーラは主人が普段以上に見違えて美しい事を良く理解している。


 そんな彼女が執事の仮面が剥がれかけているゼルゼンの感情に、気が付かない筈が無い。



 思わず見惚れてしまった事を、同僚に見透かされた。

 その事実がゼルゼンを、とても居たたまれない気持ちにさせた。


 しかし現在は職務中、例え少しばかり居心地が悪かろうが、執事の仕事を放棄する訳にはいかない。

 恥ずかしさを押し込めて彼女の生暖かい微笑みを甘んじて受けながら、ゼルゼンは気を取り直す。


「……お持ちしましたよ、セシリア様」


 そう伝えれば、その意図を察したセシリアの顔に嬉しさが滲む。


「お願い、聞いてくれてありがとう」


 向けられた声が思いの他柔らかくて、思わずドキリとした。

 しかし「平常心、平常心」と心の中で繰り返しながら、執事の仕事を全うすべく微笑と共に口を開く。


「それにお答えするのが、私の仕事ですから」


 ポーラが居る手前、友人然とするわけにはいかない。

 しかし執事然としては居るものの、今の言葉を要約すれば「まぁ、仕事だからな」である。


 言葉遣いや表情は取り繕えても、照れ隠しにこういう事を言ってしまう素直じゃない所は変わらない。


「筆頭執事のマルクより、『くれぐれもお洋服を汚さない様に』との厳命付きではありますが、きちんと許可も取れました」


 などと会話をしながら、手早く茶器を用意し、すぐにティーポットを傾ける。

 すると丁度飲み頃の紅茶が注がれ、室内に柔らかな甘さがフワリと香った。


 セシリアが目を閉じてその香りを楽しんでいると、不意に体に掛かる僅かな重みに気付いた。


「……ねぇゼルゼン、幾ら何でも厳重過ぎない?」


 瞼を上げたセシリアがそう言ったのは、胸元から膝元に掛けての広範囲を吸水性の高そうな厚手のタオルで覆われていたからである。


 ドレスの全体をカバーするように敷かれたソレは、明らかに『ドレスの汚れ防止』だ。

 それは分かるのだが、「それにしても」である。


「別に水遊びをするわけじゃないのよ? 私」


 少々過保護が過ぎる専属執事に、セシリアはそう言うと少し不貞腐れて見せた。



 こういう時に、衣類を保護する為の措置をする事は良くある。


 しかし使われるのは、精々ひざ掛けや前掛けだ。

 少なくともこんな広範囲を、しかも重みが体に伝わるほど厚手な物でカバーする事は無い。


「警戒に越した事はありません。ご容赦ください」


 ゼルゼンはそんな彼女を宥める様に言う。

 しかしセシリアには、彼の心の声が聞こえていた。


 そんな事言ったってお前、こういう時に限っていつも大惨事を引き起こすんだからしょうがねぇだろ。

 そう思っているに決まっているのだ、その顔は。

 幾ら彼が執事の鍛錬を積み経験を積んだ所で、セシリアの観察眼には勝てない。


 しかし彼の心の声に言い返せる言葉をセシリアが持っていないのも事実だ。

 その為仕方が無くその状態を甘受して、セシリアは目の前に出された紅茶を口に含む。

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