第47話 第六章 海に消えた伝説
天鈿女と吉備津彦の話し合いの結果によると、我が祖という噂の狭野尊さんが嘗て平定したらしい路を辿るべく、生田からそう離れていない場所に存在しているここ、務古の水門で船に乗ろうという話になっていた。
行き付く先は何か言っていた気がするが、基本、吉備の地の理しか分からない岳にとっては正に皆無であった。
とりあえずそこら辺にいた民に水門の玄関口を聞くと、どうやらすぐ側にあるという事だった。幸先よい感覚に一行の足取りは軽く、足を進ませていた。
その道中、岳にとっては初めて見るものばかりが通り過ぎていて、この吉備の田舎者は血沸き肉躍る感覚に酔いしれていた。
牛に引かせた荷台に積まれていた箱の中で踊る新鮮な魚介類。また、通り過ぎていった別の荷台には、一体何に使うのかさえ予想できない物が積み上げられていたり、我が家の庭でも作っている野菜が大量に乗せられていたり…。
勿論それだけではない。何やら釣竿のような形をした馬鹿でかい建築物や、何故にそこまで頑丈な施しをする必要があるのかと首を傾げてしまう程の完全武装させた漁船が停泊していたりなど。そして、滑稽な召し物を身に纏い、通り過ぎていく民達の群れ…。
明石や服部、そして生田。それぞれに様々な驚きがあったのだが、ここ務古もまた違う発見があり、岳はその度に自分を作り上げ、大人に近づいていく。
気がつけば倉庫のような建物が所狭しに立ち並ぶ集落の中に入っていて、先程の民の話によるとこの先に務古の水門の玄関があるとの事だった。
倉庫群の端付近に差し掛かると、しっかりと整備された土壌に、規律よい間を開けさせて打たれていた杭が何本か突き刺さっている場所が見えてきた。
この杭は船を停泊させる際に括りつける物だと岳は思うと同時に、この場所が務古の水門の船乗り場にたどり着いた事を悟った。
その先には穏やかな海が…。
『ん…?寧ろ荒れているではないか…。』
「あれ…?何で…?」
荒れ狂う海を呆然と眺めながら天鈿女は呟くように言った。
ここで船を乗る事しか考えておらず、天候の事までは予想していなかったらしい。岳の中に歪な予感が迸った。
「千歳が流れた今でも、この状況下はどうやら変わらないようですな、天鈿女様…。」
吉備津彦は呟くように言葉を続かせると、視線をきつく睨ませて天鈿女は吠えた。
「見りゃ分かるわよっ!!まったくもうっ!!よくも抜けぬけとっ!!!アンタ、何でそんなに冷静なのよっ!!」
「いやー、天鈿女様。いやー。」
岳の嫌な予感は的中。
上手くいかない状況下の刻、天鈿女は吉備津彦へとやつあたり始める。叫び散らす天鈿女と、焦りながらも何とか対処する吉備津彦。
岳にとって既に日常茶飯事になりつつあるこの二人のやり取りに首を挟むと、無駄に巻沿いを食らう恐れがあるという事はこの旅の中で幾度となくあった。だからこそ、ここは吉備津彦に涙を呑んで頂き、岳は岳なりに今置かれている状況と、これからできる行動を独自に考える事にした。
まずはこの荒れ狂う海。
漁に出る際、海の状態を見て船を出せるのかを決める。風に流される雲の速さと、潮の満ち引きの粗さ。そして、決定打なのが海の色なのである。
この海はどれにつけても最悪であり、確実に船など出せる状況ではない。岳は暫くこの荒れ狂う海を眺めていると、潮の流れが妙である事に気がついた。
それは、元来この地の海流は、瀬戸内の海に比べて荒々しいのではないかという事であった。
しかしながらこの地に水門を設けるという事は、岳がまだ見た事がない程、精密で頑丈な船がここにあるのだろうか。道中に見た完全武装させた漁船は、もしかするとこの海流に対しての備えなのだろうかと岳は思い返して思わず感動し、そして気がつくと感涙していた。
『世の中はまだまだ知らない事ばかりなのだ』、と…。
いかん、泣いている場合ではないと気を確かに持たせ、岳は何を思う事もなくふと周りを見渡してみた。すると、少し離れた場所に関所のような建物があり、その入り口に守衛と思わしき直立不動の男が二人立っている事に気がついた。
雨は降っていないのだが悪天候には変わりがない。
船は愚か、人っ子一人いないこの場所に何故いるのかは分からないのだが、この者達はきっと務古の水門の守衛であり、今正しく勤務中なのであろう。本当に大変だなと岳は心の中で労った。
どこか居た堪れない気分に苛まれながらも、岳はその者達の立つ場所へと足を進ませた。
「もし、お尋ねしたい事があるのだが…。」
「ええ、何なりと…。」
表情を悟らせない為なのだろうか…。大きめの傘を被り、右手には鋭利な刃が光る槍を持ち、体格と比較すると少し大きめな白い衣を纏とわせた男が、様子を窺うように言葉を発した。
「今日の出航予定は如何になっておるのじゃ?」
「本日悪天候により、出航予定はありませぬ。天候の見通しのつかぬ今、次の出航の見通しもままならぬ状況であるが故、明確な事を申し上げられぬ次第。ご了承願いとう…。」
淡々としたこの男の口調に流石の岳も違和感を覚えた。
もし、ここの関係者ならば、もう少しはっきりとした事を客である者に説明する責務があると思ったからだ。しかしながら、この者の口調から悟れる事があるとするならば、どこか我々を遠ざけているとしか思えなかった。
「えっ…?ならば、近日ずっと悪天候が続いているという事なのであろうか?」
「左様でございます。故、本日はお引き取り願い候…。」
そう言われてしまうと岳にはどうする事もできず、只、その場を立ち去る事しか見い出せなかった。この場へと踵を返そうとしたその刻、背後から激しい口調が飛び出してきた。
「おいっ!出航しないとはどういう事だっ!!」
その声はどこか焦りを覚えた表情を浮かべた吉備津彦であった。
もしかすると天鈿女に又もや左遷がどうのとか、報告がどうのと脅されたのかもしれない。吉備津彦は額に汗を浮かばせて、顎先から次々と滴り落とさせている程であるから、ある種本物である。
岳と先程まで話していた方の守衛が言葉を発した。向かいの守衛は相変わらず直立不動のまま沈黙している。
「この童に申し上げた通り。本日はお引き取り願いたい。」
「おいっ!!そうは申してもだなぁっ!ここの対応により、私の首がかかっているのだっ!何とかならぬのかっ!?」
守衛はその言葉にも何の躊躇もなく首を横に振るだけで、後の言葉はなかった。
これが噂に聞く大人の対応というやつかと岳は思った。
「吉備津彦、どうなったの?」
意地悪く唄うように、どこか賢し気な表情を浮かばせながら、天鈿女がこの場へと近づいてくる。一歩づつ迫ってくるその姿に、吉備津彦の表情の強張りは段々ときつくなってくる…。
「おいっ!守衛っ!!」
やはり首を横に振るだけの守衛。
その姿に吉備津彦は遂に膝から崩れ落ち、項垂れて落胆してしまった。悪天候が落ちたその影をより深く感じさせ、今にもこの世が終わってしまう事を知ってしまった男のように、吉備津彦から一点の光さえ消え失せていた。
というよりも、少し前に約束した「道中、立場を取っ払い、仲良くやろう」という話は既に無効になってしまったのか…。
そうこうしている内に天鈿女の姿がこの場へとたどり着いていて、先程の表情とは打って変わり、爽やかな仕草で守衛達に話しかけた。
「守衛さん達、お疲れ様でーすっ!!」
そして吉備津彦の方へと視線を向けた天鈿女は、又もや悪い顔へと変わっていた。
これは余談なのだが、その昔、天鈿女は海の者達をニニギ命に従わす際、唯一だんまりを効かせていた軟体動物の口を無理やり切り裂いて従わせたという逸話を、匿名希望さん(実は目の前にいる)から大分前に聞いた事があった。
その刻はまさかとは思ったのだが、これまでの様々な描写から分析するとあながち間違った情報でもなさそうである。
このような状況の刻、いつもならしくしくと泣き伏せる吉備津彦も、今回に至っては声にならない何かを口から呟かせ、意気消沈に小さく纏まる姿を見せている。
その姿を何故か満足そうに眺めている天鈿女の姿。
岳の立場からしてみると、こうなってしまうと既に二人のネタとしか思えず、「もう好きにやっちゃって下さい」と申し上げるしかできない。
それよりも、船が使えないとなった今、これからどうするかという事を考えなければならない。
選択肢は只一つ。陸を歩き、その大和という国へ行くしか方法はないのは明白である。しかし、地理的な話は岳には皆無なのだから、この二人の茶番劇が治まらなければ何事も始まらないという思考に行き付いた。
「吉備津彦…。こうなっちゃうと仕方がないわね…。私もこんな事は言いたくないけど、崇神には私がいい感じで告げといてあげるから、このまま素直に大和へ帰るか、高天原治安維持所へと私が言った言葉を添えて出頭なさい。いいわね…?」
天鈿女の言葉に、吉備津彦は光のない瞳で静かに頷いた。
何故そのような会話内容になっているのか、岳にはやはり理解しかねるのだが、そのやり取りの内容から感じる事は、理不尽さ極まり、鼻に突く程の天鈿女の態度であった。
そして、とある疑惑が浮上してきたのである。
『もしかして、あめたんは吉備津彦をこの旅から追い出す為にわざとやっている事なのか…?』
岳は吉備津彦を漢として本当に尊敬していた。
これまでに幾度かの窮地を吉備津彦に救って貰ったし、これから先、武としても、漢としても学ぶ事が山のようにある…、ような気がする。
兎にも角にも、このまま離れてしまうのは絶対に嫌だっ!!どうにかならぬものかと、岳が手を差し伸べようとしたその刻…。
「おい、お前ら…。頭と身体を酷使してこの状況を打破して見せろ…。そして、もっと自分の可能性を信じろ…。」
「江っ…?」
意気消沈していた吉備津彦はさて置いて、天鈿女と岳は、いきなり発された声の方へ視線を向けた。
それは、先程話していた守衛の向かい側に立っていた男で、傘で表情は確認できず、直立不動は相変わらずであるのだが、異様と思う程の気高い雰囲気を…、というよりもそこらの国津神ではここまでの熱い感覚を醸し出す事など考えられない。
神的感覚で、「この者は只の守衛ではない」と天鈿女は直観した。
しかし、疑う余地は否めない。大神とも思える雰囲気を身に纏うこの者は、どういう理で守衛の姿にて自分達の目の前に現れたのか。しかも先程発された言葉の言い回しをどこかで聞いたような、そうでないような…。
国津神が守衛。務古の水門管理事務局が雇う大神。気高き雰囲気と、聞いた事のある言い回し。王が纏うような熱さ…。んんん…。
『ん…?王…?』
「あああああああああああああああああああああああっっ!!」
天鈿女が何かを悟ろうとした矢先、吉備津彦から狂ったと思う程の奇声が発された。
「お前かあああああっ!儂達の行く路を阻む国津神はああああああっっっ!!!!」
眼は血走り、毛という毛を逆立させ、肩から獣とも感じ取れる赤黒い瘴気を放たせている吉備津彦には、先程見せていた暗い影など微塵もなかったのだが、こういう態度を示す人間はどこの時代も極めて危険な状態だと言えよう。
自分の中に埋もれた苦味がここで解き放たれた瞬間で、未来の話を盛り込むと、仕事上のストレス発散という事になるのだろうか…。
「ほう…、面白い事になっているではないか。して、どうしてくれるというのだ…?」
そう発したと同時に守衛の姿が一回り大きくなったような…。それも気づかない程、吉備津彦は感極まっていた。
至って冷静な天鈿女と、何が何だか訳が分からない岳はこの二人の問答に割って入る余地などなかった。
天鈿女は大地が震える程の切迫した雰囲気に身を硬くさせながらも、冷静に思考していたが、この状況から正しい事など見い出せない。
守衛の勝ち誇るような意味深な言葉に、吉備津彦のストレスという名の邪気が猛威を振るった。
「貴様っ!何者ぞおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」
叫びながら抜刀した刹那、守衛の首へと刃が迫った、が…。
『きいいいいいいいぃぃぃぃぃぃんんんんっっっ』
守衛は腰に這わせていた短刀で、吉備津彦が突き付けた刃を遮っていた。
右手には槍を持たせたまま、左手で短刀を持ち、そして両手で襲い掛かった吉備津彦の一太刀を軽く防いでいる。
それに吉備津彦は驚いた様子で、すぐ側の傘を見下ろしながら肩を戦慄かせていた。
守衛は重ね合わせていた短刀の刃を舐めるように滑らすと同時に、目にも止まらぬ素早い動きでそのまま攻撃へと転じてきた。
吉備津彦へと襲い掛かる一太刀が、頭上、右肩、左肩へと刹那に広がり、頭上による一太刀だけを何とか受け止めたが、気がつくと左右の甲冑は粉砕されていて、衝撃により後方へと吹き飛ばされていた。
何とか立っていられた吉備津彦は、全身粟が生じる想いに苛まれながら感じていた。
『この技は…。いや、いやいやいや…。』
呆然と立ち尽くしている吉備津彦の姿に、守衛の優しい声が降り注いだ。
「踏み込みが浅い。まだまだ精進せねばな、彦五十狭芹彦よ…。」
短刀の先で傘を少し上げ、綻ばせた笑顔を見せた。
「あれ?この顔、見た事あるぞ…。」と、岳。
「えっ!?ええええええええええええっっっ!?」と、天鈿女。
そして、一閃交えた吉備津彦は驚愕に身を震わす事しかできなかった。
短刀を鞘に納め、右に持っていた槍を目の前に居た守衛に預けると、一つだけ大きく息を吸っては吐いた。そして、瞳を尖らせて、目の前の岳一行をきつく見据えた。
「ふっ…。儂の路を辿るなど言語道断っ!!!自らの路を切り開けっ!!出来ないのではないっ!やるのだっっ!!あーっはっはっはっはっ!!!」
何が可笑しいのかは分からないが、誇らしく高笑う声が目の前に広がる大海原を大きく突き抜けていった。
どこかで見た事のある顔に、岳は戸惑い隠せない様子でその場へと立ち尽くすしかできずにいたのだが、心の奥底にどこか懐かしさに似た暖かい光が灯った。
弥生といる刻に灯るあの光のような…。
敵か、味方か。否、味方であるには違いないのであろうこの漢の言葉の意味は…。
どうやらこの漢が誰なのか気がついている天鈿女は、どのような行動へ転じるのか?そして吉備津彦も…。
これからこの漢の正体が明らかになってくる。
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