第43話 第六章 海に消えた伝説

 神武東征の刻の話。

 吉備の国を旅立った一行は、更に東へと船路を進ませていた。

 瀬戸の海は基本穏やかで、特に日暮の煌めく光に狭野尊は一日一句詠みながら航海していたという伝説が残っていたような、残っていなかったような…。

 そんな中、この船の総指揮官である『竿津根彦』が徐に何かを発見したらしく、大声を出しながら騒いでいた。

「陸じゃああああああああっ!!陸地があったあああああ!!」

「何…?陸地だと…?」

 船先で狭野尊は自らの眼で確認した。

 竿津根彦の叫び声の言う通り、そこには東方の地へと続く悠然たる陸地の姿が見えた。

 すると船員達が次々と歓声を上げ始めた。

「やったあああああっ!!」

「陸地じゃああああっ!!」

「女じゃあああああっ!!」

 最後の叫び声を上げた船員を狭野尊は自らしばき回しの刑の後、釣るし上げ、十人の臣下の手によるくすぐり上げの刑を処する事を命じ、船先へと戻り、直に竿津根彦を呼んだ。

 上陸を試みるにもここの海域の流れでは普通には上陸する事はできない事など一目で分かったからだ。

「総指揮、竿津根彦。神大和磐余彦尊に申し上げ奉り候。この潮の流れ、如何なる処置を施そうとも上陸に極めて難しくある次第。して、このまま航海を続けるが懸命だと存じ申し上げ奉り候。」

 竿津根彦は狭野尊の前に、右拳を地に着け、跪かせながら叫ぶように言った。

 この者が上陸するのは難しいと言えば、狭野尊の予想は確実なものになった。

 と言うよりも、何故、航海術など習った事などない狭野尊がそう予想できたというと太歳甲寅年、速吸之門から航海の旅が始まった刻から、初めは椎根津彦という釣り人の道案内人から始まり、これまでに様々な航海技師を加える航海の中で、勝手に狭野尊の頭の中で独自の航海術が出来上がっていたのだった。

 これぞ正しく、とんでもない描写解読能力であり、人の上に立つ者の英知と申し上げても過言ではなかった。

「して、如何に…?」

「汝の見解は…?」

 竿津根彦の問いに基本航海術素人狭野尊は、逆に問い返す事しかできなかった。しかしながら先程この者が言った通り、先に進むしか手はないらしい。

 本当なら航海術に長けた竿津根彦の申し出を承認するのが当たり前なのだが、これを良しとしない理由。

 それは、これまでは財団法神、天孫管轄内範囲であったのだが、これから先は未知の領域。正しく別世界なのであった。

 確かに、我が天孫誕生秘話でこの芦原中国が天孫の手によって作られたのは間違いないのだが、これは噂によるが、産み親である伊弉諾様がとんでもないアレであったが故に、予期せぬ所まで国土が広がっていったという話を嘗て聞いた事があった。

 まあ、それは良いにしても、天孫本社が管轄していない場所へと突っ込んでいくなど、自ら死地に旅立つ事必死。

 だからこそ、狭野尊は懸念したのだった。

 しかし、この先何が待ち起きるかも予想できない状況下の中、狭野尊の決断はこう処さざるを得なかった。

「竿津根彦よっ!!このまま上陸するぞっ!!この先はこの激流よりも更なる困難があるっ!この地でしか上陸する状況は掴めぬのだっ!!」

「しかしながらっ!!!」

 海流しか予想出来ないこの総指揮官と、陸が見えたと歓喜余る船員と家臣と部下。達観した狭野尊の頭脳は他の者に分かる筈もない。様々な苦渋と共に航海を経験した竿津根彦の他に、大王、神大和磐余彦の意見を止める者など、この上誰がいたのだろうか?

 狭野尊は竿津根彦に対し、正真正銘な真っ直ぐの光を宿した瞳で高らかに叫んだ。

「竿津根彦よ…、我が名は神大和磐余彦…。天照大神の命を帯び、この芦原中国へ今こそ炎を散布せしむる理なのだ…。こんな海神の隔たりになぞ負ける筈はないっ!!勝てば負けないっ!!只、それだけなのだっ!!!行けっ!!突き進むのだっ!!」

 その言葉は竿津根彦にだけでなく、その他の船員の耳にも届いた。

 総指揮が無理だと言えばその傘下はその言葉にすぐ様諦めてしまうのだが、更にその上が意気揚々にいればそれはまた別の話になってくるのである。

 狭野尊の言葉に周りの者共は猛々しき叫び声を上げ始めた。

「そうだああああああっ!!!!」

「それだけだああああっ!!!」

「勝てば負けないんだあああああっ!!!」

 そうして、この海流の難関を乗り越え、狭野尊船団は陸地にたどり着く事ができた。

 人ではなく、自然の猛威に晒された殊更、狭野尊は乗り越えた相変わらず激しい海峡の渦をぼんやりと眺めていた。

 もし天孫社員であるならば、狭野尊が寄ったなら直に問題は解決する。もし違うとしても、其処らの土地神ならば、せめて交渉の話はあった筈…。しかしながらこの刻は有無も言わず狭野尊に立ち向かってきた…。


『そう、全ての儀を背負ってしまっているこの神大和磐余彦尊に…。』


 幾度か失敗を繰り返しながらも、一行は何とか上陸する事ができたのだった。

 何か不穏な動きがあると狭野尊は感じていた。

 ここの海流は元々の動きからなるものなのだろうが、やはり何かがそうさせているに違いない。

 思い当たる節は今に思いつかないにしても、これから先、我が身に降り注ぐ出来事からその首謀者は浮き彫りになっていくだろう…。   

 しかし、今はその事などどうだっていい。

 上陸する際に、仲間であり、家族であった家臣の幾人かが海の水雲と共に消えた。

 その者達の魂がいつまでも我が心から消えぬよう、狭野尊自ら、この地に命を施そうと考えたのだった。

 天孫社に属していない国津神を制した記録と、家臣を失ったという悲しい記憶をこの胸に刻み…。

 狭野尊はこの大海原へと猛々しい叫び声を上げた。

「この神大和磐余彦っ!貴様らを制す為に自らが命ず。これは我が祖からの命であるのだっ!神妙にせよっ!」

 狭野尊は言葉を止め、息を吸い込んだ。そして…。

「この地はこれから浪速国とするっ!!なーにっ、分からんでもないだろうってなっ!てへぺろっ!!!」


「わああああああああああああああああああああっっっ!!!」


 この地に生を成した天孫一族が何故かこの場にいて、騒ぎ立て始めた他、その地の関係ない民さえも狭野尊の声に歓喜余って騒ぎ散らしていた。それは何故かと問われると、只、狭野尊の神力がそうさせたのであろう…と思う。

 こうして、浪速国(なみはや・のくに)が現在に至り難波という呼び名になったという。

 船を降りた狭野尊一行は暫く道形に足を進ませて、白肩津という集落へとたどり着いた。

 こうして歩く事一月半余り。これまで航海ばかりで陸地を歩く事などなかった一行達に疲れが流石に見え始めた。

 今一行が路を進ませている土地は河内国の青雲、白肩津という集落。ここで初めて纏まった停泊場所と決めた狭野尊の計らいに、一行達は涙ながらに歓喜したという。

 この停泊後、この旅の悲劇が訪れる事も露知らずに…。

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